真霊論-宗教

宗教

宗教とは、人生において、人間が歩むべき道、あるべき心の状態など、生き方の指針を「教義」として持つ集団・団体である。
また、人間が従うべき監督者として、神などの人間の人智を超えた超自然的存在を想定し、かつその実在性を信じる人々の集団である。
宗教の多くは、絶対的な監督者である神的な存在以外にも、「開祖」「教祖」「教え主」「預言者」等と呼ばれる神格化された人間が存在し、信仰の対象とされる。
その宗教の教義を信じその教えに従うものは「信者」と呼ばれる。
宗教によっては、信者になる際に「通過儀礼」等と呼ばれる儀式を必要とする団体もある。
また、宗教によっては、信者になる際に、金銭が必要となる場合などもある。
こうした宗教に対する価値観やその存在価値、必要性、依存度等は、国や民族によって大きく異なっている。

三大世界宗教

宗教の分類としては、まず大きく「世界宗教」とその他の「民族宗教」に分類される。
「世界宗教」とは、世界中に広く信者を持つ宗教で、「キリスト教」、「イスラム教」、「仏教」である。
信者数はそれぞれ推定、キリスト教20億人(33%)、イスラム教(イスラーム)13億人(22%)、仏教3億6000万人(6%)である。※( )の%は世界人口対比。
信者数においては、仏教よりもヒンドゥー教9億人(15%)の方が多いが、信者の世界的な分布において仏教の方が広がりを見せているため、仏教が世界宗教になっている。
一方で、代表的な民族宗教は、イスラエルやユダヤ人が信仰する「ユダヤ教」、日本における「神道」、インド人が信仰する「ヒンドゥー教」などである。

一神教と多神教

宗教分類の2番目として、宗教は大きく、「一神教」と「多神教」とに分類される。
「一神教」とは、この宇宙において存在する「絶対神は一つ」(=唯一神)と考え、その神を礼拝する宗教で、「ユダヤ教」、「キリスト教」、「イスラム教」などがその代表で正確には「唯一神教」である。
一神教の中には、「他宗教における神々の存在は認めるが、自分たちが信仰するのはひとつの神」とする「拝一神教」もある。
一方で、多神教もさらに二つに分類される。
「単一神教」は、他の神々の存在を前提とし、その中の一柱を主神として特に崇拝する宗教で、古代インドの「ヴェーダ」などがこれに該当する。
「交替神教」は、多くの神々の存在を認め、目的に応じて崇拝する神も交替する。
日本の神道、インドのバラモン教、ヒンドゥー教などがこれに当たる。

アブラハムと五大預言者

預言者アブラハム(生年B.C.2166頃)は、ユダヤ人、アラブ人のルーツであり、同時に、「ユダヤ教」、「キリスト教」、「イスラム教」の始祖である。
すなわち、「ユダヤ教」、「キリスト教」、「イスラム教」は、本来、同じ神を信仰する同一宗教だといえる。
「ユダヤ教」、「キリスト教」、「イスラム教」の3つは、「アブラハムの宗教」と呼ばれる。
アブラハムの宗教の特長は、与えられた「聖典」を何よりも重んじる宗教という点であろう。
ユダヤ教の「旧約聖書」、キリスト教の「新・旧約聖書」、イスラム教の「コーラン」である。
アブラハムの宗教では、神だけでなく、その代弁者たる預言者・メシアが信仰の対象となる。
イスラム教における「五大預言者」は、ノア(ヌーフ)、アブラハム(イブラーヒーム)、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマド(モハメッド)とされる。
これを見れば、イスラム教がユダヤ教のメシアであるモーセ(モーゼ)や、キリスト教のメシアであるイエス・キリストを尊重していることがわかる。
現代において、様々に社会・国際情勢に大きく関わっているアブラハムの宗教間の対立であるが、そのルーツを紐解けば、本来対立すべきものではないことがわかるだろう。
また余談だが、よく「アラーの神」という表現があり、まるでイスラム教が「アラー(アッラー)」という名前の神を信仰しているかのイメージを持つ人が多いようである。
このイメージは間違いで、アラーとは英語にすればThe Godであり、アラビア語で「神」を意味する言葉である。

日本における宗教

文部科学省の宗教統計調査によると、神道系が約1億700万人、仏教系が約9,800万人、キリスト教系が約300万人、その他約1,000万人、合計2億900万人となり、日本の総人口の2倍弱の信者数になる。
これはいかに日本人にとって宗教が「あいまいであり、ご都合主義のもの」となっているかを示す統計である。
神道と仏教は「神仏習合」政策によって、明治時代まで融合させられてきた経緯がある。これが日本人の宗教観をあいまいにさせたひとつの要因といえるであろう。
また、神道も仏教も、特に信者になるための儀式(イニシエーション)はないため、掛け持ち信者になることも容易である。
こうした複合的な要因により、現代においては、「祈願は神道、葬儀法事は仏教」と使い分ける国民がほとんどであろう。
日本人のほとんどが、仏教式の葬儀によって送られ、仏教系のお寺のお墓に眠る。
外国人から見ると、これは仏教徒を意味するわけだが、日本人には仏教徒といった感覚は無く、「先祖からのしきたりに従っている」というのが正直なところであろう。
それを如実に表わすのが、12月のクリスマスである。
12月24日、25日になると、商業的な戦略も多分にあるが、日本人の多くが「クリスマス」と言ってお祭り騒ぎになる。
しかし、毎年4月8日に行われる仏教の始祖である釈迦の聖誕祭、「灌仏会(かんぶつえ)」(仏生会:ぶっしょうえとも呼ばれる)に関しては、仏教関係者以外はその存在さえ知られていないであろう。
また、時に霊感商法の格好のテーマとなる「先祖供養」という概念は、本来は仏教のものではなく、孔子を始祖とする「儒教」のものである。
日本人が今、仏教の教義と信じているものには、多分に「儒教」の要素があり、これは中国仏教が儒教を取り込んで日本に入ってきているからである。

《さ~そ》の心霊知識