一般的に霊能力者と呼称される人々の能力は先天的なものであるが、イタコは厳しい修行を重ね後天的に霊能力を養う。まずイタコは般若心経や観音経などのお経や膨大なイタコの巫歌にはじまり、仏教、神道、修験道、民間信仰の宗教、ありとあらゆる宗派の神々や仏の名、経典、祝詞などを口移しで覚えなければならない。
これには三つ目的がある。まず一つ目は、悪霊に対する絶対的抵抗力を養うこと。口寄せの際に万が一悪霊が憑依したり、また憑依させた霊が肉体から離れなくなってしまう場合に、あらゆる神仏の力を借りてイタコ自身の身を守る。
二つ目は口寄せを行いやすくすること。呼び出す霊が生前信仰していた宗派のお経や祝詞など神仏の力を用いた方が、霊が喜び口寄せしやすくなる。対象の霊が未浄化である時も、生前信仰していた宗派を用いた方が成仏しやすいという。
三つ目は霊的世界を学ぶこと。宗教は得てして死後の世界や神仏の存在について説いている。様々な種類の宗教は教科書や理論書のような役割を果たし、そこからイタコは霊的世界について初学習する。
よってイタコはあらゆる宗教に通じていなければならない。
これ以外にイタコの修行内容については明らかにされておらず、どのように霊能力を開発するのか謎が多い。厳しい修行による後天的霊力の開発、という点では修験道に近似している。よってイタコの修行は修験道の修行に近似しているのではないかという仮説もある。
土壌的背景
古来より、東北地方には土着信仰が根付いている。
巨木や石、あるいは山や川・海など、あらゆる自然物には精霊が宿ると信じられてきた。
また、祖霊信仰といって、死んだ者の魂は山を登って天へと召され、地域の守り神となるという思想も言い伝えられている。神事は祖霊神に感謝する祭りとして行われてきたのだ。
恐山のような山を霊場とし、霊的に特別な力を発揮するのにふさわしいと定めたのには、このような精神歴史的背景が考えられる。
現在では、イタコと言えば霊能者の一種とみなされているが、古くは「オシラサマ」という正月行事をとり行う人のことを指していたようだ。
オシラサマとは養蚕、農耕の神のことで、御神体は桑の木を削って布をかぶせて作る。馬神・姫神の二体がある。
この二体を、民謡を歌いながら遊ばせる儀式「オシラセアソビ」をとり行う人だった。また、御神体を子どもに背負わせて謡う「オシラサマホロギ」を行えが子宝に恵まれ永遠に子孫繁栄
豊作・子孫繁栄を願う民間伝承であったため、家庭を守る女性によって行われていたと考えられる。
「オシラサマ」と言う語感は「オシラセ」に似ている。言霊から、予知や呪術的な力もあるのでは、との連想が推測される。
イタコは「穢多子」と表記し、元は乞食・弱者全般のことを意味した。
江戸時代には恐山の例祭に乞食が物乞いのため大挙し、追い払われたという文献が残っている。
職業としてのイタコは、盲目・反盲目の女性のものとして認知されている。(現在は男性や、目の見える人も多い)
彼女らも社会的弱者であり、当時の一般女性のような結婚・出産をして生活して行くことは困難だっただろう。そのため先輩のイタコへ弟子入りして一定の修業を積み、イタコになることが社会を生きる手立てだったのだ。
そして大正時代にはこれらの人々が一致団結し、所属寺院で結託して組織を作り地位を上げていった。
折しも、恐山付近にホテルが建設されるなど観光地化してきた時代背景と重なり、徐々にその存在が知られるようになってきた。
現在のようにイタコがシャーマンとして有名になったのは戦後のことで、その歴史は意外と浅い。
かつて、イタコが土着信仰と密接に結びついた存在だったとき、彼らは僧のような役割を果たしていた。
自らの土地に生きた故人を偲び、折に触れて供養をうながし、祖霊に守られ生かされていることへの感謝を説く。イタコ自身も故人の知り合いであることが多かったため、遺族との交流はまるで親族のように温かいものだっただろう。
弱者であることは、人の痛みを我がもののように理解できるということでもある。人生経験、また修行者としての深い知識で人を慰める素晴らしい仕事である。カウンセラーと言うのが近い。
また、東北は古来、障害者を「呪われた異形」のものとし、奇形児などは人知れず殺すという風習があった地だ。時が流れ、このような形で障害を持つ人を受け入れ、尊ぶという文化が育まれたことは大変興味深い。
勿論、いわゆる霊能者のイタコも存在しただろうが、霊的な何かを施すというよりはやはり神事・年中行事の一環の側面が強いものだった。
しかし、有名になるにつれイタコは変質を余儀なくされた。全国から霊能力を求めて集まる人が殺到したことは、彼らにとってあまり喜ばしいものではなかった。
現在、地元では割り切った観光産業のひとつとしてイタコを捉える者も多い。
イタコとは霊能者(※)の一種だが、盲目の女性が青森県下北半島の恐山の地で死者や神々をこの世に降ろし人々へ霊界からのメッセージを伝える特殊能力者のことを言う。
盲目である事が第六感(知覚能力以上の一般常識では考えられない能力)を呼び覚ますとされている。
尚、恐山のイタコが世に広まったのは昭和30年代頃から始まった事で、意外にも歴史は浅い。
現在の恐山でイタコを行っている者は晴眼者や男性も多く、風習は変化しつつあるようだ。
また実際に恐山に行った人ならば一目瞭然であるが、いまや一つの観光スポットのような雰囲気で、派手なイタコの看板や屋台まで出ている始末。
