真霊論-供養

供養

供養とは死して肉体を離れた霊魂を逝くべき所に導く儀式のことを言う。
逝くべき所とは霊界を示すが、主に浄土(神道では天津国)(※)の事を言う。
精神世界では輪廻(※)と言い、人は死後再び生まれ変わると言われている事が多く、この浄土は一時的に霊界に留まる場所であって永遠に留まる場所ではないとされている。(一部の宗教を除く)
また供養は浄土へ導くだけでは無く、生前の行いによって地獄へも導くとされている宗教もある。
生前罪を犯した人は行いを正すため霊界にある地獄で罰を受ける必要があり、善者も悪者も同じ扱いで供養により浄土へ送り届ける事は逆に罪になると言う考えである。
尚、地獄とは霊界の刑罰を受ける場所でありこの世で言う刑務所のような位置付けである。

浄霊と供養の違い

浄霊(※)と供養は似ているが逝くべき所へ帰そうとする霊魂の種類により使い分けている。
一般的に供養を行う者は坊主や神主とされている。しかしその多くは儀式を行うだけで霊魂との対話は行っていないためこの世に強い執着を持つ霊魂は一般的な供養だけでは逝くべき所に逝けないとされている。
この世に強い執着を持つ霊魂を逝くべき所へ帰すには霊魂との対話が必要となる。
霊魂との対話が出来る者を霊能者(※)と言うが坊主や神主はそれとは違うと言う事である。
尚、坊主や神主、また霊能者も含め、多くは経営手段として供養を大々的に行っていて偽りや心無い儀式が多いので注意が必要である。
供養:一般的な故人に対し行くべき所へ帰すために行う儀式
浄霊:この世に強い執着を持ち逝くべき所に帰ろうとしない霊魂に対し対話(説得)して帰す儀式

各宗教

供養と言う習慣は、比較的アジア地域の信仰・土着思想に多いようだ。欧米ではあまり一般的ではない。
各宗教による、供養へのとり組み方の違いを以下に紹介する。

■神道
神道で個人を贈る儀式を「祭式」という。
特定の日に行う霊祭がそれで、自宅か墓前または斎場で行う。神社ではやらない。霊祭はまず、葬場祭の翌日に行う翌日祭に始まる。
そして斎日は死後10日おきに、十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭、五十日祭の霊祭がある。しかし二十日祭、三十日祭は省略されることが多い。
また、五十日祭で喪が明けるとされている。
式年祭は、一年祭、三年祭、五年祭、十年祭、二十年祭、三十年祭、そして百年祭まである。
神道の信仰のほとんどは祖霊信仰だ。死後、魂は山から天へと昇り「冥世(かくりよ)」へ行きつく、そして子孫や地域を守る精霊となって私たちを見守ると信じられてきたためである。
また神道の年中行事である新嘗祭や大師講は収穫祭だが、祈りの対象は祖霊だ。つまり、神道の行事のほとんどが祖霊への供養祭であると考えてよいだろう。

■仏教
日本の仏教では、死後七週間は霊があの世とこの世の間にいると考えられている。この期間を「中陰(ちゅういん)」と言い、ここで来世の行き先が決まるとされている。
そのため、故人の死後七日ごとに法要を行い、四十九日まで続ける。その後個人は浄土へ赴くと考えられている。また浄土に行った魂をさらに高みへ導くために年忌法要がある。これは一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌と行われる。
その後は、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌まで行うのが通例だ。三十三回忌で魂は菩薩道へ進む。基本的には三十三回忌、または五十回忌で「弔い上げ」とする。
しかし、本来の仏教にこのように細やかな法要の習慣はない。
中国の仏教での供養は、日本の形式に近く儀式的だが、タイでは火葬の後、骨は寺院か仏塔に埋め込まれるのみだ。これは輪廻の思想が色濃いためだとされる。
死後、現世での魂が修行不足であれば、再び輪廻の世界に赴き時を経て生まれ変わる。生きているうちに善行を積み、修行が十分だとみなされれば輪廻から解き放たれ、解脱できるという信仰だ。

■その他の宗教
キリスト教、イスラム教などの一神教では「祖先を供養する」という概念が薄い。
もちろん、死後それぞれの信仰にあわせた葬儀は行うが、その後のいわゆる追善供養は行われないのが通例である。
祖霊に対してではなく、この世の全てを創造する神に感謝をし、祈りを捧げることの方が重要だとされている。

