心霊写真とは、霊や神仏、エクトプラズムといった不可視的で本来映るはずのない霊的事象が写り込んでいる写真のことを指す。
英語では「Spirit photograph」あるいは「Psychic photograph」などと呼ばれ、日本においてもかつては「幽霊写真」や「霊感写真」等といった呼称のぶれがあった。現在の「心霊写真」で定着したのは、1970年代中頃にあったオカルトブームのころだとされる。
心霊写真にも、偶発的に生まれたものと意図的に作られたものとがある。
前者は、記念写真や集合写真といった、まったく別の目的をもって撮影された写真に写り込んでしまう場合である。一般にテレビや雑誌などで衝撃的な心霊写真として紹介されるのはこのタイプのものだ。予期していなかった現象だからこそ人々は恐怖を覚える。
撮影場所が以前になんらかの事故の発生した現場であるとき、心霊写真になりやすいとされる。また、滝や山岳地帯などの観光地は、自殺の名所であることも多く、やはり霊が写り込みやすくなる。過去に死亡事故を起こした車がたまたま写っているときもまた、心霊写真となりやすい。目には見えないがたしかにそこに霊が存在しているからこそ、写ってしまうのだ。
後者は、霊能力者が霊を呼び出したうえでそれを被写体として撮影するものである。撮影霊媒と呼ばれるテクニックだ。この場合は、霊を写り込ませようという明確な意図があり、かつ、多くはその霊の近親者からの依頼で実施するものであるため、恐怖の対象として扱われることはほとんどない。ただし、事情を知らぬ第三者がなんらかの事情でこの写真に目を通した場合は、やはり偶発的なものと同様、恐怖を覚えたとして不思議はない。
心霊写真という概念の誕生は、撮影霊媒の需要と大きく関係している。
霊媒という行為を通すことによって霊と対話しようという試みは、世界中で古くより行われていた。しかし、あくまでもそれは非科学的な事象でしかなく、証明する方法はなかった。
ところが1848年、アメリカのマーガレット&キャシー・フォックス姉妹が、画期的な霊との対話法を公表する。これは、姉妹の問いかけに対して、霊があたかもモールス信号を送るかのように壁を叩き、それを解読することで会話を成立させるというものだった。霊媒の世界に実証可能な科学が導入されたのである。
これを受け、人々はより新しい科学技術を利用することでどうにか霊的現象を科学的に立証できないかと試みた。その記録手段として、視覚に直接的に訴えかけることが可能な写真ほど適したものはなかった。
歴史上はじめて心霊写真の存在が公表されたのは、1862年、アメリカのオカルト雑誌『The Spiritual Magazine』の記事においてだったとされる。この記事のなかで、ボストン在住のアマチュア写真家ウィリアム・マムラーが心霊写真を撮影したことが報告されている。この心霊写真は、マムラーが彼自身を写したもののなかに、10年以上前に亡くなった従兄弟が偶然写り込んだというものである。これは、フィルムの発明により写真技術が大衆化することになる1884年より、20年以上も早くのできごとであった。
のちにマムラーは心霊写真撮影をビジネスとして軌道に乗せ、一定の成功を収めているが、結局最終的には捏造の疑義をかけられ、国外に逃げている。肝心の最古の写真もネガごと破棄されてしまっているため、これが作為的な心霊写真であったかどうかは確認のしようがない。しかしながら、心霊写真というものの存在を世に知らしめたという意味では大きなできごとであった。
以後、ヨーロッパでも心霊写真という現象は注目を集め、多くの写真家や写真館が心霊写真を売り物にした。同時に、そのトリックを暴こうとする奇術師たちも多く登場した。大半は人為的に捏造されたものであったが、技術的・科学的に説明がつかず、本物の心霊写真だとされたものもある。
トリック写真の事件としては、1916年から1920年にかけてイギリスで起きたコティングリー妖精事件が有名だ。コティングリー村に住むフランシス・グリフィスとエルシー・ライトという二人の少女(二人は従姉妹同士であった)が妖精と一緒に写ったこの何枚かの写真は、何十年ものあいだずっと本物だと信じられてきた。一部には疑う声もあったが、少女たちはかたくなに写真が本物だと主張し続けた。
ところが、撮影から実に66年も経過した1983年、すでに老婆となっていた二人は、これらが偽造したものだと突如告白したのだった。妖精の絵を切り抜き、それをピンで固定することで撮られたものだった。
だが、心霊研究家のエドワード・ガードナーや、当時心霊現象に傾倒していた小説家のコナン・ドイルらは、ずっとこれを本物だと認めていた。
日本においては、1970年代に女性週刊誌を中心に心霊写真ブームが巻き起こった。日本が特殊だったのは、この真偽を鑑定するのが科学者や奇術師といった専門家ではなく、霊能者であった点だろう。テレビ番組などで心霊写真の鑑定がなされる場合、招かれるのは宜保愛子や織田無道といった人々であった。この点は、霊の存在に寛容な文化をもつ日本らしいといえるかもしれない。
