「心霊スポット」とは、霊の目撃体験や、写真やビデオ等への間接的な写り込み、その他ポルターガイスト現象など、何かしらの心霊・超常現象が起こるとされる場所である。
その場所における心霊現象の体験者数が多ければ多いほど、「強力な心霊スポット」などと呼ばれ、インターネットなどを通じて噂が広がっていく。
一方で、霊の目撃や心霊・超常体験数が仮に一例であっても、画像や映像等の確固たる証拠等があった場合には、それを根拠に「心霊スポット」と呼称されるケースもある。
インターネットには、「全国の心霊スポット」を紹介するサイトが多数ある。
こうしたサイトを見てみると、「心霊スポット」となる場所は、トンネル、峠、廃墟となった建物、水辺、古戦場跡、事故の多発する場所、自殺の名所などとされる場所、慰霊碑等がある場所、などが中心である。
「著名心霊スポット」などとされる具体的な場所は、インターネットで様々に紹介されているのでそちらを参照していただきたい。
ただし、多くの心霊スポットの信憑性は、下記に記すように高いものではないが、中には、何かしらの霊的な因果を持った場所もあるだろう。
そうした場所等に、興味本位や遊び心などでむやみに近づくのは懸命なことではないと考えた方がいいだろう。
しかし心霊スポットとされる場所は数々あるが、そこに行けば100%の確率で何か現象が起こるといった、再現性の高い心霊スポットは報告されていない。
また、インターネットなどにある心霊スポットにおける体験談は、ほとんどが「友人の友人が」などと体験者本人の談ではないことが多く、信憑性は低いものがほとんどである。さらに、心霊スポットによっては、「そこで絶対やってはいけないこと」といったある種の規則があったり、「体験談を語ると呪い殺される」や逆に「誰かを連れて行かないと呪われる」等の、かつての「口裂け女」のような都市伝説的な信憑性の低いエピソードも多いため、果たして心霊スポットが本当に実在するのか、さらなる検証が必要であろう。
「心霊スポット」となる場所のエピソードには、必ずと言っていいほどその場所で亡くなったとされる人物の遺恨や無念の思いがある、と伝承される。
その意味では、これまで第二次大戦、原爆被害、その他大震災や天災等で、日本の各地で多くの人が無念の死を遂げている。
しかし、そうしたいわゆる被害地・被災地等が「心霊スポット」となるケースはほとんど無い。
実際には、スマトラ沖地震後にタイの一部地域が心霊スポット化してしまったように、被災地もそうなる可能性はあるのである。
つまり、現在の日本の「心霊スポット現象」とは、「心霊・超常現象が起こっても不思議のない不気味な場所」という要素が強く、多分にエンターテインメント要素の加味されたものなのである。
一般の人にとって見れば遊園地のお化け屋敷代わりの肝試し場であり、テレビ番組や出版物・DVD作品等においては、いわゆるネタとして作られている傾向にある物、とも考えられる。
日本では古来より、心霊スポット的な場所とそこで起こる現象の伝承がある。
そのいくつかを紹介しよう。
ただし、以下の例は過去においてそういうエピソードがあったという話であり、現在も紹介するような現象が起こっているということではない。
また、日本の古い心霊スポットにおいては、登場するのは人霊ではなく「妖怪・もののけ」である。
●九十九橋の怪
福井県福井市は、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に北ノ庄で滅ぼされた柴田勝家のお膝元である。
柴田勝家の没後、福井の城下では奇怪な噂が流れた。
それは命日に当たる「旧暦の4月24日の丑三つ時」になると、首無しの武者行列が「九十九橋」を渡るというものだった。
そして「それを見たことを人に告げると祟り殺される」のだと言う。
江戸時代にその様子を絵に書いた人がいたという。
しかしその後、その絵の持ち主には不幸が相次ぎ、最後には火事で家とその絵を失ったという。
●鵺塚(ぬえづか)
神戸、大阪、京都などには現在も「鵺塚(ぬえづか)」が残っている。
「鵺(ぬえ)」とは『平家物語』等が記す、頭がサル、胴がタヌキ、四肢がトラ、尾がヘビの姿をした妖怪・もののけである。
この鵺は、近衛天皇の仁平3年(1153)京の御所・紫辰殿に夜ごと出没し、帝を悩ませたのだそうだ。
そこで侍臣の源三位頼政が矢で射落とし、これを丸木船にのせて淀川に流したところ、現在の大阪市都島あたりに漂着したのだという。
このエピソードには諸説あり、漂着した場所や埋葬された場所は、大阪、神戸、京都などがあり、明治時代に鵺の怨霊による祟りが関連する場所にあったとされ、それを鎮めるために「鵺塚(ぬえづか)」が祀られているそうである。
●「座敷わらし」の出る「緑風荘」
「心霊スポット」と言えば「怖い場所」が常識であるが、それを覆す場所として知られていたのが「座敷わらし」が出るとされた「緑風荘」(岩手県二戸市金田一)である。
特に座敷わらしの目撃例の多い本館母屋の奥座敷「槐(えんじゅ)の間」は人気が高く、予約は2011年12月31日まで埋まっていた。
この人気の背景には、座敷わらしは一種の聖霊であり、出会えれば福が与えられるという伝承の効力がある。
国民に広く愛された稀有な心霊スポット「槐の間」だったが、残念ながら2009年10月4日に起きた火事によって「緑風荘」は全焼し、現在は営業を中止している。