四柱推命占いは、中国の陰陽五行思想を由来とする占いの手法である。性格診断や結婚運、仕事運、金銭運、健康運、相性、年ごとの運勢など、占いに求められる大概の運勢をカバーする。東洋発祥の占術のなかでは、最も世界的にポピュラーなものだといえる。
大きな特徴としては、生年月日と出生時刻をもとに運勢を判断する点である。そのため、後天的な要素の介入する余地がほとんど残されていない。すなわち四柱推命では、「生まれながらに人間の運命はすべて決定されている」という考えかたによって運勢が推察されるのである。結婚や改名などによって運気の変動する可能性がある姓名判断とは、正反対の価値観だといえよう。
「四柱推命」という呼称は日本独自のものである。中国の原書にはこのような記述は一切認められず、現在も中国では「子平」、「命理」、「三命」、「命学」、「八字」などといった呼ばれかたをするのが普通だ。
しかしながら欧米諸国では、「四柱推命」から翻訳した「Four Pillars of Destiny」や「Four Pillars Astrology」といった呼称が定着しており、「四柱推命」のほうこそがグローバル・スタンダードの呼び名だともいえる。
四柱推命の成立年代は諸説分かれている。一説には紀元前400年ごろからはじまっていたともされるが、明確に文献が残っているのはずっと遅く、1100年代に入ってからである。現在のところ最古の書物なのは、南宋の徐居易(徐子平)が残したものだ。
ベースとしている陰陽五行思想が古代から存在するものであるために誤解されがちだが、四柱推命そのものは随分と歴史の浅い占術なのである。西洋占星術や姓名判断といったほかの著名な占術と比較しても、かなり新しい部類に入る(タロット占いよりは古い)。
徐居易以降、1200年代の徐大升による『淵海子平』や1300年代の劉伯温による『滴天髄』、1500年代の張神峯による『神峯通考・命理正宗』など、何人もの著者によって四柱推命に関する重要な書物がつぎつぎと発表されていく。なかでも1900年代に入ってからは劇的に関連書の出版数が増えており、人々の四柱推命への関心が本格的に高まったのはさらに最近のことだと考えられよう。
また、ほかの占術がそうであるように、四柱推命においても多くの専門家がそれぞれ独自の説を発展させており、さまざまな流派に分けて捉えることが可能である(ただし、武田考玄のように流派の存在を否定する研究者もいるが、皮肉にも、武田の考えも便宜上「武田流」と分類されて扱われることが多い)。
日本においては、徐樂吾の影響が強いといわれる。これは、徐樂吾がきわめて多作家であったことと、伝来時期の問題である。
日本における最古の書物は、江戸時代中期に儒学者の桜田虎門が書いた『推命書』という書物であったことが確認されている。これは上述の『淵海子平』の翻訳書だった。しかし、このときはそれほど広まることはなく、また、桜田の翻訳もあまり良質なものではなかったという。
本格的に日本で四柱推命が認知されるのは、明治時代に阿部泰山が紹介して以降だ。阿部は中国の古書にも幅広く目を通しており、その研究成果を独自に発展させたものが泰山流である。その意志を継ぐ子弟も多く、泰山流は日本における四柱推命の最主流派となっている。現在書店で見かける四柱推命の書籍は大半が泰山流の系譜にある。ほかに、高木乗流や森千命流、上述の武田流、小山内式などが知られる。
四柱推命の解説をするまえに、まずは、そのベースとなった陰陽五行思想について把握しておきたい。
陰陽五行思想は、春秋戦国時代に生まれたものである。もともと「陰陽思想」と「五行思想」は別々のものだったが、両者を組み合わせることによってより複雑な解釈が可能となったわけである。
五行思想が確立されたのは紀元前300年前後だ。
五行とは、「木(もく)」、「火(か)」、「土(ど)」、「金(ごん)」、「水(すい)」のことを指す。古代中国においてはこの五つが万物を構成する五大元素だとされてきた。すなわち、あらゆるものをこの五行のいずれかに対応させることができる。以下に一例を示す。
【木】青、東、喜、目、犬、春…
【火】紅、南、楽、舌、羊、夏…
