宗教によって、さまざまな天国・死後の世界が語り継がれてきた。
以下に主なものを説明する。
カトリック(旧教)とプロテスタント(新教)により異なる。
カトリックでは死後、魂は審判を受け5つの世界のどれかに送られるとした。
1 天国 キリスト教を信仰し、教義を守った人が行く。
2 地獄 悪人、罪人が行く
3 辺獄 キリスト教が生まれる前に生きた徳の高い人や、異なる宗教を信仰する人が行く。
4 幼児の辺獄 洗礼を受けないで死んだ子どもが行く。
5 煉獄 キリスト教を信仰していたにもかかわらず、教義を守らずに死んだ人が行く。
また、イエスの復活信仰も関わっており、イエスの再臨後、天国にある魂のみが、さらに永遠なる神の国へ行けるかどうかの審判を受けられる。
プロテスタントでは、人間の人生を3つのステージに分ける。
1 この世に肉体を持って生を受けてから死ぬまでの状態。
2 肉体の死後、復活するまでの状態。
3 イエスの再臨後、肉体が復活した状態。
この世で死んだ後、魂はいずこかへ残り、イエスの復活を待っている。
イエスが再臨すると、キリスト教信者もそれにともなって肉体ごと復活し、天国で永遠不滅な存在になれる。その他の者は復活するものの、辛苦の待つ地獄へ進む、という教義である。
仏教とヒンドゥー教は、天国の概念はほぼ一緒だ。
両方とも「浄土」と「天界」があり、これは全く違うものである。
教義のもとで欲望や煩悩を捨て、悟りを開いて解脱すると行けるのが浄土で、これがキリスト教での天国に当たる。
浄土は、神(または仏)の御元にあると言われている。
天界とは六道のひとつで、「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」の中に分類されるものだ。解脱出来なかった魂は輪廻し、この中でさらに修行を重ねる。
勿論、その中で悟りの境地にたどり着けば解脱して浄土へ行くことができる。
キリスト教と似ており、死後、魂は審判を受ける。そこで天国行きか地獄行きかに振り分けられ、天国に行きつけばそこで永遠の魂を得られる。
天国に関する記述はかなり詳しく「コーラン(イスラムの教典)」に記されている。
「至福の楽園で、美しい少年が給仕をしてくれる。悪酔いすることのない酒や、果物、肉などを好きなだけ楽しむことができる」など、物質的快楽についてこまかく書かれているのが特徴だ。
神道には、いわゆる天国という概念はない。
神々のすむ世界を「高天原」と呼ぶが、死した魂が行きつく場所とは違う。ここには神々のほか、皇族のみが行ける。
普通の人は「黄泉の国・根の国・幽世(かくりよ)」などと呼ばれるところに旅立つとされている。ちなみに地獄という概念はない。
人はみな神の子であるので、死後は再び神の体内へと戻る。約1年ほどかけてあの世へと旅立ち、神の元へ戻った後は子孫や故郷を見守り続ける、と言い伝えられている。
現代的なスピリチュアリズムでは、これらさまざまな宗教の考えを混在させている。
主には、「死後の世界は何十層もの階層に分かれている」「再び輪廻し人間界へ戻ってくる」という仏教的なものと、「生前の信仰・生き方によって行きつく場所が異なる」というキリスト教的なものが多い。
浄土とは肉体の死後、霊魂(※)が行き着く場所の事を言う。尚、宗教により呼び名や目的が異なる。
浄土:仏教
天国:キリスト教
天津国:神道
多くの宗派が前世(※)の行いを正すために人は死後再び生まれ変わるとされている。(キリスト教や一部の宗教を除く)
しかし死後すぐに生まれ変わるのではなく、生前の行いを反省したり、来世(※)での課題や親を選ぶなどの時間を与えられる。その時間を過ごす場所が浄土である。
また生前の行いが悪い人や罪を犯した人は浄土には行けずに地獄に行くとされている。(一部の宗教を除く)
地獄では犯した罪の償いとして様々な苦痛が与えられるとされ、いわばこの世の刑務所のような位置づけである。