心理学とは、心のありかたおよび心のはたらきについて、さまざまな立場・角度から探求する学問のことである。
ただし、一口に心理学といっても、その扱う範囲は多岐にわたる。人間がほかの動物と一線を画しているのは、心をもつ生物であるという点だ。そうである以上、人間のするあらゆる活動は心のはたらきと無縁ではいられないのである。
よって、たとえば言語学から派生した心理言語学、社会学から派生した社会心理学、哲学から派生した超心理学など、さまざまな学問分野において、心理学的なアプローチがとられているのが現状だ。機械工学のような、一見すると関係がないような分野でさえ、人工知能の研究などにおいて心理学は重要な位置を占めている。近年ではスポーツ心理学という言葉もよく知られるようになった。
心理学とまったく無関係だといえる学問は、もはやほとんど存在しないのが現状なのである。
このため、心理学を学問の一分野として厳密に区分・分類することは困難でもある。
さまざまな分野を横断することなしには心理学を追究することは不可能といえ、研究者にはかなり広い視野と知識が求められる。
心理学は、そのアプローチの方法論から、大きく二つに分けることができる。
▼実験心理学
ひとつは、科学的経験主義の立場から、観察や実験を用いて真理に近づこうとする「実験心理学」である。認知心理学や行動分析などの分野はこちらにカテゴライズされる。
こちらの歴史は古く、10世紀の学者(専門は哲学、数学、天文学、医学等)イブン・アル・ハイサムがパイオニアだとされることが多い。アル・ハイサムは著書『光学の書』のなかで、すでに錯視現象を実験的に扱っていた。これは心理学の最もベーシックな関心事であった。
だが、まだこのころは独立した学問の分野として「心理学」が成立していたとは言いがたい。
現在でいう心理学の誕生は、それから長い時間が流れて、19世紀に入ってからのことだった。
ドイツの生理学者ヴィルヘルム・ヴントが、実験に数学的・定量的な手法を導入したことによって、実験心理学はより高度かつ緻密な学問として成立するようになったのである。このことから、ヴントはしばしば「実験心理学の父」と形容される。また、ヴント自身も、肩書きとして「心理学者」を名乗った最初の人物であるとされている。
20世紀後半からは、社会の多様化とともに研究の方法論も大きく増えた。また、心理学分野そのものが拡大したこともあり、必ずしも「実験」によって研究がなされているとは言いがたい。実験心理学という用語の意味も変質しつつある。
現在では、実験心理学という言葉は、「臨床心理学ではないすべての領域」といった程度の大雑把な捉えかたをするほうが実情に近いといえよう。
▼臨床心理学
その「臨床心理学」というのが、もうひとつのアプローチでなされる心理学領域である。
こちらは、精神疾患や心身症をわずらった人々の精神的健康を実現するために研究し、援助しようとするものだ。精神医学や精神病理学がこちらに当てはまる。
統合失調症やうつ病、パニック障害など、精神疾患は近年ますます増加しており、もはや現代病といえるレベルになっている。社会が複雑化したことによって日常生活でのストレスは大きくなる一方で、また長引く不況で先行きもみえない状況とあっては、こうした疾患が増加するのは必然である。今後ますますこの分野の重要度は増していくだろう。
臨床心理士や心理カウンセラーといった資格の需要も増えるばかりだ。
臨床心理学では、学分野からのアプローチがメインとなるが、やはりこちらも、各種学問領域からの応用がなければ成立しない。心理的な原因からおこる疾患は、科学的な知識だけでは解決しえないのである。
独立した分野としての「心理学」は、その研究対象からも二つに分類できる。
感覚や知覚といった機能を扱う「知覚心理学」と、記憶や言語などを扱う「認知心理学」である。
▼知覚心理学
知覚心理学では、おもに五感が心理に与える影響について研究する。言うまでもなく五感は、人間の日常生活においてきわめて大きな役割を担っているものである。これを研究するということは、人間の生態をより深く探求することに繋がる。
なかでも、知覚心理学では視覚についての研究が最も重点的になされてきた。五感のうち、人間が日常生活において最も頼っている感覚は視覚であるためだ。
錯視の研究は長い歴史をもっている。ミュラー・リヤー錯視やツェルナー錯視などの幾何学的錯視は、人間の目を大いに混乱させてきた。たしかに目に映るものが、あきらかに実態と異なっているという現象は、視覚を頼りにしているからこそ衝撃的な事実だったのだ。
現在ではゲームの一種かのように扱われ楽しまれている錯視だが、心理学の発達に寄与した部分は実に大きい。
また、色彩が心理におよぼす影響も知覚心理学ではよく研究されてきた。
たとえば、部屋の内装を暖色系でまとめると気分が高揚しやすく、反対に寒色系だと落ち着きやすいということはよく知られている。また、暖色は食欲を増進させる効果もあるため、マクドナルド、吉野家、デニーズ、ジョナサンなど数多くの外食チェーンがそのブランドロゴに暖色を配していることも有名だ。
医者の白衣が真っ白ではなくわずかに青みを帯びていることも、知覚心理学的な研究をもとに色彩学的な知識から導き出されたものである。落ち着く色であるという点もさることながら、あの薄い青は、血の残像を打ち消す色でもあるのだ。
近年では視覚以外の感覚についても研究が盛んになってきており、たとえば聴覚については、音響工学的な立場から不安になる音や落ち着く音などが作られようとしている。いわゆる音楽療法は疑似科学の一種でしかなかったが、こちらでは、はっきりと科学的に癒される音を探そうとしているのである。
知覚心理学とは、いわば感覚を科学で解明し説明しようという試みのことだといえるだろう。
