真霊論-五島勉

五島勉

五島勉は、日本の作家・ルポライター・オカルトライターである。
一般的には、大ベストセラーとなり社会的な一大ブームを巻き起こした『ノストラダムスの大予言』の著者として知られ、「サソリのベン」の異名をもつ。その著書は50冊を優に超える。

オカルトライター・五島勉が誕生するまで

五島勉(本名・後藤力)は1929年、北海道函館市で生まれている。旧制第二高等学校時代には、弁護士の遠藤誠とも知り合った。
その後、東北大学法学部に進学すると、在学中に文筆家としてデビューする。これは、小遣い稼ぎのつもりで執筆したポルノ小説を雑誌に投稿したところ、それがことのほか評価されてしまったことによる成り行きだった。
そのまま出版業界に足を踏み入れ、大学卒業後は、おもに『女性自身』や『微笑』といった女性週刊誌の編集にたずさわった。
こうしてアンカーマンとしての足場を固めた五島だったが、30代半ばになると、大衆小説家への転身を計画している。これは、体力的な衰えから、外を走り回るような取材が難しくなったためだった。しかしこの計画は、結果的には失敗に終わっている。
1963年から1964年にかけて、『死のF104』と『BGスパイ』という二作の小説を刊行したものの、ともにまったく鳴かず飛ばずに終わってしまったのだった。
そこで五島は、食べていくために得意分野であったオカルト記事を専門に執筆していくようになったわけである(一時期、倉田英乃介という別のペンネームで活動していたこともある)。

代表作『ノストラダムスの大予言』の熱狂的ブーム

五島の名を世間に広く知らしめたのは、1973年に刊行された『ノストラダムスの大予言 ―迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日』(祥伝社)だった。
これは250万部を越える大ベストセラーとなり、その社会不安を煽る内容は連日のようにマスメディアに取り上げられた。1974年には丹波哲郎主演で映画化までされ、邦画部門の興行収入第2位を記録している。
なお、この書籍の印税で五島は石神井に土地を購入し、家を建てているという。
これはもともと、10人の予言者についてあつかう企画として五島が持ち込んだものだったが、祥伝社社長の伊賀弘三良がノストラダムス一人だけにしぼって執筆することを勧めたことでこの形になったといわれている。
結果的に、この著作により、ルネサンス期のフランスの予言者であるミシェル・ノストラダムスは突如として日本でも大きな脚光を浴びることになった。
ヒットの要因としては、副題にもあるとおり、「1999年人類滅亡」説をとりあげたことが挙げられるだろう。
この著作がベースとしているのは、ノストラダムスが1555年に刊行した『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』(Les Propheties de M. Michel Nostradamus)であったが、これは抽象的な散文詩によって予言が綴られているものだった。それゆえ、その解釈法には多種多様なものがあるのだが、五島はなかでも最もセンセーショナルな説を選んで紹介したわけである。
当時の日本は、オイルショックや公害問題などが重なり先行きへの不安が増している時代だった。そうした時代背景に、終末論は見事にフィットしたのだった。
ブームは一過性のものでは終わらず、運命の1999年が近づくにつれ断続的に盛り上がりをみせた。
それを受け、この祥伝社からの『大予言』シリーズだけでも9冊もの続編が刊行されている。以下にその一覧を示す。
・『ノストラダムスの大予言 2 ―1999年の破局を不可避にする大十字』(1979年)
・『ノストラダムスの大予言 3 ―1999年の破滅を決定する「最後の秘詩」』(1981年)
・『ノストラダムスの大予言 4 ―1999年、日本に課された“第四の選択"』(1982年)
・『ノストラダムスの大予言 5 ―ついに解けた1999年・人類滅亡の謎』(1986年)
・『ノストラダムスの大予言 スペシャル 日本編』(1988年)
・『ノストラダムスの大予言 中東編』(1990年)
・『ノストラダムスの大予言 残された希望編』(1992年)
・『ノストラダムスの大予言 地獄編』(1994年)
・『ノストラダムスの大予言 最終解答編』(1998年)
運命の時が間近に迫った1999年には、大手メディアでも再び熱狂的にノストラダムスの予言が取り上げられ、一部ではパニックになる者もあった。

一連のノストラダムス現象における五島への評価

しかしながら、『ノストラダムスの大予言』シリーズへの批判は少なくない。
予言の信憑性については、もともとがオカルトであるゆえ、その分野の特性上それほど問題とされないが、「ノストラダムスの予言の解釈」であるとするにはあまりにも原作からかけ離れた内容が多すぎるためである。
実質的には、『ノストラダムスの大予言』は、ノストラダムスをモチーフとした五島のフィクションであるといえる。小説家志望であった五島からすれば、曖昧な部分が多く夢想を広げることのできるこのテーマは、たしかに創作意欲を刺激されるものであったのだろう。原典のどこにも書かれておらず、ほかの研究者たちの誰も採用していないような「解釈」がいくつも五島の本のなかには見受けられる。
こうした事情から、日本においてはノストラダムスへの誤解が広まっており、専門的な研究者たちから繰り返し批判されている原因になっている。
『ノストラダムスの大予言』に由来する最も有名な誤解としては、予言集の核をなしている「百詩篇」を「諸世紀」と誤訳した点である。「百詩編」は内容の説明であると同時に、予言集そのものを指す固有名詞としても使われているため、日本においてのみ、ノストラダムスの予言集のタイトルは「諸世紀」であると紹介されている時代が長かった。
また、社会学者や評論家などからは、のちの新興宗教ブームおよび、ひいてはオウム真理教による一連の犯罪・事件も、五島のこの著作によって終末観を植え付けられたことが遠因であるとする見方も出されている。
オカルト熱が加熱しすぎることの危険性を世に知らしめた著作であるともいえよう。
さらに、正解の存在しない「解釈」はいくらでも量産しようとすればできてしまうため、それをシリーズ化し何冊も本を書いたことも、多く批判の的となっている。
一方で、オカルトであることを理解したうえでフィクションとしてふれる分には、『ノストラダムスの大予言』はきわめて質の高いエンターテインメントであると酒見賢一などは評価している。
五島とノストラダムスにまつわるネガティブな現象のほとんどは、どちらかといえば五島自身の態度の問題というより、受け手側のリテラシーの問題であったと考えることもでき、すべてを五島の責任にすることも的外れだとはいえるだろう。

『ノストラダムスの大予言』以降の五島勉

一躍知名度を上昇させ、時の人となった五島は、再び小説の執筆も試みている。本心では小説家として成功したいという気持ちが強かったのだろう。
そこで『超兵器戦争』(1978年)など、ノストラダムスとまったく無関係の小説を発表したが、しかし、やはり日の目を見ることはなかった。1987年を最後に、とうとう小説家の道を断念している。
以後は再度オカルトに専念しも、ユダヤの陰謀論であったりハルマゲドンについてだったり等、数々の書籍を執筆してきた。
何年かごとにノストラダムスが話題になる際には、必ず五島の著作が再注目された。
しかし、懸念されていた1999年の7月がなにごともなく過ぎてしまうと、それ以後、高齢になったこともあってか五島のメディアへの露出は急激に減った。21世紀に入ってからの著書はわずかである。
それでも、80歳を越えた今なおオカルトライターとして活動しつづけている点は一定の評価をなされるべきだろう。すべてをまるまる信じ込んでしまうのでなければ、良質な娯楽を提供しつづけているということもできよう。

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