除霊とは、悪霊がとり憑いたとされる人や場所などへ対し、あらゆる方法を用いてそれらを退散させ正常な状態に戻すことを指す。
人類創始の古来より、世界の各地域で除霊は行われてきた。
ここでは、除霊される霊の種類、道具やつかわれる文句、儀式の方法などを記していこう。
憑依された霊によって、除霊も異なる。
まずはとり憑かれた霊がどのようなものかを把握することが肝要である。
自分でどのような霊が憑依しているのか分からない場合は、信頼できる人に判断を仰ごう。
〈容易に除霊出来る霊〉
自分自身に「死の自覚」がなく霊界のルールに無知である霊の場合は、除霊は難しくないと言われる。
霊障も軽く、またとり憑かれている人間に理性が保たれている場合がほとんどである。
こちらは「セルフ除霊」などの項を参照されてもよいだろう。
〈取り除くのが難しいもの〉
霊そのものに「憑依する」という強い意志があるものは除霊が難しい。明確な憎悪、恨み、復讐の念を達成しようというものである。
霊障は徐々に重くなるのが特徴だ。ひどい場合はその人の人格がまるっきりかわってしまう、あるいは精神が崩壊してしまうこともある。
一般の人がこのような霊に手を出すのは、余りに危険である。
信頼できる霊能力を持った者などに相談した方がよい。
除霊でよく用いられる道具は、憑かれた霊の種類、信仰、個人によってさまざまである。
以下に系統立てて紹介していく。
・御札
各種宗教、または霊の種類によって御札に書かれる文句は異なる。
だいたいは、細長い短冊状の紙に墨で文字を書きつけられている。香を焚きしめることもある。
儀式の前、もしくは最中にそれはつくられる。
使用方法は、常に持ち歩く、部屋の決められた方位に貼るなどが挙げられる。
・石
一番多いのは水晶だろう。その他にはアメジスト、ムーンストーンなどを使うこともある。
儀式のときは、決められた台の上などに捧げられる。
・塩
粗塩、岩塩などが挙げられる。海に由来する成分であるせいか、浄化を促すと考えられているようだ。
これも皿や台の上に捧げられる。
・植物
日本でポピュラーのものは、榊の葉だろう。海外だと月桂樹が有名だ。その他には八手(やつで)の葉、ナナカマドの実や枝などを使うことある。
また神木としての木、炭なども使われている。
台の上に捧げる、または燃やすなどの方法が用いられる。
あとは、生姜やにんにくなどの香辛料的なものも有効だとされている。これらは儀式の時、所定の場所に吊るされることが多い。
・水分
アルコールはよくつかわれる除霊の道具だ。
日本酒やワインを供えることが多い。また「聖水」という宗教的な意味を持つ水も挙げられる。
これらは体の一部にかけたり、そのまま飲んだり、聖台に捧げたりする。
・火
主にろうそくなどが用いられる。
他の道具を燃やす、燻す、灯りとして用いるなどの方法が挙げられる。
・香りを出すもの
香を出すものは、特に有効だとされている。
一般的なものは線香や香木だ。植物由来のオイルを焚くこともある。
海外ではハーブも、とりついた霊の種類に応じて各種用いられるようだ。タイムやバジル、セージなどが代表的である。
燃やす、燻すなどして煙を出し、悪霊退散の効果を狙うパターンが多い。
・楽器
太鼓、木魚、鐘、鈴、シンバルなどの打楽器が多い。
儀式で使う文句を読み上げる際に、節にリズムをつけるように一定のテンポで叩かれるのが一般的だ。
・その他
「鏡」は宗派を超えて使われることが非常に多い。
キリスト教では「十字架」なども用いる。
除霊の際は、道具と共に特定の言葉が添えられる。
「般若心経」などを始めとする御経や、神道が由来の「九字切り」などが一般的だ。
普通の言葉で「どうぞ出て行って下さい」などと説得することもある。
主な形式は以下の通り。
・神道式
・仏教式
・キリスト教式
・その他の密教、土着の宗教にもとづいたもの
・新興宗教の独自の形式
・個人の霊能者の独自の方式
基本的には祓いを受けるものと祓う人の1対1、場合によっては小さなグループを作って行われる。
それぞれの道具を効果的に用いつつ、読経を中心として行われているようだ。
また、最近では個人的に除霊を行えるという簡単な形式のものもメディアで紹介されている。
ただ、高額な請求をする団体(個人も)の場合は、得てして効果がなく悪徳業者であることが多いので注意してほしい。
古の時代より、人類は霊の存在を信じ、また恐れてきた。
そのため、除霊には古い歴史がある。
世界と日本に分け、以下に解説していこう。
除霊の創始は、密教系や、土着の宗教の儀式などから発生したと言われている。
■BC1200~1000年ころ
一番古い除霊術は、インドの「ヴェーダ聖典」の中に記されている。