【土】黄、中、怨、口、牛、土用…
【金】白、西、怒、鼻、鶏、秋…
【水】玄、北、哀、耳、猪、冬…
すべての事象をいくつかのパターンに類型可能だとするこの考えかたは、西洋占星術におけるサインの概念との相似が認められる。いずれかがいずれかの影響を受けたのか、それとも偶然似通った思想が生まれただけなのかは判然としないが、占術が洋の東西を問わず共通の要素をもって発展していったことは興味深い。
五行はそれぞれ、相生と相剋のどちらかの関係で結ばれており、これが事象の属性や関係を決定する。
一方の陰陽思想は、森羅万象が陰と陽という相反する二つの属性の対によって構成されているという考えかただ。闇と光、暗と明、、柔と剛、女と男などなど、この思想も世界のどの文化で育った者にも理解しやすいものだといえよう。
ただし特徴的なのは、陰と陽はただ対立するばかりではなく、そうした裏返しの関係にあるからこそ世界の調和が保たれるのだと説明される点である。いずれか一方だけではバランスが崩れてしまうのである。陰と陽という文字のもつイメージから、日本人はつい善悪に二分して考えたくなってしまいがちだが、ここには善悪も優劣もないことに注意したい。
これらを組み合わせた陰陽五行思想では、五行それぞれに陰陽を配することになる。
【木】甲(きのえ)/乙(きのと)
【火】丙(ひのえ)/丁(ひのと)
【土】戊(つちのえ)/己(つちのと)
【金】庚(かのえ)/辛(かのと)
【水】壬(みずのえ)/癸(みずのと)
このようにパターンが二倍に膨れたことで、より細かな類型が可能となり、それぞれの関係も複雑になった。その分、より多くの事象について分析することも可能となっている。
この思想を発展させた形に、八卦や四神相応が挙げられる。風水にも援用される。また、暦における十二支・十干にも陰陽五行思想が応用されていることは有名だろう。
なかでも四柱推命は、この陰陽五行思想をより実践的な形で体現したものだといえる。
ここでいう「四柱」とは、「年柱」、「月柱」、「日柱」、「時柱」の四つの柱のことを指している。これはそれぞれ、その人の生まれた年、月、日、時間を五行に当てはめて表したものである。各柱にあたる十干を天干、十二支を地支といい、年柱の天干を年干、月柱の地支を月支などというように呼ぶ。
最も中心におかれるのは日干であり、ほかのパラメーターと日干の関係をそれぞれ考慮することで、その人の運命や生きかたを導き出す。これが四柱推命の基礎概念である。流派によってはここにさらにいくつかの要素を絡めることもあるが、四柱の捉えかたはいずれの流派においても一致している。
ただし、日本では事情が若干異なっている。生年月日は公的な書類等でも必要とされるため誰もが認識しているが、出生時間を重視する文化ではないため、なかなか記憶している人はいないのが実情だ。よって文化に合わせて、時柱を除外した三つの柱で診断が行われることも多い(三柱推命)。
しかしながら、四柱推命はあくまでも四柱が揃ってこそ意味をなすものであり、中国にはこのような考えかたは存在しない。三柱推命は日本独自に発展した亜流であり、四柱推命と同じものだとは捉えるのは適当ではないだろう。正しい四柱推命には四つの柱が絶対に必要である。
いかなる占術にも占える事象と占えない事象とがある。
四柱推命の場合は、生年月日と出生時刻を基準としていることからもわかるとおり、あくまで人間個人の運命をみるものである。景気の動向や世相を占うことはできない。また、ギャンブルやくじ運をみるものでもない。個人に密接でない現象については対象外だ。
また、運命が先天的に決定しているという点も悪い意味に誤解されやすい。たしかに、運命を変えることはできないが、四柱推命によって導き出された運勢を参考にすることで、よりよい生きかたを選択することは可能なのである。よい生きかたとは、性格や適性に沿った道を積極的に選んでいくことだ。
占いを受けるにあたって必要なのは、その占いがどういった性質のものなのかをしっかりと熟知しておくことである。当たる/当たらないだけで一喜一憂していてはいけない。診断結果を適切に活用する態度こそが、人生をより有意義なものにしてくれるのである。