供養の発祥・起源

人類は、宗教や、各地域で育まれていた土着宗教(アニミズム)の中で、身内および祖先をさまざまな形で埋葬・供養をしてきた。
現在の研究で明らかにされている中で、最も古い埋葬の形跡が残っているのは、およそ10万年前のものとみられる、ネアンデルタール人が残した「花の遺跡」である。
イラクにあるシャニダール遺跡には、死者を埋葬し、そこに美しい色の花を添えた跡があるという。死者の周囲の土を分析したところ、明らかにその場に咲いていたとは推測しがたい、つまり別の場所から持ってきた花の花粉が出てきたそうだ。しかも、全てが艶やかな色彩を持った花であったらしい。
これが、地球上生物における墓の始まり・宗教儀礼の発祥ではないかと推測されている。
異論としては、遺体を隠すために植物や花々をかぶせ、猛獣らが自分達の居住地域にくるのを防いでいたのでは、という見方もある。しかし、同時期にアフリカやアジア西方でも他種のホモ・サピエンスによって埋葬が行われていた例が発見されているため、供養文化の起源がこの時期であると考えて差し支えないだろう。

供養の本質とは

世界を見渡すと、実に多種多様の先祖供養が存在している。ただ、霊という目に見えないものが関わり、一般的には曖昧さをはらんだジャンルのため、形式などの枝葉ばかりが目に入り、なかなか本質的な部分にまで考えが至らない人も多いかもしれない。
基本的に、供養と言うのは生きている人間の慰みのために行うものだ。近しい人・親しい人間を亡くした喪失感を埋めるための行為と言ってよいだろう。
これを日本人は古来より「型」で乗り越える傾向があった。葬式もそうだが、神道における供養祭や仏教の法要は、宗派によって決められた行動や儀礼を滞りなくこなし、心と身体を動かしていく中で徐々に悲しみをやわらげ、緩やかに「大切な人を失った」という非日常から日常へ戻るために行われるのである。
時折訪れる自然災害以外は暮らしやすい湿潤な気候と、緑と水に囲まれた豊かな風土の島国で、悲しみに暮れ時間を浪費するのはしごく簡単なことだろう。そうせずに前向きに生きていくための知恵が供養の始まりだったのかもしれない。
欧米の習慣や信仰では、喪失の悲しみを教義・教理によって乗り越える傾向がある。例えば、キリスト教に代表される「魂は神の御許へ帰り祝福を受けている」という教義や思想が挙げられるだろう。幸福と不幸を表裏一体に捉え、「裏」を考えることで揺れる感情を抑えるのである。
また、アジア諸地域やアフリカなどで現在も信仰が深い、アニミズムを根底に据えた密教系の宗教では、悪霊と善霊をうまく使い分けて供養に向き合う。よく見られる思想は「死んでから日が浅い故人は悪霊になる可能性が高いので、よく弔いを捧げなくてはならない。彼らは供養をうけて時間を経ると善霊となり、自分たちを守ってくれる」というものである。
実はこのアミニズムの発想が霊的世界の真理に最も近い。
霊的観点から見ると、死後1~3日間程度はまだ霊は魂と肉体が離れたということを理解できていない場合が多いので、この間は遺体を埋葬せずに、供養・弔いを捧げる期間とし、その後は火葬や土葬に臥すと言うのが理想的な埋葬・供養の第1歩である。その後は、自分が思い出したときに生前の感謝の思いを心中で伝える、という程度でよいとされている。
ただ、現在自分がこの世に存在するのは、過去に生きた先祖があり、彼らと霊線でつながっているという意識は大切にした方がよいだろう。自分をこの世に誕生させてくれた先祖への感謝の意を持ち続けるということが、霊的な意味では本当の供養と言える。
勿論、宗派などによる儀礼は、霊的にはさほど意味を持たないが、残されたものの気持ちの整理の場として活用すればよい。
無論これらを悪用し「供養とはこうでなくてはならない」などと詐欺的な商売を行うのは言語道断であるし、正しい知識を持って自分の身を守るべきである。

永代供養

永代供養とは、元々は「先祖霊の永代に渡る供養を寺へ依頼する」という永代経が起源である。
しかし現在は、子どもがいない、身寄りがないなどの理由でお墓の後継ぎがいない人たちに対し、寺社が故人を子孫の代わりに永代に供養、および管理を行う行為を指すことが多い。
■永代供養の歴史
永代供養の発祥には諸説あるが、最も古いものは江戸時代に、檀家が減った寺社が新たな収入減確保のために提案したものと考えられている。
これは、それまで月命日に小額ずつ受け取っていた檀家からのお布施を、「永代供養」と称して一度にまとめて支払ってもらう、というものである。これが時代を経て、現在の永代供養の原型となり変化したと言われている。
現在のような形の永代供養墓が最初に誕生したのは、1985年に比叡山延暦寺大霊園にて「久遠墓」が設立されたときである。
延暦寺は、個別の墓石を2,000基ほど建立できる永代供養の専用墓域を設立した。これは当時、大変話題になり全国の寺院にも永代供養の墓の建立は広がるきっかけとなった。