人気のイタコには人だかりが出来ていてまるで屋台の行列のようである。
十数個のテントに居るイタコに3000円から口寄せ(神や死者を降ろす儀式)をしてもらい、霊界からのメッセージを伝えると言うのだが、実際は道端に居る占い師と変わらない言葉を言い並べているように思える。
また現在はインターネットを使い大々的にイタコを謳い商売をしている業者も非常に多いが、まやかしが多いので注意が必要である。
イタコ志願者のほとんどは盲目の女性である。
現在は、盲目の人にも按摩・鍼灸師などを始めとした職業が開かれているが、かつては生まれたときから全盲であったり、事故などで視力を失ったりした女性は結婚も難しく、イタコとして生計を立てて行く道しか残されていなかった。霊能力とは、基本的に生来の能力か、人生のさまざまな局面にぶつかって開会するものであるが、イタコ志願者はそのようなものを持たなくとも、師匠のもとに弟子入りし、厳しい修行を積んで才能を磨き上げるのである。
また、恐山は「姥捨て山」と呼ばれる土地でもある。この地域は昔は貧農が多かったそうだ。生活に困窮した一家にとって、はたらき手ではない年寄りを長い間養うことは厳しかった。そのため、この地へやむなく連れてきては置き去りにしたという逸話が残っている。そのほとんどは過酷な自然環境の中でなくなっていったが、何とか生き抜くためにイタコのもとを訪れて修行し、イタコとなる老婆もいたそうだ。
■弟子入りの時期について
弟子入りする時期は、幼少期から遅くとも思春期までが最適と言われている。早ければ早いほど霊力が開花しやすいそうだ。
というのも、子どもの精神世界は大人とは違い、周辺世界と自分の内性・自我との境界線がまだ明確に分離していない状態であるためだ。社会の常識や思い込みなどにとらわれておらず、アイデンティティが確立されていない状態の方が、よりイタコの世界へ没入しやすい。
7歳未満の児童はテレパシー、予知、透視などの超能力が目覚めやすいということは、ESPの世界においてもよく知られている。また、7歳から14歳 の子どもは暗示や催眠にかかりやすく、これもイタコ修行の助けとなるようだ。特に8歳から11歳の間に弟子入りするのが望ましいと言われている。
その他では、人生において自我が崩壊するような辛酸を舐めたとか、何か信じがたいような苦しみを味わったというような人も、霊的能力を開発するのに適している。このような人生経験は、アイデンティティの崩壊をもたらすと同時に、目に見えないパワーを目覚めさせるためだ。そのためイタコになるのには適している。
■修行の内容
イタコの修業の内容は、外界にはあまり知られていない。
修行の始めはまず、口寄せの際に用いる御経などを暗唱することから始められるのが一般的なようだ。これは師匠も弟子も盲目であるため、口移しで真似をするような形で行われる。
御経は観音経、般若心経などを全文暗記する。そしてイタコの巫歌を30曲から40曲ほど覚えるそうだ。
また、仏教や神道、修験道、また民間宗教の神々などを暗唱や、それぞれの宗教の代表的な御経、呪文、祝詞などの暗記も必要である。
全て覚えるまでには個人差があるが、大体4、5年程度が修行期間となるようだ。
その他、霊的な能力開発における修行などもあるようだが、この辺りは門外不出で外部には明かされていない。
■入魂儀礼「大事許し」
一定の修行を終えたイタコの弟子には、「大事ゆるし」という入魂儀礼が待っている。
これは、行場と呼ばれる祭壇を祀った場所で、本人に「神懸かり」を訪れさせるものである。
いわゆる断食行とトランスを合わせたものである。食事は米や穀類、そして塩を抜いたごくごく少量の精進料理で、干し栗、干し柿などの質素な果実が中心である。これでまず心身を限界へ追いこむ。
そして、3度の食事の前にはしめ縄がはられた「水垢離」という行場へ行って、冷水を33杯浴びる。このときの服装は、師匠も弟子も白装束、鉢巻き、白足袋であり、冬でも一切暖房は入れない。すると、心底冷え切った身体は防衛本能として熱を発生させ、それが下半身から背骨を通って頭へと到達し、通常は眠っている霊的意識を司る部分が覚醒していく。それは正常な精神状態ではとても耐えられなのであるため、彼女らは、呪文、祝詞、御経などの経文をひたすら唱えて意識をトランスさせる。そうするうちにイタコは神仏の姿を確認するそうだ。
またトランス状態を引き起こすために呪文を唱えつつ旋回したり跳ねたりする、大声を出して気合を入れる行者を呼ぶ、などを行うイタコもいたらしい。
いずれにせよ、心身は極限に達し、トランスしたイタコはけいれんを起こして失神する。その際、師匠は弟子に「何が降りてきたか、誰が見えたのか」を尋ねる。その時に答えた神仏の名前が、弟子の一生を守る守護霊となるそうだ。
■「師匠上がりの儀」について
無事に守護霊を下すことに成功したなら、弟子は独立を許され、晴れて一人前のイタコとなる。
これは、イタコの大切な仕事道具である「イラタカ数珠」を譲る儀式である。イラタカ数珠は、珠が無患子(むくろじ)の実や子安貝、熊など獣の爪で作られていて、一般的な仏教の数珠とはひと味違ったものだ。師匠は「仏おろしの祭文」を読経しながら数珠を盛大に鳴らして仏を降臨させる。そして弟子を紹介し、儀を終える。