神話とは、太古よりその土地、民族、宗教など特定のコミュニティにおいて伝承されつづけている、神などの人間を超越した存在について描かれた聖なる物語のことである。
神話においては、人類の文化や文明、自然現象などが織り込まれて説明されていることが多い。いわば、世界の成り立ちや仕組みを語っているのが神話なのである。あらゆるものの存在理由を定義づけることで、それぞれのコミュニティにおける規範や儀礼を伝えているといえる。
よって、神話はそのコミュニティ内においては絶対的な存在であり、不可侵のものとなっている。
神話には、大きく分けて創世神話と英雄神話の二種類が存在する。
前者は世界や人類がどのようにできたか、起源を語るものであり、後者は神々を含む英雄たちの活躍を描いたものである。
これらはいずれも、現在の科学的知識からすれば荒唐無稽であるケースがほとんどだ。しかし神話は、それが通用するコミュニティの内部にあっては、常に「真実」として語られる。
神話と寓話の差はここにある。双方とも、成立年代の古い物語であるという点は共通しているが、少なくとも建前上は、神話は真実で寓話は虚構なのだと区別されている。
昔話やおとぎ話と混同されることもあるが、やはり厳密な定義では異なる。
昔話はそれが真実かどうかは問われず、また、娯楽としての側面が強い。たとえば『浦島太郎』や『桃太郎』といった昔話には、神話がもっているべき神聖さは必要とされない。さらに、時代や場所の設定が曖昧である点も神話との違いだ。
神話は真実の記録であるため、登場人物の設定も細かく指定されているケースが多いし、特定の時代の特定の場所の物語として語られる。
もっとも、たとえば『はだかの王様』のように、元来神話に起源をもつ物語であっても簡略化されおとぎ話として伝わっている場合もある。構成要素だけで厳密に神話を定義することには限界があろう。
こうしたことから、神話はしばしば「一回性」というキーワードとともに語られることになる。
誰にも確かめようのないことでありながら、はるか昔から確定した真実として神話が語られるのは、一回性が脅かされないゆえだ。神話は、それを疑うことすら許されない。
一回性をもつ神聖な物語を神話と呼べば間違いはない。
上述のように、神話は「真実」であるとされる。ただし真実と事実は異なる。真実とは、語り手が事実を観測したひとつの結果にすぎない点を忘れてはならない。
神話が太古から存在する物語である以上、それは何人もの口を経由して伝えられてきたことになる。そのなかで、物語は伝言ゲームのように大なり小なりゆがむはずである。あるいは、意図的にゆがめて伝えた者もいるかもしれない。
まったく違う地方において類似した神話が存在することはよく見られる。だが細部は異なっていることが多い。これは、こうした伝言ゲームの結果だと捉えることも可能だ。
このことは、神話の信憑性を否定するものではない。むしろ、神話がたしかに一側面では「真実」であったこと裏付けるものだといえよう。
神話に登場するような、人智を越えたできごとが実際に起きたと考えることは難しい。しかしながら、実際に起きた歴史上のできごとを誇張したものが伝えられていると考えることは、少しも不自然なことではないだろう。
たとえば、天災を神の仕業だと伝えることは神話の常套手段である。そして、天災そのものに人格をもたせ擬人化するパターンも多い。
八百万の神が住まう日本では、生物から無生物にいたるまでさまざまなものに神が宿っているとされるが、形は違えど、同じような考えは世界各国の神話にも作用しているのである。
これを「虚構」であるということはできない。語り手にとっては真実であったからだ。そして、それがコミュニティにおける規範として作用することで長い歴史が刻まれている以上、あとの世代が今さら遡ってそれを否定して回ることも難しいのだ。
ともかく、「真実」として伝わっている物語は、その真偽にかかわらず歴史となるわけである。
前項ですこし触れたとおり、神話には、まったく異なる地方のまったく異なる出自をもつ物語でありながら、類似した物語が存在するケースが多々みられる。
たとえば、火の鳥や不死鳥、フェニックスといった鳥の存在は、エジプト神話にもギリシア神話にもローマ神話にもみられる(なお、厳密にはべつの鳥であるが、中国の神話における鳳凰も混同されることが多い)。いずれも永遠の命を有しており、その血を飲んだ人間も不老不死になるという。
こうした類似性が発生する原因には諸説ある。
ひとつは、それらが人間の普遍的な欲望の現れであるということが挙げられる。文化や環境が違えど、同じような体をもち同じような寿命をもつ人間が、同じような発想にいたることは不思議ではない。これを比較神話学では「神話の種」と呼んでいる。
また、最初期の物語のパターンには限度があるということもいえよう。同じ地方の神話にすら、設定をすげ替えただけでほとんど変わりのない物語が存在する場合がある。
一方で、まったく関連性のみられない土地同士であったとしても、なにかしらの交流があって物語が伝わったのだとする説もある。人間の歴史にはまだ解明されていない部分が非常に多いゆえ、その根源を語った神話についてもまだ不明な点は多い。
ただ、ここまで解説したような事柄から、神話が現在の人類文化の礎を築いたものであることだけは間違いないといえよう。