古代インドに根付いていた多神教の神々の世界へ、遊牧民族のアーリア人が侵略してきた。
この中には「バラモン」と呼ばれる、シャーマン集団が存在した。
彼らは神秘的な力を有し、交霊・除霊などの行為をいともたやすく行っていたという。
そしてアーリア人はこの地へ戦争を仕掛け、我がものとするべく、自分たちを讃える文句や勝利宣言などを吟唱し、インドの神々の怒りに触れた。
ただしどちらの力も拮抗していたため、簡単に勝負はつかず、長気に渡る大戦争になったのだという。
■紀元ころ
イエス・キリスト
キリストは、有史以降、最大のシャーマンであったと言い伝えられている。聖書の中には、手かざしや言葉かけで病人を治す、いわゆる「奇跡」を起こすくだりがいくつか描かれているが、これは除霊による効果なのではと推測されている。
以下にいくつかの具体例を挙げる。
マタイ8章16節
多くの人民が、イエスの元へ悪霊にとり憑かれた人を連れてきた。彼は、神からの言葉をかけることによってそれらを追い払うことに成功した。
マタイ12章22節
悪霊にとり憑かれて目が見えず、また話すことも出来なくなっている人へ対し、イエスは彼を癒し、しゃべったり目を見えるようにされたりした。
マタイ17章18節
イエスが叱ると、悪霊がその子どもから出ていった。そして子どもは癒されたのだった。
これらは全て除霊の効果であろうと考えられている。
■紀元前4~紀元6世紀ごろ
中央ユーラシアからモンゴルにかけて、匈奴(後の鮮卑、高車、柔然、突厥も含む)と呼ばれる遊牧民族がいた。彼らの宗教は交霊技術を持つシャーマンを中心とした密教をベースとしていた。悪霊退散(除霊)なども頻繁に行われていたと考えられている。
これは、チベット仏教などにも伝承されていった。
また、古代中国や東アジア~北アジアなどにもよくある実践のため、アジア一円に広がったものだとみられている。
この後、除霊は有史から身を潜めてしまう。
再び現れるのは19世紀になる。
■19世紀~20世紀
この頃、イギリスを中心として、霊的な世界への理解が浸透していった。それに伴い、憑依現象や除霊も盛んに行われるようになったのだ。
イギリスには「英国スピリチュアルヒーラー連盟」という団体も存在する。
霊の憑依は様々な病気を身体へ引き起こすと考え、医学の一環、治療行為のひとつとして除霊術を用いることが多い。
以下には、歴史に名を残した有能な除霊術師や、ムーブメントのあった地域をあげる。
■ハリー・エドワーズ(英 1839~1976)
イギリスのスピリチュアリズムをベースとした心霊治療家。
スピリチュアル・ヒーリングと銘打った心霊治療を用い、多くの患者を救ってきた。現代医学では治すことが出来ないとされてきた人々へ対し、交霊術や除霊術を生かして治癒に当たり「奇跡のヒーラー」と呼ばれていた。
1947年には地元イングランドのサリー州に自らが主宰する治療院を設立、1950年代に入るとその名は一躍有名になった。1954年には公開治療実験を行った記録が保存されている。
また、NSFH(英国スピリチュアルヒーラー連盟)の創設者でもある。
彼と共に治癒に当たった治療家には、エドワード・フリッカーやゴードン・ターナー、M・H・テスターなどが挙げられる。
■カール・ウイックランド(米1861~1945)
スコットランド系アメリカ人の精神科医。
彼は、精神病の原因の一つに、霊の憑依現象があると考えていた。霊媒体質の妻の体へ霊をいったん乗り移らせてから話を聞いて浄化させるという、交霊・除霊術を施すによって患者の精神病を次々と直していったという。
ジョージ・チャップマン(英)
イギリスの消防夫。しかし、ある時亡くなった眼科医に憑依されたことから、患者に触れることなく目の疾患を治せるようになったという。
彼の施術は、イエス・キリストが行っていた除霊に酷似していると言われていた。
■20世紀
フィリピン・ブラジル
19世紀にアラン・カルデック(仏 教育者、「霊の書」著者 1804~1869)が提唱したスピリチュアリズムが、20世紀に入ってからブラジルとフィリピンで発展していった。
ブラジルではホセ・アリーゴ、フィリピンではトニー・アグパオアという心霊治療がそれぞれ有名である。彼らは除霊術や憑依現象を用いて霊的治療を行う、スピリチュアル・ヒーラーとして活躍していた。
特にフィリピンでは、1989年にスピリチュアル・ヒーラーの団体が発足し、現在も数百人がここで学んでいる。そして多くの人がこの技術によって救われている。
■古代
古来から八百万の神を信仰する神道が根付いていた日本では、病気や家庭・子どもの問題などは悪霊にとり憑かれることによって発生すると考えられていた。
