狐憑きとは、人の精神錯乱状態やヒステリー状態を指すと同時に、「狐の霊が人に憑依する」という信仰・伝承などを指す。
人間に動物の霊が憑依することを古くは、「物託(ものつき)」と表現した。
狐憑きもその「物託」のひとつであり、その記述が最初に文献に登場したのは、平安末期に編纂された『今昔物語集』とされている。
その後、狐憑きという言葉は明治時代にまで継承され、明治時代の精神科医呉秀三は、現代で言う精神錯乱症状に対して、「狐憑症」という病名を付けたのである。
神道や仏教が確立する以前、日本には自然霊を崇拝するアニミズム信仰があった。
狐、狸、犬などを神格化したのは、その際の動物霊崇拝の名残とされている。
また、平安時代に花開いたスピリチュアル文化のひとつ陰陽道・陰陽師たちによって、狐の霊は「女性に憑くことで、男性をおとしめる霊」であるという雛型が作られた。
従ってその後の時代において、精神的におかしくなった女性を「狐憑き」と表現するようになったのである。
また、平安時代以降、陰陽師たちを中心に呪術が盛んになり、動物霊を使役するという呪術も現われた。
そのひとつが「狐持ち」と言われるものである。
「狐持ち」とは、狐の霊を敵対者に送りつけておとしめる、という呪術だが、実際に行われたかどうかは疑わしい。
狐持ちの家系に生まれたという民俗学者、速水保孝氏の分析によれば、狐持ちとは、差別するために付けられる汚名であると言う。
江戸時代において、農民にも貧富の差が生まれ始める。
すると大勢の貧民は、少数の裕福な農家を「狐を使って儲けた」と中傷し、「狐持ちの家だ」として村で生活しづらいように差別をし始めたそうだ。
また、速水保孝氏によれば、こうした憑きもの迷信は、北陸、広島、鹿児島にはほとんど分布してしていないそうである。
その理由の推測として、これらの地方は浄土真宗が非常に大きな力を持っていたことが関係していると指摘する。
浄土真宗は、合理主義を尊び、迷信を排除し、加持祈祷をしないので、憑きもの迷信の生成と伝播の媒介者である祈祷師のばっこを許さなかったと分析する。
つまり、狐憑き信仰・迷信を助長してきたのは、それを名目にして利益を得ようとしてきた宗教でもある、と言いたいのであろう。
その結果、平安時代に「狐の霊は人に憑依して悪さをする」という迷信が生まれ、それを発端に現代まで「狐憑き」と言う言葉が連綿と、漠然と、引き継がれているのかも知れない。
では、本当に狐の霊が憑依して、人間の精神性を狂わせるのか?
その真実に関しては、霊能者だけが感知できる世界なのかもしれない。
しかし一方で、人間の脳は「信じるものを見せる」というメカニズムが、実際にあることも忘れてはいけない。
例えば、精神的に錯乱した場合は「狐の霊が原因」と強く信じている人であれば、その錯乱者に狐の姿が浮かんで見える可能性は大いにに考えられる。
また、「狐の霊は憑依する」と信じている人の場合、ちょっとしたヒステリー状態の際に、「自分は狐の霊である」などと口走ることも考えられるのである。
狐に関しては、狐を神格化した稲荷信仰もあれば、狐の霊を邪悪な存在とした狐憑き信仰もある。
さて、狐は果たして天使か悪魔か、それともどちらにもなりうる存在なのか。
その真実はまだ謎のままである。