家屋で神道の神を祀るための棚。神棚はお宮(宮形・神殿)と棚板の両方を指す言葉。お宮の種類は伊勢神宮社殿の建設様式である神明造りのものが一般的。他にも屋根を除いた箱宮型などがあり、それぞれ扉が一枚の一社宮、三枚の三社宮で区別される。主に家の新築や増築、新居への入居、子供の誕生の際に、小型の神社を模したお宮(宮形・神殿)を取り付け棚に設置する。祀る時期は特に決まっていない。神棚は仏壇と異なり、先祖代々受け継ぐものではなく人生の節目や10~20年の区切りで取り換えられる。
お宮の内部には伊勢神宮の神札、氏神の神札、自分が信仰する神社の神札を祀る。伊勢神宮の神札は神宮(じんぐう)大麻(おおぬさ)と称され、天照皇大神宮の神号と印、大神宮司の印が押されたもの。神札は神の依代とされる。
設置場所は神棚の扉が南向きか東向きになり、明るく風通しの良い、廊下やトイレの真下にならないところが望ましいとされる。部屋は最上階の部屋が最も良いが、困難な場合は「天」「空」「雲」と書いた紙を神棚上部の天井に貼ればよい。棚板は見上げる程度の高さに設置。仏壇を同じ部屋に祀る場合は、神棚に尻を向けないよう向い合せにするのは避ける。また棚板を吊ることができない場合は、家具の上に神棚を置いていい。神棚すら無く神様を祀る場合は、家具の上などに白い布か紙を敷いて神札を祀る。最近では壁に掛けられる簡易式神棚も販売されている。
神鏡…天照大御神の魂とされる。神棚の中心に設置。
みきぐち…木製の炎を模した一対(おちょう・めちょう)の飾り。万物を焼清めるという意味がある。
榊の葉…神話に登場する神聖な樹木。昔、榊が手に入らない地域では松を代用した。
白皿…米と塩を盛る一対の白い皿。米の皿は神棚の中心になるように置く。
平次(瓶子)…酒を入れる一対の白い瓶。中身を入れたら蓋を取ってお供えする。
水玉…水を入れるもの。平次同様蓋を取って祀る。
九谷みき…みきぐち、またはおちょう・めちょうを入れる彩色が施された一対の瓶。
榊立て…榊の葉を入れる一対の瓶。
かがり火…ローソクを立てるためのもの。黒いものが多い。
幕…お宮の外側に張られるもの。
御簾…お宮内部に取り付ける簾。
神社の拝礼方法と同様に二拝二拍手一拝が一般的であるが、細かな宗派により種々異なる。この時、祓(はらえ)詞(ことば)・神殿拝(しんでんはい)詞(し)を唱えるのが望ましい。
掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
禊ぎ祓え給ひし時に 生りませる 祓戸の大神たち
諸々の禍事 罪穢 有らむをば
祓え給ひ 清め給へと 白す事を 聞こしめせと
恐み 恐みも 白す
かけまくもかしこき いざなぎのおおかみ
つくしのひむかのたちばなのおどのあわぎはらに
みそぎはらえたまいしときに なりませる はらえどのおおかみたち
もろもろのまがごと つみけがれ あらむをば
はらえたまい きよめたまへと もうすことを きこしめせと
かしこみ かしこみ もうす
口に出してお名前を申し上げるのも恐れ多い伊邪那岐神は、死者の住む黄泉の国へ行って汚れたため、筑紫の日向の浜辺、阿波岐原で禊をなさると祓戸大神がお生まれになりました。その祓戸大神様、もし諸々の罪穢れや禍があるならばお祓い下さい、お清め下さい、と恐れ多くも申し上げます。
此の神床に坐す 掛けまくも畏き
天照大御神 産土大神等の大前を 拝み奉りて
恐み恐みも白さく 大神等の広き厚き御恵を 辱み奉り
高き尊き神教のまにまに 直き正しき 真心もちて 誠の道に違ふことなく
