運勢とは、一般的な辞書においては「人の持っている幸運・不運の巡り合わせ」等とされる。
しかしこの解説では「幸運・不運とは」ということが明解ではないため、少々不適切といわざるを得ないであろう。
そもそも「運勢」とは占い用語である。
従って、厳密に言うと、占いの流派や占い師の考え方によって、「運勢」の意味や解釈は異なっているのである。
細部に関しては様々な見解があるが、基本的に統一された「運勢」の意味として、以下のことが挙げられる。
まず、「運勢」とは「運命」には「勢いがある」、という占いの基本概念のことである。「勢いがある」とは、「流動性」を意味し、「運命」を取り巻く様々な環境や環境の変化によって、「運命」は「良くなったり」「悪くなったり」と変化するのだということを示唆しているのである。
「運命」とは何かに関しても、いくつかの意見がある。
一般の人はよく、「運命」を「宿命」と取り違えている。
例えば、「運命の人との出会い」という使い方がその典型であろう。
「運命の人」を「人生プランにおいてあらかじめ定められた、出会うべき人、いわくのある人」と解釈しがちである。
もしこう解釈したいのであれば、正しくは「宿命の人」となるべきである。
「運命」とは、読んで字の如しで、「運ぶ命」のことを意味している。
では自分の命は、誰がどう運んでいるのだろうか。
それを考えれば答えは明確で、自分の命は、日々の瞬間瞬間の自分の「意思・選択」によって運ばれているのがわかるであろう。
つまり「運命」とは、自分の命を運ぶ「意思や心のあり方」であり、その運び方の「選択方法」を意味しているのである。
従って「運命の人」を正しく解釈するのであれば、「あなたが自分の心の運び方の積み重ねによって、自らの意思で出会った人」ということになる。
簡単に言えば、「自由意志によって選択した人」である。
一方で「宿命」とは、同じく読んで字の如しで、「宿った命」である。
これは人間の命が誕生したその瞬間に、「ある方向性が決められる」ことを意味している。
古代インドにおいては、占星学としてこの「宿命」を科学していた。
それによれば、命が誕生した瞬間、その命は、天空の各惑星から受ける「引力関係」によって「本来進むべき方向性や活かすべき才能が与えられる」というものだった。
こうして、誕生と同時に与えられる「宿命」は、その人に一生ついてまわる「変更不可」なものであり、「意思・選択」によって作られる「運命」とは別の、その人間の「本質的な人生の縮図であり目指すべきゴール」と考えられたのである。
1)宿命を知る
「運勢を良くする」ための最適な方法は、まず「宿命」を知ることである。
「宿命」を知る手っ取り早い方法としては、「宿命」という概念をしっかりと取り入れている占術流派で自分の宿命を調べてみることであろう。
例えばインド占星術は、「宿命」を「アセンダント(上昇宮)」として重視している。
「アセンダント」とは、その人が生まれた時に、生まれた場所から東の上空にある星座である。
この星座がその人の宿命を司る星座と考えるのである。
例えば筆者は、西洋占星術でアセンダントを調べると「ふたご座」になる。
一方で、インド占星術で調べると「しし座」になる。
どうしてこういう違いが出るかと言うと、アセンダントの算出方法が、インド占星術と西洋占星術においては違っているからである。
では「ふたご座」と「しし座」でどちらが筆者の宿命に近いのかと比べてみると、明らかに「しし座」の方が、これまでの筆者の人生を代弁するリーディングが行えている。
つまり、あくまで筆者の体験に基づいたものではあるが、「宿命」を知るならインド占星術によって「アセンダントを調べる」というのはひとつの選択肢として、オススメできるものである。
また「算命学」も「宿命」という概念を取り入れた占術として知られている。
ただし、各占術が与えてくれるのは、あくまでも統計学に基づいた宿命の一部であり、宿命を知るヒントにしか過ぎない。
そこで、占術はヒントとして活用するとして、本来取り組むべき作業は、「自己内観」であろう。
「自己内観」とは、自分を見つめることである。
「自分がやりたいことはなんであろうか」、「自分は人生をどういう方向に導きたいのか」、「自分が活かせる才能はなんであり、そうれをどう活用すれば社会に貢献できるのか」など、自分の「宿命」を自分で内観によって探求するのである。
なぜ内観かと言うと、「宿命」は他人に聞いてもわからないものだからである。
自分の宿命は自分で探すしかない。
各占術であっても、それらはごく一部のヒントを与えてくれるだけなのである。
2)宿命を土台にして運命を作る
なぜ宿命を知ることが重要かといえば、それによって日々の運命が築かれるからである。宿命とは、いわば人生のゴールに向けた道筋である。
運命は、その道筋を毎日、探したどっていく作業である。
しかし多くの場合、宿命というゴールが定まっていないため、日々の運命はその日の気分や感情によって選択が変わるため、なかなか宿命の道を歩むことができないでいる。
つまり、運の良しあしも、気分次第で判断しているのである。
本来の「運が良い」とは、「道の選択の仕方が宿命に近づけたから良い」のであって、「その時の気分を満たしてくれたから運が良い」、というのは誤った認識と考えるべきであろう。
自分が目指す人生の方向性を「宿命」として設定して、毎日の選択の積み重ねである「運命」によって、いかに「運命を宿命と一体化させるか」ということが重要なのである。
3)直感の活用
じつは人間は、自分の与えられた宿命を知っている存在をその内部に宿している。
それが「魂」である。
内観とは、言い換えるならば、魂との会話でもある。
そして魂は、私たちが何かを選択する際に、それが重要な選択であれば、選ぶべき道を教えてくれているのである。
その声が響くのが、私たちの「直感」の中なのである。
直感的に行動した結果、「シンクロニシティ(共時性・偶然の一致)」が起こって、とてもスムーズに夢が叶ったという体験の持ち主は、筆者も含めてたくさんいる。
これは魂からのメッセージである直感が、宿命に基づいた選択肢を語りかけてくれているからであろう。
「運命」を作るのは、瞬間瞬間の選択である。
私たちはつい、選択を損得勘定や既成概念、習慣などで行いがちである。
「直感」はこうした左脳的判断を超えた場所からやってきている。
いつもいつも直感優先とまではいかないまでも、時に直感に判断を委ねていくうちに、信頼できるようになっていくであろう。
そうしたら日々の選択を直感的に判断することで、「運命」が「宿命」に近づき、「運勢の恒常的な安定・上昇」は実現できるのであはないだろうか。