お炊き上げとは、古来から日本に伝わる、神事・仏事にまつわる風習のひとつである。「お焚き上げ」という表記もよく見られる。
具体的には、役目を終えたお札やお守り、あるいは使わなくなった古い神棚などの神具を神社仏閣に返納し、浄火によって燃やす儀式のことである。燃えさかる火そのもののことを指す場合もある。
お札やお守りに特別な効果があるのは、そこに神々の魂が込められているからである。これらを祀ると、強い神の気が結界のように張り巡らされる。そのおかげで、災いが訪れるのを未然に防いだり、遠ざけたりできるのだ。
しかし、神の力の効能も無限に続くわけではない。一年間も俗世のなかにまみれていれば、神聖なお札やお守りにも穢れが染みついてしまうのである。卑近なたとえだが、エアコンのフィルター交換をイメージすればわかりやすいだろう。そこで、お札やお守りにも定期的な交換の必要性が出てくる。
しかしながら、効果が薄まってしまったとはいえ、神の気の籠もったものを通常の家庭ゴミと同様に処分してしまうのは気が引けるという人も多いのではないだろうか。世話になるだけなって、あとは粗雑に扱うというのでは、神に対して甚だしく無礼である。一年間守ってもらった恩を忘れるべきではない。罰当たりなことを続けていながら、新しいお札やお守りの効果にばかり期待するのは身勝手にもほどがある。
そこで、人々はお炊き上げという儀式をするようになったのである。
仏事においても神事においても、火は清浄を意味する。火の神の力によって、宿った魂を天に帰すことができるのである。
また、このような火の力を頼って、現在では人形や印鑑、表札といった、神仏と直接関係しないものもお炊き上げの対象となる場合がある。遺品や手紙などをお炊き上げしたいと持ってくる人も少なくない。これらは、いずれも長期間使用していると魂が宿ると考えられている品々だ。思い入れが強く、処分しようにもなかなか処分できないのであれば、お炊き上げをすることは賢明な選択だといえよう。
いずにせよ重要なのは、しっかりと感謝の気持ちを抱きながら供養することである。そこまでしてはじめて、魂への感謝の念は伝わるだろう。お炊き上げには、感謝の意を目に見える形で神々に見せようという意図もあるわけである。
お炊き上げは、日本中のほとんどの神社仏閣において、毎年きまった時期におこなわれている。その時期はそれぞれ個別に設定されているが、年末や年明けに実施されるケースが大半だ。これは、一般的にお札やお守りといった品々が、新しい年を迎えるごとに買い換えられるためである。初詣のついでに返納するほうが便利だという現実的な側面もあるだろう。
本来は、お札もお守りも、受け取った神社仏閣へ返しにいくことが最も丁寧なお炊き上げの作法である。感謝を示すのだから、当人に伝えるのが当然だ。しかし、旅行先で購入したものやプレゼントされたものである場合、わざわざ遠方の神社仏閣まで返納しにいくことは、とても現実的とはいえない。
こうした背景を踏まえ、ほとんどの神社仏閣では、どこのお札・お守りであるかを問わずに預かってもらえるはずである。事情が許さない場合は最寄りの氏神様に持参するのがよいだろう。もちろんその際には、双方の神社仏閣への感謝を忘れないようにしよう。
この点は誤解されやすいが、納めるのはいつでもできる場合がほとんどである。お炊き上げの季節まで毎年大事にとっておく人も多いが、不要になったのであればいち早く納めたほうがよい。穢れは穢れの近くに集まる傾向があるため、効能の切れたお札やお守りは、逆効果になる場合すらあるのだ。
ただし、人形や印鑑、表札などの場合は、あらかじめ問い合わせておくことが望ましい。たとえば、人形供養を請け負っている神社仏閣であれば人形を納めることは構わないが、どこでも実施しているわけではない。印鑑や表札も同様である。受け取った場所へ返しにいくのが大前提なのだということを念頭においておけば、預かってもらえないからといって文句をいってはいけないことは理解できるはずだ。