邪馬台国時代、卑弥呼が巫女、すなわちシャーマンだったことはよく知られている。彼女は、除霊や交霊などの神秘的な力を用いることによって人心を掌握し地域を統治していた。
巫女は、長い髪を後ろに結ってたらしている。
これは「髪の毛は霊的なものをキャッチするアンテナである」と考えられていたためだ。ゆえに長く伸ばして霊力を強めようとしていたらしい。
■平安時代
平安の朝廷には「陰陽寮」と呼ばれる部署があり、陰陽師などが仕えていた。
安倍清明などが有名である。
その当時、天変地異や飢饉、事件、事故などが続いたとき、それを「鬼」の仕業だと考えていた。
そしてそれを退治するのが彼らの役目とされていたそうだ。
「鬼」といっても、現代の角が生えている妖怪のようなものではなく、いわゆる悪霊全般(怨念を持つ死霊、生霊、自然霊などの妖怪)のことを指していた。
彼らはその原因を突き止め、祈祷や除霊などを施していたそうだ。
■鎌倉時代
鎌倉時代には仏教文化が隆盛をとげてきた。
基本的に仏教には「除霊」という概念はないのだが、日本に伝来し少しずつ変化してきた結果、そのような役目をになうこともたびたびあったと言われている。
そのひとつに妙本寺がある。別名で「蛇苦止明神(じゃくしどう)」とも呼ばれる。
「吾妻鏡」の一節に、1260(文永元)年、第7代執権北条政村の娘が、錯乱状態になったとの記録がある。
これは、かつて北条一族によって滅ぼされた比企家の娘、讃岐局の怨霊にとり憑かれたせいだとされた。まるで蛇のように体をくねらせて苦しんでいたという。
政村は、加持祈祷や写経などで霊を沈めさせ、娘が回復した後に、比企家の邸宅があった地にこの寺を建立としたそうだ。
■江戸時代
この頃になると、仏教僧が祈祷・除霊を行うことが主流となっていた。
最も有名な除霊術を使う祈祷僧は、祐天(ゆうてん1637~1718)である。
彼は、徳川綱吉やその実母である桂昌院に重用されていた。
もともとは下総国の、小さな浄土寺の出身である。
しかし将軍家で力を発揮したことから、浄土宗総本山の大僧正にまで出世している。
入り組んだ因縁にとらわれていた霊を成仏させたり、様々な悪霊を除霊したりなど、そのエピソードには事欠かない。
後に、彼の逸話を元にして作られたストーリーが数多くある。
主なものに、滝沢馬琴の「新累解脱物語」、歌舞伎の「累」、怪談噺「真景累ヶ淵」(三遊亭圓朝)などが挙げられる。
また、水子に戒名をつけて除霊・供養する「水子供養」をおこなったのも彼が最初なのではと言われている。
当時、7歳以下の子どもは「神様の子」とされて一般的な供養がされなかった。
しかし、水子の供養、そして除霊をしっかりと取り行うことで、母親たちの気持ちをなぐさめるのにひと役買ったのだそうだ。
■昭和・戦中~戦後
昭和に入ると個人で祈祷・除霊をしている人が徐々に脚光を浴びてくる。
太平洋戦争の最中、九州の長洲に松下松蔵という人がいて、除霊を元にした治療家として名をはせていた。
彼の内は普通の農家である。にもかかわらず、当時は治療不可能と言われていた結核やガン、ハンセン病などをたちどころに直していたのだ。
それはヒーリング・除霊に、たいへん酷似した方法で行われていたそうである。
その成果は大変話題になり、毎週末、最寄駅から送迎バスが出ていたほどである。
「神人 松下先生」(九州毎日新聞社主 澤井元善著)に当時の詳細なエピソードが記載されているとのことだ。
また現代では、さまざまな除霊を謳った宗教団体、個人による活動などが多く見られる。
その大半は商売目的の場合が圧倒的であるため、信頼できる人をよく見極めなくてはならない。
除霊とは生きている人間や”物体”に悪さをする霊が憑依(※)した時、霊能者(※)と言われる者が意図的にその霊を引き離す行為の事を言う。
除霊は宗派により様々な考え方があるが、憑依した霊を諭すのではなく、無理やり引き離す行為を除霊という事が多い。
除霊の儀式など行い方も様々で宗派により異なる。
御経や呪文を唱える方法、札や石を利用する方法などが一般的に取り上げられるが、多くは芝居や商売として成立させるための手段である。
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また人に憑く霊以外に除霊を行う必要のある物体は主に以下のものが挙げられる。
土地/建物/人形/石/木/井戸
その他にも物体がある限り霊は憑依する可能性があるが、主に人に災いなどを齎す恐れのあるものは以上となる。
土地の除霊や井戸の除霊等においては特に催眠などの高度な技術の要らない儀式で終わらせる事が出来るため、物体の除霊を専門にしている偽霊能者も非常に多い。