前世占いとは、対象者の前世がどのような人物であったかを占う、占術の一種である。一般的には、生年月日や出生地などといったパーソナルなデータをベースに、あらかじめ用意しておいた何種類かの前世のタイプのいずれかに対象者を当てはめるという手続きをとる場合が多い。
この結果をもとに、前世の反省をし、現世における人生へのアドバイスをしようというのが、前世占いの主なねらいであるといえる。
前世とは、われわれが現在の肉体をもって生まれるまえの人生のことである。この概念は輪廻転生の思想と不可分であるが、転生――いわゆる生まれ変わりの概念は世界中の多くの文化において存在が確認されている。そのため、前世という考えかたもきわめて高いポピュラリティをもつものだと推察できよう。
転生を認める文化圏では、肉体は魂の容器でしかない。容器を何度も何度も繰り返し乗り換えながら、換えのきかない魂が生き続けているのが生命だという捉えかたをするのである。
よって、この転生観のもとでは、前世と現世には必ずやなにかしらの関連があると考えられる。ふだんは顕在化していないが、意識下では記憶や体験が情報として引き継がれているのだ。
すなわち、意識的にせよ無意識的にせよ、前世の行いが現在の対象者の日々の生活のなかにも、少なからずあらわれているということである。
ふつう、鮮明な記憶までは前世から引き継がれないが、現世での記憶と同じように、忘れていたはずのものがふとしたきっかけで突然よみがえることはある。前世占いは、これを意図的に発生させようというものだと考えると理解しやすい。
前世での自分がどのような人物であったかを知ることは、自身のルーツを知ることに等しい。これは、自分を深く見つめることだと言い換えることもでき、これからの人生を占うことにも繋がるのである。
前世での自分がどのようにして悩みや問題を解決してきたかを事前に知っておけば、自身が同様の問題に直面した場合にも必要以上に困ったり慌てたりすることはなくなるだろう。また、適職の診断や人生観の形成にも役立つに違いない。
もちろん、なにも前世とまったく同じように生きなければならないというわけではない。そもそも人生はシミュレーションどおりに進むものでもない。しかし、なにをする場合でも、情報は少ないより多いに越したことはない。自分の前世での成功や失敗を参考にすることで、よりよい人生を過ごすためのひとつの指標となれば、それでよいのである。
いかなる種類の占いにも、懐疑的な立場をとる人々は存在するものである。そもそも歴史上、科学的根拠が実証された占いなどひとつもない。よって、占いについて語ることは、その信憑性について語ることでもある。
前世占いにおいては、さまざまな占いのなかでもひときわ懐疑的な視線が注がれることが多い。これは構造的な問題だといえる。前世という概念を用いて占いをおこなう以上、避けてはとおれない論点がいくつもある。
たとえば西洋占星術や血液型占いは、その診断結果の解釈やパターンこそ非科学的だと批判されることがあるが、類型の根拠である誕生星座や血液型は、疑う余地もなく本人固有のものである。獅子座やAB型の人が、自分が獅子座やAB型であるという事実まで疑うことはないのだ。タロット占いについても、それが人生を象徴しているという考えかたへの反発はあるにせよ、目のまえで広げられるタロットカードがありもしない空想の産物だということはない。
ところが前世占いでは、診断結果の信憑性以前の段階で、前世という概念の信憑性がまず問われてしまう。ここが他の占いとの決定的な差である。前世占いにおいては、前世の存在が大前提となる。しかし、前世という概念もまた、科学的根拠のあるものではない。
前提を共有できない対象者の視点からすれば、確認のしようもない属性を提示されたうえで、それに基づいて診断をされるのである。たとえ占い師の手違いがあったとしても、誰もそれを指摘することはできない。結果が腑に落ちないと感じてしまうのも仕方のない話ではある。
このこと自体は、ただちに前世占いの信憑性を貶めるものではない。ただ、こうした性質をもつ占いである以上、詐欺やインチキの類が出現しやすいものであることも間違いない。悪徳占い師の温床となっているといっても過言ではないだろう。これは、結果的に真っ当な前世占い師たちの信憑性を損ねることにも繋がる。
この占いは、「正しさ」の判断が非常に難しいのである。
前世の存在の是非を棚上げにしたとしても、問題はまだまだある。
輪廻を肯定する立場から考えると、一人の人間には何通りもの前世が存在することになる。だが、それらの前世がみな一様に似たような傾向の人生を歩んだと考えることは、さすがに無理があるだろう。
また、歴史上の有名人が前世であると診断される場合もあるが、ほとんどのケースでは複数の人物が生まれ変わりを名乗っている。たとえば天草四郎時貞を前世だと名乗る人物も、歌手・タレントの美輪明宏をはじめ数多く存在する。肉体が魂の乗り物であるとするならば、このようなことは本来起こりえない。
この件については、「魂が離合集散を繰り返して乗り継いでいる」のだとする説もあるが、そうなると、もはや誰もが自由気ままに有名人の生まれ変わりだと名乗れるようになってしまうだろう。これは、結果的に前世占いの価値を下げるものでしかない。
そして、文化によって前世の捉えかたにもバリエーションがあり、一様ではない。必ずしも人間が人間にばかり生まれ変わるわけではないのだ。動物や虫、場合によっては無機物にも生まれ変わるとされる文化も世界には存在する。しかし、前世占いで提示される前世はほとんどが人間ばかりである。
個々人の前世観と占い師の前世観が一致していない状況では、その診断結果も疑わしいものになる。
誰でも、前世が虫だと言われるよりは歴史上の人物だと言われるほうが嬉しいだろう。しかし占いとは、相手の喜ぶような答えをすることではない。対象者をいい気分にさせて気持ちよくお金を出させようという占い師は、信用に足る占い師ではないはずである。