また、より現実的な注意点としては、プラスチックやビニール類、金属類が混ざっている場合は事前に取り除くことを忘れないようにしたい。神事・仏事であるお炊き上げも、法治国家であるわが国においては必ずルールの範囲内でなされなければならない。燃やしてはいけないものや、燃やすと有毒な物質を生成するおそれのあるものは納めないよう充分に留意しよう。
前述のように、お炊き上げは魂を帰す効果をもつが、どのようなものにでも対応しているというわけではない。
だが、お炊き上げができないからといってそのままゴミとして処理してしまっては、やはり無礼であることに変わりはない。
お炊き上げに向かない品を供養したいときには、家庭でお清めをしたうえで処分するとよいだろう。お清めにもさまざまな作法があるが、ここでは、なかでもシンプルで簡単なお清めの手順を紹介しておこう。以下に手順を示す。
(1)新聞紙を広げる。
(2)供養したい品物をその上に置く。
(3)塩を用意し、供養したい品物に、「左・右・左」の順で三度ふりかける。
(4)そのまま新聞紙でくるみ、処分する。
これで、お炊き上げを断られた場合でも心配なく供養ができるはずである。
ただし、言うまでもなく、これも感謝の気持ちを抱きながらおこなわなければ正しい供養にはならないことは忘れないようにしたい。
近年では、神社仏閣以外でも、お炊き上げを専門に請け負うサービスの存在が確認できる。こうしたサービスは、電話やインターネット経由で簡単に依頼ができ、代金も明確なため非常に便利である。扱う品物の種類も豊富な場合が多い。
だが、実態の見えにくいサービスである分、悪徳業者がはびこっている可能性も否定できないのが現実だ。大半は正しい供養をおこなってくれているはずだと信じたいが、それでも、なかには、ろくに供養もせずただ焼却炉に放り込んでいるだけの業者もいることだろう。残念ながら、外部からそれを見分けることは不可能に近い。おまけに、こういった業者はするべき義務も果たしていないくせに高額な料金を請求してくる。
こうした悪徳業者にだまされてしまっては、供養にもならずお金も無駄になるだけである。神々の魂も、あなた自身も、ともに不幸になってしまう。
お炊き上げの依頼をしたくなったときには、なんのためにお炊き上げをするのかを、よく考え直してみるべきだろう。神から見えないところで火を燃やしても意味はないのである。
よけいなトラブルを避けるためには、やはり、可能ならば神社仏閣へ以来するのが基本だ。
お炊き上げには、供養という目的以外にも、それ自体が伝統的な風習として存在している側面も強い。古来から伝わる文化は、できるかぎり保存していくべきである。そして未来に保存していくためには、間違った形で伝えることは厳禁である。
お焚き上げとは、御札やおみくじ、破魔矢、その他正月飾りなどを神社仏閣に納め、浄火によって燃やすことを指す。
一般的には年末年始に、その年の年始に購入した御札などを、購入した場所に納めて燃やす。その際、焚き上げ料が発生することもあるが、賽銭などで代用するのが一般的だ。
その他、最近ではお焚き上げ専門の業者も見られるようになった。こちらは、故人の遺品や思い出の品などを焼却処分してくれるところが多く、焚き上げ料金も別途請求される。
また、古くなった神棚や位牌、人形などもお焚き上げに出される。これらは上記とは霊的に違う意味を持つ。
日本では古来より、「ものや自然には魂がある」という多神教信仰が根強く存在する。
特に、正月飾りとして用いるお飾り・しめ縄や破魔矢、御札、御守り等には神の気が宿っているとされており、粗末に扱っては罰が当たると考えられてきた。それらを神社仏閣に納め、その年を大過なく無難に過ごしたことへの感謝の気持ちと、次の年への祈願成就の気持ちを込めて燃やす。また、厄払い的な側面も持つ。
起源ははっきりしないが、神社で行われていた「どんと焼き」と仏閣で行われていた「護摩焚き」が結びついて生まれたとされる。火には霊的に特別な力があるため、魂を天界へ魂を送り返す、あるいは浄化させるという意味合いがあったらしい。
