真霊論-織田無道

織田無道

織田無道は日本の僧侶、タレントである。1990年代前半に巻き起こった空前の霊感ブームの際に、タレント霊能者の代表格として各種マスメディアへ多く露出していたことがよく知られている。霊視や除霊といった行為を公共の電波にのせて頻繁におこなっており、現在でいうスピリチュアルブームの先駆けと捉えることもできるだろう。
著書も多数ある。

経歴~破天荒な僧侶が霊能者になるまで

織田は1952年8月8日、神奈川県厚木市で生まれた。本名は織田礼介。織田信長の子孫であると自称しているが真偽は不明である。
のちの発言によれば「小学六年生のころから酒を飲んでいた」そうで、織田のトレードマークともいうべき破天荒さは幼少時から発揮されていたようである。「僧侶としての禁忌はすべて破った」という発言もあり、これは織田のキャラクターを最も端的に表しているフレーズだといえよう。
帝京大学法学部を卒業後、織田は僧侶の道へと進んだ。
知名度が飛躍的に上昇したのは、厚木市にある1200年の歴史をもつ寺院、臨済宗建長寺派圓光禅寺の第49代住職となってからである。1000を超える檀家を有する寺の住職とあって、その影響力は小さくなく、地元ではかなりの有力者といえた。
織田がいわゆるタレント霊能者の仲間入りを果たしたのは、彼が水晶玉を用いた霊視や除霊を得意としていたことによる。
もっとも、当時は空前の心霊ブームであり、同様の行為を実践している自称・霊能者はほかにも数えきれないほど存在していた。そんななか織田がマスメディアに重用された理由は、その強面でどっしりとした外見や、迫力のある声、さらには由緒正しい寺院の住職だという肩書きを有していながら破天荒な性格だということで、きわめてテレビ映えの良い人物であったためであろう。1990年代前半の霊感ブームは、宜保愛子とともに織田が牽引していたといって過言ではない。
当時の織田の人気ぶりは、それは凄まじいものであった。宜保のメディア露出が、おもに心霊現象を扱う番組やオカルト関係の番組だけに限定されていたのに対し、織田は前述のようなタレント性を有していたため、まったく霊的な事象と無関係のバラエティ番組やクイズ番組などにも頻繁に呼ばれた。テレビドラマや映画にまで俳優として出演を果たしている。
また、無類のカーマニアとしての側面(当時の愛車は約5000万円のランボルギーニ・カウンタック)や、格闘技への造詣が深いこと(柔道二段、空手三段。柔道大会の青年の部で優勝した経験もある)にもスポットを当てられるなど、スターさながらの扱いだった。趣味のひとつであるマラソンは、たびたびバラエティ番組で取り上げられ、実際にマラソン好きのタレントたちと一緒に走ったりなどしていた。
まさしく「時の人」と呼ぶのに相応しい活躍ぶりだったといえる。
およそ僧侶らしからぬ活動だったといえるが、テレビに出続けたことは、仏教の素晴らしさをより多くの人々に広めるためであったと織田は語っている。また、それは織田自身の修行の一貫でもあった。
なお、十年以上のちに雑誌で告白したところによれば、織田は自身を「インチキ霊能者」だったともしている。

霊感ブームの収束と有罪判決、それから

ブームの終焉は突然だった。1995年に発生したオウム真理教による一連の事件のあと、オカルトやそれに類する事象を扱うメディアに対して、世間では批判的な論調が目立つようになったのである。霊感をテーマにしたテレビ番組もつぎつぎと終了を余儀なくされた。
こうして、当時活躍していた霊能者たちは瞬く間にメディアから消え去り、人々の記憶からも消え去っていったのだった。
それでも織田はその特異なキャラクターが手伝って、ブーム終焉以後もしぶとくメディアへの露出を細々と続けた。これはほとんどが、霊能者としてではなくタレントとしての抜擢だったが、やはり宜保愛子が丸5年間もテレビから姿を消していたこととは好対照だといえる。こと織田にかぎっていえば、霊感ブームの収束は直接的にタレント生命に影響したわけではなかった。
織田の場合は自業自得といえる。
転機となったのは2002年だった。この年の9月に、公正証書原本不実記載・同行使の容疑で逮捕されたのである。宗教法人の乗っ取りを計画し、虚偽の登記をおこなったとのことだった。
これに対し、織田は一貫して事実無根だと主張し続けた。しかし訴えむなしく、懲役2年6か月・執行猶予4年の判決を受けた。
これを契機に織田はマスメディアの表舞台から姿を消した。
以後、忘れたころに雑誌のインタビューを受けたり、自身の格闘技経験を生かして「無道Spirit」という格闘技イベントを代々木第二体育館で開催したりなど、ときおり動向は知らされるものの、一般的には「過去の人」となった感が強い。
インターネット上では、「暴力団とトラブルになって拉致され行方不明」という事実無根の情報まで流れた。
もっとも、本業である僧侶としての業務は現在もしっかりと継続している。具体的な場所は明かされていないが、2011年4月現在で4つの寺の住職を兼務していると本人は語っている。一部の寺については、織田の息子が住職を引き継いでいるようである。
自殺防止活動として、真夜中に富士の樹海のパトロールをすることもあるという。
近年では政治家の道にも興味を示している。

織田無道の反省は生かされていない

前述のとおり、織田はブーム時に披露していた霊能力がインチキであったことを認めている。まったくのデタラメだったという意味なのか、本当に能力はあるがテレビで見せたのはパフォーマンスだったという意味なのかは判然としないが、実際以上に霊感を誇張して見せていたことは間違いない。
こうしたパフォーマンスが、毎日のようにマスメディアを通じてさも真実かのごとく発信されていたという事実は、笑い話では済まされない重大な問題である。これらを通じて霊感現象に興味を持った人々が、結果的に悪徳霊能者にだまされて大金を奪われたという可能性は否定できない。
いわばマスメディアも織田本人も犯罪を助長していたようなものだといえよう。その道義的責任は明確に追及されて然るべきである。
一般の視聴者の責任も無視できない。
たしかに、視聴者のなかには、ブームのころから織田の霊視や除霊の能力について疑問を抱く者も少なくなかった。当時から疑いの目で見ていた人ならば、悪徳霊能者にだまされた人もいないだろう。
だが、ブームのおそろしさは、疑問を抱きながらもついつい面白半分でそれを見てしまうことである。そうして一緒になってブームを盛り上げることに一役買ったことで、本来ならば霊感に興味を持つこともなかっただろう無垢な人々をこの道に引き込み、結果的に悪徳霊能者の被害者にしてしまったと考えることもできる。この意味で視聴者も同罪なのである。
面白いからといって、無責任に霊的な現象を取り上げることがあってはならないのだ。
しかしながら、この反省はまったく生かされなかった。2000年代半ばからのスピリチュアルブームは記憶に新しい。霊感ブームのときとまったく同じようにマスメディアが特定の霊能力者を持ち上げ、番組をつくり、視聴者を巻き込んだ。そうして、悪徳霊能者の被害者が今日も出続けている。
マスメディアと心霊現象の関係性の危うさを問い直す意味で、織田無道のことをたまに思い出すのはよいことだといえるのかもしれない。

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