心霊写真だと称される写真のなかには、霊とまったく無関係の事由によって心霊写真かのように見えてしまっているだけのものも少なくない。
木や森、岩といった自然界の造形物が被写体である場合には、陰影の加減によって人の顔に見えてしまうことがままある。これは、専門用語でシミュラクラ現象(類像現象)と呼ばれるものである。人間の目は、三つの点が集まった図形を捉えると、それを顔だと認識するようにプログラムされている。そのため、なんでもない自然の陰影が心霊写真に見えてしまうのである(なお、これは、1990年ごろに話題となった人面魚と同じメカニズムでもある)。
また、ガラスによる反射や、レンズフレアなど、技術的な問題に起因する場合も非常に多い。一般にオーブと呼ばれる有名な現象も、フラッシュのストロボ光が水分や埃などに反射して発生するものである。これは滝の近くで起こりやすいため、なおのこと心霊写真だと思われがちであるが、技術的に説明がつく。
これらはプロのカメラマンから見れば一目瞭然の失敗であり、心霊現象と呼べるようなものではない。アマチュアが気軽にカメラを扱える時代になったからこそ生まれた、技術革新の副産物といえる。
現在では、こうした技術的な原因による疑似心霊写真を意図的に再現することで、悪徳霊能者に騙されることのないよう警告しているウェブサイトも見つけることができる。こうした現象も、写真やカメラが身近な存在となったゆえである。
事実、19世紀には、もっと単純なトリックによる捏造写真がいくつも心霊写真だと発表され、信じられてきた歴史がある。このころのトリックは、たとえば遠近法を用いた単純な視覚上のトリックや、二重露光など、方法さえ熟知していれば誰にでも真似のできるものが多い。前述のコティングリー妖精事件のトリックとは比べものにならないほど稚拙だが、それでも信じる者が絶えなかったのは写真への馴染みが薄かったからにほかならない。
21世紀に入り、安価かつ高性能なデジタルカメラが普及してからは、偶発的な心霊写真はほとんど見られなくなったといってよい。オートフォーカス機能によってピンぼけが発生しにくくなったことや、露出もコンピューターによって制御されるため光量不足がなくなったこと、あるいは構造上フィルムを必要としなくなったことで、フィルム周りでのトラブルが原理的になくなったことが大きい。
他方で、誰もが容易に写真加工をできるようになったため、リアリティの高い心霊写真風の画像を作り出すことはますます簡単になってきてもいる。希少価値が薄れてしまったからこそ、いたずらで心霊写真を作ろうという者が減ったとも考えられるだろう。
心霊写真に写り込んでいる霊は、あくまでもその場やそこにある物体に執着している霊である。多くの場合は、被写体となっている人物とも撮影者とも無関係である。よって、霊と一緒に写真に写ってしまったからといって特別な措置をとる必要はないとされる。
一方で、被写体や撮影者に取り憑いている霊が起こした霊障であるという説をとる専門家もいる。
どうしても気になるのであれば、霊能者などの専門家に相談してみるとよいだろう。ただし、悪徳霊能者に当たってしまうと、必要以上に不安を煽られたうえに法外な費用を要求されかねない。まずは、それが本物の心霊写真であるのかどうか、冷静に検討してみることが先決である。
世に出回っている心霊写真の90%以上は意図的な合成や光の屈折等と言える。
心霊写真鑑定で霊能者に高いお金を払って視て頂くのならば、専門の写真家に視て頂く方がよっぽど明確な答えが出る。
ただ、専門家でも到底原因の分からない不可解な写真も中にはある。
写真中に数百体の全て違う人相で人間の顔が映っていたり、写真に写る人物の顔が明らかに歪んでいたり、悪戯に表情を変形されて写っている写真などはその可能性が高い。
特に首や足が消えてる等、ありきたりな心霊写真はその殆どが光の屈折によるもので、心霊写真ではないと言える。
心霊写真の殆どは、その土地に憑く浮遊霊による悪戯である。因縁を持つ霊や自爆霊などが偶然通りかかった人に助けを求めるために写真に写り込む事は殆ど無いとされている。
そんな遠回りな事をせずとも他に縋る所は沢山ある。
また、心霊写真鑑定をしている霊能者の殆どが、心霊写真ではない事を知っていながら商売をしている。
どんな写真も心霊写真と言えば、除霊や浄霊に結び付けお金に繋げる事が出来るためである。
不可解で心配と思う写真は神社でお焚き上げをして貰うか写真に詳しい専門家に視て頂けば無駄なお金を自称霊能者につぎ込む必要が無くなる。
もちろん、先に述べたように非常に低い確率で本物の心霊写真が存在するのも確かである。
捨ててしまって、災いが起こるとか、難病にかかるなど不幸が訪れるようでしたら専門の霊能者に視て頂く必要があるだろう。
それが、本当に心霊写真の影響であれば、力のある霊能者なら即座に解決してくれるはずである。
とにかく、すぐに心霊写真と決めつけるのではなく、一旦冷静に写真を見直して冷静に判断する事が大切である。