真霊論-おみくじ

おみくじ

おみくじとは、神社や仏閣などで引くことのできるくじのことであり、吉凶を占うものである。
正月の初詣においては、参拝をしたあとに、新しい一年の運勢を占う意味でおみくじを引く者が多い。このことから、参拝客の多く集まる神社・仏閣にあっては、賽銭に次ぐ収入源となっているケースもある。

「おみくじ」の表記について

言葉の成り立ちとしては、「くじ」に尊敬の接頭辞「み」を加え、さらに「お」を付け足すことで丁寧語にしたものである(「お-み-くじ」)。
よって、漢字で表記するのであれば「御御籤」となるのが妥当だが、一般的には、神社のものは「御神籤」、仏閣のものは「御仏籤」と区別されている。

おみくじの歴史と成立

神社・仏閣にまつわる多くの事柄がそうであるように、おみくじもまた、古代より祭事に関係してきた風習に起源をもつものである。
「神籤」、「仏籤」といった表記から窺えるとおり、おみくじは元来、神仏の意志を尋ねるものであった。政治の方向性や指導者の後継選びなど、国の重要事項を決定する際に、神仏への伺いを立てるべくくじ引きをしたわけである。
現在も、各地の祭礼において、町内会などの主催でくじ引きが催されることは多いが、これは、くじが神事・仏事と密接に関係していたことの名残だといえよう。
個人がおのおのの吉凶を占うために引く、現在のようなおみくじの形式は、叡山の高僧、慈恵大師良源によってなされたものが最初だといわれている。

みくじ箋~おみくじの方法

現代のおみくじにおいては、みくじ箋と呼ばれる紙片を用いるのが一般的である。
みくじ箋は、概ね以下のような内容で構成されている。
・みくじ箋の番号
・総合的な運勢
・吉凶
・個別の運勢
これらの内容が漢文と書き下し文と両方で書いてあるケースも多い。また、参拝客が多い有名神社・仏閣では、英訳も添えてあることがめずらしくない。
みくじ箋の指定にいたる方法としては、以下のものが代表的だろう。
(1)みくじ棒1
木製の筒状の箱(みくじ筒)から細長い棒(みくじ棒)を取り出す方法。
みくじ筒には、みくじ棒一本分にちょうどよい穴が空いており、振ってさかさまにすればおのずと一本が選ばれることになる。取り出したみくじ棒の先端には番号が記されており、その番号に対応したみくじ箋と引き替えてもらう。
神社・仏閣側としては手間と時間がかかるのがデメリットであるが、儀式の名残として考えればその手間暇によってくじの神秘性が増してみえるメリットもある。
参拝者からすれば、神仏に仕える者からみくじ箋を手渡されることで、おみくじが本来もっていた「神仏の意志」という側面を感じ取ることもできる。
(2)みくじ棒2
上記方法と基本的には同じだが、みくじ棒とみくじ箋を自分で交換するケースである。
この場合、箪笥のような整理箱がみくじ筒の近くに置いてあり、引き出しそれぞれに番号が書かれている。対応する番号の引き出しから、いちばん上にあるみくじ箋を取り出すのである。
この方法をとれば神社・仏閣側の手間暇は省ける。だが、多くの場合おみくじ料の支払いの段階からすべてセルフサービスでおこなわれるため、セキュリティ上の不安がある。混雑時などは誰も確認していないため、所定の金額を払わないままおみくじを引いていく者がいたとしても気づくことができない。
また、セルフサービスであるがゆえに、引いた人間が「神仏の意志」を感じることはあまりできない。
(3)参拝者による直接選択
みくじ棒を介さずに、最初から直接みくじ箋を選ぶ方法。
箱のなかや三方の上などに、事前に折りたたまれた状態でみくじ箋が並べられており、参拝者は好きなものを選ぶことになる。
余計なプロセスが省かれているため、引く側としては、たしかに自分でくじを選んだという感覚が得られるのがメリットであろう。自分の選択と神仏の意志が直結するという感覚こそが、おみくじの醍醐味である。
(4)自動販売機
所定の金額を自動販売機に投入することで、みくじ箋を受け取る方法。
これは最も簡潔な方法であり、手間も時間もかからず、みくじ料の取り損ねも防げる。一見完璧な方法のようにみえる。しかしながら、あまりにも現代的な装置を用いているために、神仏のもつ神秘性は著しく失われているのが難点だ。
引く側としては、自分で選択した部分が一切なく、偶然性が排除されてしまっている。たまたまその順番に当たったというだけのみくじ箋が自分の吉凶を示していると捉えるのは、慣れなければ難しいかもしれない。
また、おみくじを「買った」という感覚が強く植え付けられてしまう。