負ひ持つ業に励ましめ給ひ 家門高く 身健に
世のため人のために尽さしめ給へと 恐み恐みも白す
これのかむどこにます かけまくもかしこき
あまてらすおおみかみ うぶすなのおおかみたちのおおまえを おろがみまつりて
かしこみかしこみももうさく おおかみたちのひろきあつきみめぐみを かたじけなみまつり
たかきとうときみおしえのまにまに なおきただしき まごころもちて まことのみちにたがうことなく
おいもつわざにはげましめたまい いえかどたかく みすこやかに
よのためひとのためにつくさしめたまえと かしこみかしこみももうす
神殿におわします恐れ多き天照大御神様や産土大神様たちを拝み奉り、恐れ多くも申し上げます。恩恵を施してくださる大神様たちの尊い教えのままに、正しい真心を保持し、人の道を踏み外すことなく、仕事に励み、家門に誇りを持ち、健康で、世のため人の為に尽くすことが出来ますように、お願い申し上げます。
祝詞は二拍手の後、もしくは一拝の後に奏上する。お参りをする前には洗面、歯磨き、お供えをしなければならない。
人が亡くなった時は、神棚封じ(五十日間白い半紙を張ってお宮を隠すこと)をし、拝礼もしてはならない。
お米(洗米かごはん)と塩、水の三つは毎日お供えする。酒と榊は通常月に二回、一日と十五日に新しい物をお供えする。その他季節のものや肉、魚などもお供えしてよい。一度神棚にお供えしたものは御霊がこもるとされ、お下げしたあとは家族で食べるのが適当。また、一年に一回注連縄を張り替える。注連縄は神棚に向かって右側に太い方がくるように張る。
起源は『古事記』の中の神話。天照大御神が父親である伊邪那岐命から神聖な宝物を授かり、それを棚にお祀りされたものが神棚の始まりと言われるが、実際の人間の営みの歴史の中に神棚というものは存在しなかった。
家庭の守り神としての神棚が登場し普及したのは江戸時代中期である。当時、伊勢信仰を勧め、お伊勢参りの旅先案内やお札などを売って生計を立てる御師という職業があった。この御師がお札の売り上げを伸ばすために、お札の安置場所として考案した大神宮棚というものを併せて売り始め、それが一つの信仰文化として根付いた。
神棚(かみだな)とは、主に神道のお札・お守りをまつるための神聖な場所とする棚で、狭義では宮形と呼ばれる小さなお宮を棚板に置いた「札宮(ふだみや)」のこと。
広義では、祖先をまつる「御霊舎(みたまや)」である神殿を置いた棚や、「御神体」をまつる棚も神棚という。
【札宮】
小型の神社を摸した宮形(みやがた)にお札を入れる。
宮形には大きさ形さまざまある。それぞれ神社の建築様式のように神明造、大社造,流造、さらに箱宮などがあり、伊勢神宮の社殿を模して神明造り(しんめいづくり)のものが多い。
設置するスペースやお札の数などに合わせて選ぶ。
中には、伊勢神宮や氏神などその神棚をまつる人の信仰している神の神札(お札)を入れる。これが札宮である。
【御霊舎】
祖霊舎(それいしゃ、みたまや)ともいい、屋内神殿のこと。仏教で言う仏壇のようなものだが仏壇は仏像をまつるのが本来であるのに対し、祖霊舎は祖先の霊を家の守護神として霊璽(れいじ。仏教で言う位牌にあたる)を中心にまつる。狭義の神棚(札宮)とは別のところに取り付ける。間取りやスペースに合わせて、神棚の下や隣に設置することもある。
【御神体】
神の依り代としての「御神体」をまつる。この場合、神棚というより神社の分社という見方もある。
【場所】