その他、火への畏怖心など、古代人の原初信仰的な感覚も混ざっていると考えられている。
参考
・どんと焼き(左義長)
門松や正月飾り、書き初めなどを旧正月(1月15日前後)に神社で燃やすという行事。この火の上では団子が焼かれ、それを食すと1年間無病息災でいられるとされる。また、火の勢いが強く、高くなればなるほどその年は幸運であるとも信じられていた。
発祥は平安時代とされており、陰陽師が、お囃子や子どもの舞を従え、青竹の上に扇子や短冊を乗せて燃やし、その年の吉兆を占うというものだった。これが徐々に発展していったのではないか、と言い伝えられている。名称も地域によって違い、大阪では「とんど焼き」、京都では「左義長」、九州では「鬼火焚き」などと呼ばれる。
どんと焼きは、古来より伝承される祖霊信仰、民俗的風習の要素が強かった。
・護摩焚き
護摩焚きとは、御不動様の前に壇を設置し、護摩木という特別な薪をたいて、諸願成就を願う。元は密教系の仏教が発祥と言われている。
護摩の火は仏の智慧、薪は煩悩を表現しており、祈祷にて人の愚かしい考えなどを焼きつくすことで、願いや祈りが叶えられると考えられている、
また、護摩焚きに付随して「お火加持」も行われる。
これは、護摩札や御守のほか、大切にしているものを御護摩の火にあてて仏のご利益をもらうというものだ。炎には罪や災いを浄化するはたらきと、本来そのものに秘められた能力を最大限に引き出す作用も持つといわれている。
家の新築や職場の移転などで古くなった神棚を処分する際は、神社にて手続きの上、お焚き上げをお願いするのがよいと言われる。
神棚には神気が宿っているので、普通に処分すると神への冒涜行為に当たると言われる。そのため神社では「魂抜き」の御祓いをしてから浄化の炎にて焼却処分される。
特に時期は決められておらず、自分の都合のよい折に直接神社へ連絡すればよいだろう。
また、お焚き上げを頼む神社は、出来れば今まで住んでいた地元の氏神様で行った方がよい。
神気は居住している土地から頂くものなので、「世話になった土地へエネルギーを返す」というのが礼儀であるためである。
仏壇や位牌を新しくするときにも、古いものはお焚き上げに出さなければならない。
お盆や法要の際に新調される人が多いが、他の時節でも霊的に問題はない。
方法は神棚とほぼ同じである。檀家の寺にお願いするか、地元の寺に相談してみよう。現在では、宗派に関係なくお焚き上げに応じてくれる仏閣が多いようだ。
その他、死後30年たつと霊魂は「先祖代々之霊位」の位牌へと入るので個人の位牌は必要なくなる。
また、仏壇に多くの位牌が並んでいる状態は、霊にとってもあまりよくない。このような場合は回出し(くりだし)位牌への切り替えが推奨される。回出し位牌とは、一本でだいたい十霊分の板が入った位牌である。
不要になった位牌は寺で読経による魂抜きの後、お焚き上げの浄火で焼却処分される。
人形・招き猫・だるま、ぬいぐるみ等は仏閣で定期的に行われる人形供養をお願いすることが推奨されている。
人形供養とは元来、仏様へ「子供が無事健康にすくすくと育ちますように」と祈願し、その身代わりとして人形(ひとがた)を奉納したことがルーツと言われる。
今に比べて劣悪な環境の中で子育てしなくてはならない昔の人々が、強い思いを込めて奉納していたそうだ。
また、端午の節句(男児)の鎧兜、桃の節句(女児)のお雛様も、我が子の健やかな成長を願い飾られたものだった。
そして子どもが無事に育った後は、感謝の意を込めてお焚き上げし、報恩供養するという習わしである。現代ではこれらの他にぬいぐるみや、商売繁盛に用いただるまや招き猫なども同様の意で出されているようだ。
霊的側面から考えると、人形には古来より独自の魂が宿っていると言われる。そのため、神棚や位牌などと同じように御祓い・読経による魂抜きをしてから浄火により燃やされ供養するのがよい。