吉凶に一喜一憂する必要はない

おみくじといったとき、一般的にイメージされるのは吉凶の項目である。
大吉、中吉、吉、凶といった結果はシンプルでわかりやすいため、どうしてもそこに注目が集まってしまうのだろう。テレビ番組でタレントがおみくじを引いた際には、その結果如何で一喜一憂する場面もよく放映される。
それを反映してか、近年では凶の割合を減らす神社・仏閣もあるという。
しかしながら、真に重要なのは、吉か凶かといったことよりも、運勢の部分でどのように説明されているかである。吉凶の種類は神社・仏閣によってさまざまなバリエーションがあるため(たとえば、凶の下に大凶があるところもあるし、さらに大大凶があるところもある)、そこだけで判断をするのは早計といえよう。
説明をしっかりと読み、咀嚼し、解釈したうえで、どのように日々を過ごしていくか。この態度こそが、以後の運勢をきめるのである。
凶が出たならば、それは吉へと転じるチャンスだと捉えるべきだ。また、吉が出たからといってあぐらをかいて暮らしていては、よい運勢が逃げていくことも大いにありえる。
なにも、おみくじは一度しか引いてはいけないわけではない。運気が変わってきたと感じたならば、その都度引けばよいのである。そうすれば、そのときの状態を最もよく表した結果が出るはずである。
ただし、大吉が出るまで何度も同じ日に引き続けるといったことはあきらかなマナー違反である。内容をしっかりと読み込み理解することなく引いたおみくじは、ただの紙切れ同然なのだ。せっかくおみくじを引くのだったら、正しく引きたいものである。

持ち帰るのか? それとも結びつけるのか?

引いたあとのおみくじをどのように扱うかは、諸説ある。この問題はしばしば議論の対象となるが、結論としては、神社・仏閣によって異なるというのが正しい。持論や自身の地元での風習はさておき、引いた神社・仏閣それぞれの作法に従うべきだろう。
木の枝に結んでくるという有名な風習があるが、これも、凶のときだけというケースもあれば、すべてというケースも見られる。反対に、どのような場合でも持ち帰るべきという神社・仏閣も存在する。
また近年では、枝に結びつけることで木の生育に悪影響を及ぼすという観点から、これを禁止している場合もある。専用のみくじ掛けがある神社・仏閣であれば、そこにおみくじを結んでくるのがよいだろう。
いずれにせよ、わからない場合は対象の神社・仏閣に尋ねてみるのがベストである。日本には八百万の神が存在するのだ。おみくじの作法がそれぞれ異なることは、まったく不自然なことではない。
もちろん持ち帰る場合も、一度しっかり読んだからといってゴミと同然に扱ったり、丸めて捨ててしまってはいけない。お札や護符に対してそうするように、神仏の意志のこもったみくじ箋にも相応の感謝の念を抱く必要がある。
やはりお札などと同様に、お焚き上げのときに神社・仏閣へ納めるのがマナーであろう。
おみくじをただの紙切れにするか、未来を示す貴重なメッセージとするかは、引いた本人の心がけ次第なのだといえよう。

《あ~お》の心霊知識