本名はジョゼフ・マクモニーグル(Joseph McMoneagle, 1946年1月10日 -)。
フロリダ州マイアミ出身の遠隔透視能力者(リモート・ビュアー)である。
遠隔透視(リモート・ビューイング)とは、離れた場所にある事象を透視することである。
日本では「FBI超能力捜査官」というキャッチフレーズをテレビ局がつけたことで、そのネーミングで知られている人物である。
マクモニーグルがその秘めた才能を発見するきっかけになったのは、米陸軍時代に所属した極秘プロジェクト「スターゲイト計画」に参加したことだった。
「スターゲイト計画」とは、米ソ冷戦時代の60年代から70年代にかけて行われた、遠隔透視による仮想敵軍スパイ作戦だった。
70年代に本格化したこれら一連の「遠隔透視計画」には、著名シンクタンクである「スタンフォード研究所」の科学者、CIAと米軍、そして霊能者が関わっていた。
機密情報保持のため、透視を行うのは陸軍所属の兵隊から選抜された。
テストの結果、最も優秀な透視能力を兼ね備えていると判断されたのが、「被験者第001号」ことジョー・マクモニーグルだった。
陸軍時代にどんな透視結果を行ったかはほとんど機密事項もあり知られていないが、旧ソビエトの潜水艦建造の透視事例が知られている。
その潜水艦が建造されていたのは「白海に面した都市セヴェロドヴィンスク(Severodvinsk)」で、マクモニーグルは「通常の潜水艦に比べて2倍程度の巨大なものだった」と透視し的中させたようだ。
1995年まで続いた米国、CIA、軍部による、一連の「遠隔透視能力活用計画」(スターゲイト計画はその最終期の際に付けられたコードネームである)において、中心的な役割を果たしたマクモニーグルは、1984年には退役をしたが、その後はスタンフォード研究所の遠隔透視研究に民間人として協力している。
ちなみに「スターゲイト計画」はその後の情報公開によって、実在の極秘計画だったことがわかっている。
しかしその成果については「成果無し」という公式結果が発表されている。
マクモニーグル自身は、自分の超能力について「10代の頃に母親から虐待的なお仕置きを受けたこと、1970年にオーストリアで臨死体験を経験したことが大きい」と自伝で告白している。
つまり「スターゲイト計画」参加以前に、すでに超能力の片鱗を持っていて、それがこの計画に参加したことで開花したようである。
また、現在のマクモニーグルの能力には、「モンロー研究所」での訓練成果も大きく関わっているようである。
モンロー研究所は、幽体離脱研究の第一人者だったロバート・モンロー博士が創設した「幽体離脱研究所」である。
ここではヘミシングという特殊な周波数帯を使った「ゲイトウェイ・プログラム」という手法によって、肉体から意図的に離脱し、アストラル界を旅する方法を教えている。
マクモニーグル氏の奥さんは、モンロー博士の娘さんであり、マクモニーグル氏自身もこの研究所で幽体離脱の手法をマスターしたことが知られている。
マクモニーグル氏が出演した番組を見た方ならご存知だろうが、マクモニーグル氏は遠隔透視によってターゲットポイント周辺地の的確で緻密な地図を描くことができる。
米国にいながらにして日本のとあるスポットを遠隔透視させて、その場でスケッチさせた絵が、極めて具体的で精巧に描かれ、細い路地の詳細まで的確な理由は、単に遠隔透視というだけでなく幽体離脱によってターゲットポイントを見ることができるからであると推定されている。
マクモニーグルが「ゲイトウェイ・プログラム」を使って幽体離脱し、イエス・キリストのエネルギーと遭遇した体験を以下のように綴っている。
「透視目標に意識を向けると、光のチューブが見えた。
エネルギーの柱と形容したはうがいいかもしれない。神のごとく進歩した存在が、一時的に、その男の肉体を支配しているようだ。
場所はいろいろだ。
大昔の南米では、男は語り部か教師のような存在として、アメリカン・インディアンの二、三の部族をめぐっていた。
その場所からは十年も経たないうちに消滅した。また、古代ギリシャ時代のごくはじめ、有名な哲学者たちがあらわれる前にも同じことが起きて、学校らしき場所が二、三か所開かれた。中国でも同じようなことが起きている。
いずれも、ある人物が現世に肉体としてあらわれるという点で共通している。
身長一八〇センチメートル強もある。
当時としては背の高い男だ。
鳶色の髪でも 肌はあまり浅黒くない。
ある時代にあらわれた男をキリストと呼んだ。
かれは当時の社会で変人扱いされている。
真実を求めて二十代のはじめに砂漠に入り、文化的に大きく異なる部族とともに暮らした。
真実をつかみとるために、肉体的な苦行と摂想をずいぶん行ったようだ。
そして男は、高次の存在が肉体を支配することを許し、学究の中心地へとおもむいた。 かれは見識のある男だった。
理想をむき出しにするのではなく、神秘化の道を選んだ。
現世の欲望からは距離を置き、人の知性にひらめきを与えた。
彼の理想とは、人類のひとりひとりが交流しあうことだ。
交流それ自体が学習であり、発達と成長である。
雑立(意味不明)や干渉もつきまとうが、それらは自分が生み出した恐怖という感情に起因する。
恐怖に対処する術を学べばいい。
恐怖の対極に生命の目的がある。「隣人を愛せよ」という言葉で言い表されることもあるが、もっと包括的な、交流する意欲。
人は交流して学びたいという思いに突き動かされている。
だれも自分が絶対に正しいとは言えない。大事なのは交流そのものであり、交流から真実が生まれる。
そして、さらに真実と真実が交じりあい、枝を大きく広げていく。樹木の生長と同じだ。あらゆる要素を含み、善悪の区別はしない。
これが、男の考えだった。