できるだけ明るく清浄な場所を選び、人の目線より高い場所、できれば最上階の天井近く、南向きか東向きに設置する。最上階に設置できない場合は、紙に「天」または「雲」ないしは「空」と書き天井に貼り、その下に設置する方法もある。お供えや拝礼しやすい場所が好ましい。人が出入りする場所たとえば入り口、また障子やふすまの鴨居の上はさける。座敷か居間が一般的で、オフィスでは長たる人のいるところの近くに設置する。
棚を設置する場所がない場合は、家具の上などでもやむないが、その場合は白い布や紙を敷き、その上に神札を置く。
壁掛け式の簡易な神棚も売られている。
【まつり方】
適切な方位の場所に棚を作ったら、真ん中に札宮、その正面に神鏡を置く。左右両側には榊(繁栄の象徴)を活けた榊立てと灯明を配し、前方には神聖な場所を示す注連縄(しめなわ)をかける(ゴボウ締めの縄をつかう)。榊の水は毎日かえる。
さらに札宮の前には祭器具を置き、神饌(神さまへのお供えもの)であるお水、お米、お塩を白い小皿に盛り毎日お供えする。この他、瓶子(へいし)、水器(すいき)、土器(かわらけ)など様々な祭器具、縁起物を各家庭によって飾る。
配置した後のまつり方の形式については、確固たる統一されたものはない。お札の入れ方や、扉を開けておくかどうかなど、その神社などにより相違がある。
【神鏡(しんけい、しんきょう)】
依り代であり、神道の三種の神器のひとつである。拝むと同時に自分の姿を映し出す、清らかな心で神に向き合うなど、鏡を置く理由は諸説ある。
【神饌(お供え)の作法】
神饌は、洗った米かご飯、塩、水、酒であり伝統的な配列通りに並べる。それ以外にも、果物、魚、干物、菓子も供えられる。米、塩、水は毎朝取り替えるが、酒と榊は月に2度替えるのがよいとされている。
神へ供えた食べ物は、後で下げていただく。
【拝礼】
さまざまな流儀がある。一般的なものを書く。
顔を洗い口をすすぎ、心身ともに清め、お供え物をした後、拝礼する。
神社を参拝する作法と同じで二拝二拍手一拝(にはい にはくしゅ いっぱい)が基本である。神前に進み軽く頭を下げた後で、二拝(深くお辞儀をする)し、次に拍手を二度打ち、一拝する。神前を退く際、また軽く頭を下げる。以上であるが、祓詞(はらえことば)・神殿拝詞(しんでんはいし)などを奏上するとなお良い。祓詞・神殿拝詞の順に奏上する。奏上前に二拝、奏上後に二拝二拍手一拝をする。祓詞・神殿拝詞は、ゆっくりと丁寧に心をこめて奏上する。なお祓詞は、心身を清める詞である。
拝礼は家族そろって行い神に感謝するのが好ましいが、各自で行っても良い。安全と幸福を願って外出前などに行うとよい。
【神棚をまつってある家で人が亡くなった時】
神棚封じとして、五十日間神棚に白い半紙を貼って隠す。拝礼もしてはならない。
明治時代、武道の道場には神棚と日章旗が掲揚され、神前稽古の形式で稽古が行われた。第二次世界大戦後、政教分離によってほとんど撤去されたが、いまだに神棚がある学校も少なくない。
神棚は、古代には存在せず、江戸時代中期頃に登場する。本来の神道では、神は人がまつるときに現れるものであったので、神が常に在る神棚の概念は古い時代にはない。
江戸時代、観光旅行として伊勢詣でや富士参詣が庶民に広まった。この時、旅行ガイドしたのが「御師(おし)」と呼ばれる、百姓と神職の中間に位置づけの身分のものたちだった。彼らは全国に神札を配布して、伊勢信仰をすすめていった。そのとき御師が信仰を広めるために考案したのが大神宮棚で、神札を家庭で祀ることの出来た。これが現在の神棚の原型でり、庶民に定着した。