日本民族の間で自然発生し、その生活を支えてきた固有の民族宗教、自然宗教のこと。また日本民族の精神的基礎となる道徳観念も神道と称される場合もある。
超人的なもの総べてを神とする多神教であり、人物を神格化すると同時に、神を人格化し、神人合一の念から最終的に神と皇室、皇室と氏族とを統一する。教義や経典は明確には存在せず、理論立てることは敢えてしない。神の霊魂は動の性質を持つ「荒(あら)魂(みたま)」「奇(くし)魂(みたま)」、静の性質の「和魂(にぎみたま)」「幸(さき)魂(みたま)」の四つに分かれるとして、一人の神を「荒魂」と「和魂」とに分けて祀ることもある。
1「神道」の語初見
古代中国で記された書物『易経』観の卦 篆伝に「天の神道を観るに、四時たがわず、聖人神道をもって教えを説きて天下服す」とあり、また『後漢書』中山簡王には「大いに冢塋を修せんとして、神道を開く」とある。前者では自然界普遍の原理を、後者では墓所への道を意味しており、我が国の意味とは異なる。
日本での初出は『日本書紀』用明天皇の巻であり、「天皇仏法をうけたまひ、神道を尊びたまふ」とある。こうして中国から伝来した仏教に対し、初めて我が国独自の信仰を神道と記している。しかし『古事記』では「本教」「神習」と、『日本書紀』でも「神教」「徳教」「大道」「古道」と記され、この時点ではまだ統一されていない。『続日本紀』以降から神道という語が一般化した。だが多様な解釈使用がなされた側面もあり、それは平安時代まで続いた。現在の意味で使用されるようになったのは鎌倉時代、伊勢神官の学問研究に用いられて以降である。
2原初時代
稲作文化が根付いた弥生時代に神道の原初形態は成立したというのが通説。国土の各地に人々が定着して共同体を作り農耕生活をはじめた時、四季の変化に合わせて行われるまつりを基礎に発生したとみられる。原初形態は自然崇拝、精霊崇拝、祖先崇拝の三本柱から成る。
3飛鳥・白鳳時代
六、七世紀に土着の神地神(くにつかみ)を祀った国社(くにやしろ)と高天原系の天神(あまつかみ)を祀った天社(あまつやしろ)とを区分して、その神社を維持するための神地(かんどこ)、神領(しんりょう)、つまり神社の経済的基盤となる土地や、田畑、それから仕え働く人々を定めて国家が管理する制度を確立した。仏教が伝来し寺院建設が積極的に行われると、その影響を受けて社殿建設が各地で行われた。
4奈良時代
仏教全盛期であったが、地方では有力神社が信仰を集め年中行事を整備した。伊勢神宮はその中で職制や設備、社の階級などを定め、組織としての機能を高めた。また道教思想を取り入れ、さらに信仰を集めた。
5平安時代
神道が仏教と融和し始めた時代。神前読経や神社に付属する神宮寺の建立が行われるようになる。何故ならば奈良時代の影響から仏教信仰が盛んになった結果、仏を神より上位に位置づけ、神は人より上位に位置するが、人と同じく煩悩に悩む衆生であり、その苦悩から逃れるため神は仏法救済を求めている、という思想が発生したからである。
また仏教的な罪の観念と神道のたたりを結び付けた、怨霊に対する御霊信仰が盛んであった。国家的に怨霊を恐れ、神社祭祀に関する制度はこの時代にほぼ完成した。有力神社に経済支援を行い安泰を図り、国家の重大事には有力神社に朝廷から奉幣使が派遣される二 十二社の制が定められ、室町中期まで続けられた。
6鎌倉時代
源頼朝が鶴岡八幡宮を幕府の守護社に位置づけ厚い信仰を寄せたことから、庶民の間でも国家制度を離れ、八幡信仰や諏訪信仰等の神社信仰が再勃興する。頼朝の意思を継承して北条泰時は『御成敗式目』で神社の保護を盛り込んだ
7室町時代
鎌倉幕府の寺社制度を踏襲したが、政治の乱れと共に制度の拘束力は薄れ一時神社は荒廃した。各寺社の負担を減らすために室町幕府は寺家奉行を設置した。庶民の間では諸社の縁起を絵巻物にして説く縁起神道が盛んになり、信仰を集めた。
8安土桃山時代
信長、秀吉両社とも戦乱で破壊され困窮する神社の救済にあたったが、武力で政治に干渉する神社に対しては徹底的に勢力を排除した。信長は検地と焼き討ちを行い、秀吉は信長よりさらに厳しい太閤検地と刀狩を実施した。
9江戸時代
儒教が社会に浸透する中で、日本独自の思想を求める動きが学者の間で起こる。ナショナリズムと共に国学は発展し、神道はひとつの学問として研究される。この時より神道という語に精神的営みの意が含まれるようになる。民衆の間でも伊勢参りが大流行するなど、神道には再び熱い信仰が寄せられるようになった。
10明治・昭和時代
天皇による統治体制を強化するため「祭政一致」が唱えられ、神道は国教となる。こうして明治維新から第二次世界大戦終戦後に至るまで、国家の指導支援の下行われた神道を国家神道と称す。因って神仏分離令が出され、廃仏毀釈運動が起こる。多くの寺は取り壊され、その上民間信仰は禁止され、神道全盛期が訪れる。しかし、国策に利用される黒い歴史の始まりでもあった。
国家神道では全国の神社が政府に直接管理され支配された。官弊社、国弊社、府県郷村社の三つに全国の神社に格付けし、その翌年には別格弊社(現靖国神社)が設置された。神官は世襲制か任命制とされた。
天皇は現人神として神性を付与され、日本は神国、戦争は聖戦とされた。この思想は第二次世界大戦中にピークに達した。