音楽療法とは、音楽のもつリラクゼーション効果を利用して心身の健康を維持・改善しようとする治療法のことである。
現時点で科学的に実証された医療ではない。だが、誰しも好きな音楽を聴くと気分が軽くなったり楽しくなったりした経験はあるはずだ。反対に、落ち込んでいるときに暗い音楽を聴くのが好きという人もいるだろう。
このように、音楽が心にもたらす影響については、科学的な証明をまたずとも多くの人が実感しているに違いない。これをより体系的に捉え、医療の一分野として応用しようとしているのが音楽療法なのである。
古代より、音楽は儀式とともに存在したものである。近代医療が確立される以前は、病気や怪我の治療も厳粛な宗教的儀式のひとつだった。そこに音楽が用いられることは少しも不自然なことではあるまい。
元を辿れば、ヨハネス・グーテンベルクが印刷技術を発明する以前には、ストリート・ミュージックを除く大半の音楽は、常にきまった時間にきまった場所でしか聴くことのできないものであった。すなわち、あらゆる音楽には意味と目的があったのである。
たとえば教会音楽の多くが持続音を多用していることは、西洋の教会が高い天井をもっていることと関係している。反響した音楽が天から降りてくることで、それがまるで神のメッセージであるかのように、荘厳な雰囲気を付加する効果があったのだった。西洋で和音が発達したことも同じ理由だと考えられる。
芸術としての音楽が確立されてからは、音楽は音楽のためのものであり、それをなにかべつの目的に使うことは受容の仕方として邪道だと考えられがちになった。しかしこのように、歴史的な文脈にのっとれば、特定の目的のために音楽が使われるのはむしろ正道だともいえるのだ。
こうした音楽を、ドイツの音楽学者パウル・ネットルは「実用音楽 / Gebrauchsmusik」と定義している。演説には演説に適した音楽があり、体操には体操に適した音楽があり、行進には行進用の音楽があって然るべきなのだという考えである。音楽を生活のなかに再定義する試みであった。
ナチス・ドイツにおいては、音楽療法の研究がかなりなされたという。アドルフ・ヒットラーが音楽を効果的に用いることでプロパガンダを成功させたことはよく知られているだろう。
近年、ポップ・ミュージックの世界においても「泣ける音楽」であったり「ドライブのための音楽」であったりをテーマにしたコンピレーション・アルバムがよく発売され、ヒットを記録している。音楽によって気分や環境をコントロールしようという意味では、これも根っこの部分で音楽療法に通じているということができよう。
そもそも、20世紀以降のポップ・ミュージックが、用いるコード進行によって「明るい曲調」だとか「暗い曲調」だとかを指定しつつ、まるでパズルを組み合わせるかのように作曲されているものであることは、音楽理論を学んだ者にとっては常識である。
現代、われわれは音楽によって感情をコントロールされることを、自然に受け入れているわけである。
音楽をヒーリングの目的で用いた最も古い例としては、3000年まえのユダヤの逸話が残されている。羊飼いのダビデがハープを奏でたことで、王サウルの鬱病が治ったのだという。
宗教的なヒーリングにおいても、ほぼ例外なくBGMとして意図的になにかしらの音楽が流されていることが多い。この場合は直接的な音楽による効果ではないが、音楽があるのとないのとでは大きく影響も変わってくるはずである。
現代的な意味での音楽療法としては、第二次世界大戦中のアメリカがよく知られている。野戦病院で音楽療法を試みたところ、兵士の治癒が早まったのであった。この報告以降、世界各国で本格的に音楽療法の研究がなされるようになった。
現在では、音楽療法士の資格を認定している民間団体も少なくない。
より身近な例では、2000年前後、わが国の大衆音楽の世界でヒーリング・ミュージックがブームとなったことが挙げられる。『イマージュ』や『フィール』といったコンピレーション・アルバムがミリオンセラーとなり、坂本龍一のシングル『ウラBTTB』にいたっては200万枚近い大ヒットとなったことは記憶に新しいだろう。この現象も音楽療法と無関係とはいいきれないはずである。なぜなら、誰もが、あきらかに「癒されるため」にこれらのCDを購入したからだ。
「音楽を聴いて癒される」という経験自体はめずらしいものでも新しいものでもない。はるか昔、音楽の誕生と同時にそうした現象はあったことだろう。しかし音楽療法の場合は、結果としてたまたま癒されたのではなく、あらかじめ「癒されることを目的として」音楽を用いる点が、単なる音楽鑑賞とは一線を画している。
音楽療法のメリットは、まず、音楽が娯楽であるという点だろう。
医学的な治療行為は、いかに軽度のものであっても、心身両面にストレスを与えるものである。成功率の非常に高い手術だったとしても、手術まえにまったく緊張しない人はいないはずだ。
ところが、音楽療法の場合は反対にリラックスさせることができる。気負わずに、趣味の延長のような形で音楽にふれ続けるだけで良い効果を得られるならば、これほど患者のためになることはない。
また、終末期医療の一貫としての役割も期待される。