▼認知心理学
知覚心理学が、五感のような自分自身でも理性をもって認識できる問題を扱っていたのに対し、認知心理学では、感情や記憶、言語の発達といった、より高次な、自分自身ではコントロールの困難な問題を扱う。
これは、心のはたらきというよりも脳の機能に関する部分を探求するものだといえる。機能に寄り添っているため、その研究内容も科学的な傾向が強くなり、「認知科学」と呼ばれることも多い。
もとより、「心」という抽象的なものがそもそもなんであるのかは心理学的な研究のテーマとして根強かった。炭素や水の集合体でしかないはずの人体から、どのようにして心という非物質的なものが発生するのかも不明瞭である。
この問題は従来、哲学の一分野として探求されることが多かった。
それが、より科学的なアプローチで捉えられるようになったのは、コンピューターの発達との関係が深い。人間と同じように生活するロボットへの憧憬は、古くよりフィクションの世界でなされてきたポピュラーな夢想であったが、情報科学や脳科学などが発展するにつれ、人工知能への関心はますます深まっていった。
このとき、感情や記憶といったものがどのようなものであるのかは、避けてはとおれない問題だった。
しかしながら、現在まで、人間と遜色ない知能・感情をもつロボットが制作されたという前例はない。まだまだ認知心理学の領域は未解決な部分が多いのである。反対にいえば、これからどんどん発展してゆく可能性がある分野だといえるだろう。
ここまで述べてきたように、心理学はさまざまな学問領域を横断し、また、複雑に絡み合っている学問だといえる。そのため、心理学と名のつく分野は数えきれないほど多い。
よって、ここでは、そのすべてを詳細に解説するにはあまりにスペースが足りなさすぎる。
以下、参考までに、よく知られている分野を羅列しておきたい。
・発達心理学
・言語心理学
・社会心理学
・人格心理学
・神経心理学
・計量心理学
・異常心理学
・比較心理学
・教育心理学
・犯罪心理学
・環境心理学
・交通心理学
・法廷心理学
・産業心理学
・スポーツ心理学
・芸術心理学
・宗教心理学
・災害心理学
・歴史心理学
・空間心理学
・軍事心理学
・経済心理学
・恋愛心理学
・性心理学
・文化心理学
・色彩心理学
・音響心理学
・超心理学
なお、これらもあくまで一部に過ぎない。ここで紹介したのは、学問分野としてある程度一般に認識され、成立しているもののみだ。まだ独立した分野としては認められていなくとも、研究者が個人的に突き詰めている領域はいくらでもあるだろう。
繰り返しになるが、人間のかかわる分野はすべて、心理学の研究対象となりうるのである。
なお、心理学とは、心のはたらきや傾向についての学問であるが、けっして誰かの心を読んだり操ったりしようというものではない。
心理学は、その用語が濫用されていたり、扇情的な文脈で用いられたりしがちなため、きわめて誤解の多い学問分野でもあるのが現状だ。
たとえば、世の多くの人々に好まれる心理テストは、そのほとんどが心理学的な研究とは無関係だといえる。あれは血液型占いや十二星座占いなどと同様、エンターテインメントに属するものであり、学術的な信憑性はない。
一部の精密な性格診断などを除けば、統計学的な要素すら皆無であり、占い同様、いわゆるバーナム効果を用いて「当たっているような気」にさせるだけのものだ。
コミュニケーション術や交渉術などと関連して「心理学」という用語が使われるケースも目立つが、それらもアカデミズムの文脈でいわれる「心理学」とは別のものである。ああいった書物で語られるはコールド・リーディングなどの「話術」にすぎず、基本的にはよく当たる占い師がおこなっていることと大差ないのである。
ここまで理解すれば、カウンセリングもこの一種であることがわかるだろう。やはり本来の心理学領域とは異なってる。これらは心理学にまつわる最大の誤解といえよう。
もっとも、こうした分野が隆盛をきわめていることは、社会からの要請があるためである。それをまったく無視してしまうことは、人間の心理を無視することでもあり、適切ではない。そこで、本来のアカデミズムとしての心理学と区別するために、これらを「通俗心理学」と呼ぶこともある(心理学や社会学の立場から、こうした通俗心理学を研究対象にすることはきわめて学問的な態度である)。
学問的な立場からいえば、特定の人間の心を読むことなど不可能であるし、そこから他人を分析することもできない。
なぜなら、心とは人それぞれ特有のものであり、個人差があって当然のものだからである。
本来の心理学をしっかりと学習した結果、訓練を重ねれば統計学的に心の動きを予測することは可能であるが、個人の心を読んでコントロールすることが本来の目的ではないことに注意されたい。
また、心理学への誤解としては、ジークムント・フロイトやカール・グスタフ・ユングの極端な知名度の高さも挙げられるだろう。
「心理学者」というとすぐに名が挙がるのがフロイトでありユングであるが、両者の精神分析や夢診断なども、正規のアカデミズムとは遠い場所から生まれたものであることは念頭においておくべきである。フロイトやユングの立場もまた、科学的心理学の立場からはしばしば批判されてきたのである。
にもかかわらず、まるで心理学の代表者かのように二人の名前が挙がってしまうことは、世間一般ではまだまだ心理学への理解が浅いのだという事実を示している。
学術的なアプローチ以外で用いられる「心理学」という用語は、いずれも疑似科学、あるいはオカルトであると断じてしまってよいだろう。
なかには、心理学をかたって荒稼ぎをする悪徳カウンセラーもいる。「学」という語がついているからといって騙されないよう、心理学への正しい理解を心がけたいものである。