現代の医学ではもう手を尽くしきり、改善の余地がみられない病状であったとしても、ただ音楽を聴くだけならば過度なストレスを与えることはない。耳の機能さえしっかりと残っていれば、足が動かなくとも目が見えなくとも音楽は聴けるのである。
いわば音楽療法は、現代医学では手の届かない部分を補ってくれる療法なのだ。
たとえ劇的な効果はみられなくとも、心の不安を少しでも取り除くことができたなら、音楽療法はそれだけで一定の価値があるのである。
一般に「音楽療法」という言葉を聞いたとき、多くの人はリスニング=受動的な音楽体験を想像するのではないだろうか。
音楽療法を語る際、しばしば引用される有名な実験がある。
ドロシー・リアラックというオルガン奏者が、まったく同じ条件の温室を二つ用意し、それぞれにラジオを設置するのだが、一方にはクラシック専門チャンネルを流し、もう一方にはロック専門チャンネルを流すというものである。
結果、クラシックを聴いて育った植物はよく成長し、ラジオに向かって蔦を絡みつけるほどだったが、ロックを聴いた植物はすぐに枯れてしまい、ラジオから逃げるように育っていたのだとされる。
音楽が与える影響を端的に示した実験だ。
この実験の信憑性はここでは問わない。ただ、このイメージが強いために、どうしても音楽療法は「聴く」ものだと思われがちだということである。
しかしながら、実際には、能動的な音楽療法も存在する。自分で楽器を演奏するというのも立派な音楽療法なのである。こちらは、練習をしたり学習をしたりすることで心理的に満たされるという効果もプラスされる。また、目標を得たことで生命力が活性化することも有効な点として挙げられるだろう。
いずれの手法が適しているかは、音楽療法を受ける対象者の資質次第で異なってくるが、大切なのはどのように音楽とふれるかではなく、音楽にふれるという事実そのものだということがわかる。
ますます盛んになりつつある音楽療法だが、残念ながら、科学的にはプラセボ効果以上のものがあるとは証明されていない。
好きな音楽を聴けば、たしかにリラクゼーション効果はあるに違いないのだが、それについての観察をしても、数値を用いて一般化できるような結果は得られないのである。
音楽療法を推進する人々は、脳波の変化だとか、「1/fゆらぎ」だとかいった言葉を用いてその合理性を説明しようとする。だが、いずれも医学として確立できるレベルではない。
たとえば、クラシックを聴くと脳波が落ち着いた状態を示すという報告も多いが、落ち着いた音楽を聴いて心が落ち着くのは当然といえば当然なのである。激しいロックを聴けば、ロックが好きでも嫌いでも落ち着いた状態ではいられないだろう。その事実とヒーリング効果の有無とを直結させるのは乱暴といわざるを得ない。
いわゆる「1/fゆらぎ」という言葉も、疑似科学である。これはヒーリング・ミュージックのブームのころに知名度を上げた用語だ。この波長をもつ音はヒーリング効果があるのだといい、美空ひばりから宇多田ヒカルにいたるまで、大きな人気を得た歌手の声にはこの「ゆらぎ」があるのだと説明されることが多い。しかし、説明する自称・専門家によって、その「ゆらぎ」の定義は一定ではなく、とてもではないが科学と呼べる代物ではない。
だがしかし、音楽療法がまったくの荒唐無稽だとも、やはりいえないのである。
なにより、音は物理学的には振動である。地震が起きたときに本棚の本が落ちたり食器棚のコップが倒れたりするように、微弱な振動であるとはいえ、音がなにかしらの影響を及ぼしていることは充分に考えられる話だからだ。
まだ実証されていないだけで、とてつもない効果が潜んでいる可能性はぬぐえない。
科学としての音楽療法は、まだまだ研究の途上であるといえよう。
音楽療法士
●音楽療法士は民間資格
音楽療法士は、「日本音楽療法学会」もしくは、養成学科を有す大学・短大・専門学校等で取得できる民間資格である。
また、岐阜県や兵庫県、奈良市など、独自の認定機関を有する地方自治体もある。
「日本音楽療法学会」での資格認定は、書類選考と面接によって行われている。
音楽療法士に求められる資質としては、「音楽療法」の知識に対する精通度、音楽への愛情、楽器のスキル(プロ級である必要はない)、カウンセラー・セラピスト的な他者との対面能力、コミュニケーション能力などである。
●音楽療法士の仕事内容
音楽療法士の仕事は、心身に様々な問題を抱えている人を対象に、「歌う」「聴く」「演奏する」等、音楽の様々な効果を使って身体の機能改善や、発達を促すことである。
対象年齢は、幼児から高齢者まで幅広く、勤務先によって変わる。
クライアントの症状に応じた適切な音楽療法の選択と指導を行うことで、より効果的な結果に結びつくことも多いため、臨床経験を増やしていくことや過去の臨床例等の研究も、音楽療法士にとって欠かせない仕事である。
また、音楽療法が対象としている症状や疾患、リハビリ等に関する専門知識を深めることも重要な仕事である。
●音楽療法士の活躍の場
音楽療法士の勤務先としては、一般病院、老人福祉施設、知的障害児施設、デイケアセンター、養護学校、児童施設などが主な場所として挙げられる。