■永代供養墓の種類
一口に永代供養と言ってもそのスタイルにはさまざまなものがある。
一般に普及している墓の種類をいくつか挙げる。
・屋内に設置されたもの
霊廟型・・・上段へ仏壇、下段に骨壷が設置されているもの。
納骨型・・・ロッカーのような棚の中に骨壷ごとお骨を納めるもの。
・屋外に設置されたもの
納骨壇型・・・壇になっている所へ骨壷ごとお骨を納める。大きめな石材で作られているものが一般的だ。
納骨塔型・・・石材で作られた塔の下にお骨を納めるもの。
墳陵型・・・いわゆる古墳のような形をしているもの。合葬墓。
・墓石型
普通のお墓の中で一定期間の供養した後に、合祀墓へ移すもの。
永代供養が普及はじめた当初は納骨堂のスタイルが多かったが、最近では宗教色が薄いタイプのものが好まれているようだ。

■遺骨の安置方法
・個別安置型
通常の墓と同じように、故人ごとに骨壷を設置して安置するもの。ただ、一定の期間(17年、33年、50年など法要に合わせた期間を設けている寺院が多いようだ)を経た後は、合祀墓へと移される。
・集合安置型
他の故人と、共通の棚、ひな壇などの中に骨壷を安置するもの。そしてひとつひとつに石碑や石塔などを添え、その集合がひとつの大きなお墓を形成するというもの。
・合祀型
骨壷からお骨を出して、墓所内で埋葬する。埋葬地には記念碑や塔などが建立されることが多い。合同墓、合葬墓と呼ぶこともある。
最もよく見られる永代供養墓である。このように始めから合葬すると費用は従来のものよりも安く済む。ただ、合祀は他の故人の遺骨と混ざってしまうため、後から改葬するのは不可能となる。
・個別(個人)墓石安置型
個人で墓地と墓石を建立するが、供養そのものは寺院に任せるというもの。墓の承継者がいるうちは個別での墓参ができるが、いなくなった後は寺院が永代供養を請け負う。最近普及している人気のスタイルである。

手元供養

手元供養とは、故人の遺骨を自宅や携帯型ケースに入れるなどして保管する埋葬方法を指す。寺院への納骨を行わない、または一部の納骨を行ってから少量の骨を分骨し手元へ置いておくというものだ。故人を常に身近に感じることで、供養の心を持ち続けたいという発想から生まれたとされていて、最近日本で増えている埋葬方法でもある。

■手元供養が普及した理由
手元供養という埋葬の形が昨今増えてきた理由には、まず過去に比べて人口体系や社会的構造が変化していることが考えられる。
現代は少子化が進んでいるため、明治以降受け継がれてきた家制度をベースとする墓を継続することが困難な家庭が増えている。例えば一人っ子の娘が嫁に行った後、先祖の墓を守るものがいなくなってしまう、などというものだ。
そして、「失われた20年」とも言われる長引く不況を背景にした個人的経済力の低下や、高齢化に伴う介護者増加などもそれに輪をかけており、葬儀代・墓代などで残された家族へ負担を極力かけたくない、あるいはかけられない人が多いということもあるだろう。
その他、都市生活者でマンションやアパートなどの狭い集合住宅に暮らしている場合も、スペースを取る仏壇を置かない家庭が多い。その点、手元供養は省スペースでよいというのも利点である。
また、宗教にこだわらず埋葬を行いたいという多様化した価値観に影響されているとか、愛する人の死別による苦悩から立ち直るために手元供養を選択するというケースも見られる。

■手元供養の種類
【加工型】
遺骨や遺灰を別のものに加工して、オブジェやアクセサリーにするもの。
遺灰を練り込む、あるいはうわぐすりとして使用した陶器が、最もよく知られた加工型手元供養品である。陶器で花器や地蔵を作るほか、故人ゆかりのオブジェなどを製作する人もいる。
また、遺骨を砕いて圧力をかけ、人工宝石に加工したものも人気だ。ペンダントトップや指輪、ピアス、写真を入れられるロケットペンダントなど、身に着けられるものにしたり、棚などに飾れるようなオブジェにしたりしたものなどが挙げられる。
【納骨型】
入れ物の中に遺骨や遺灰を入れておくもの。
一般的には骨壷の中にいれ、仏壇などへ納めておくというものが多い。しかし他にも、コンパクトな家具調の骨壷、あるいは飾り棚へ置いておくなど、そのスタイルは生活空間やその人の考え方によってさまざまだ。また、骨壷も陶器ばかりではなく地蔵、石、竹、金属製品など種種あり、好みのものを選択することができる。
また、乳児やペットなどは、出生時と同じ体重で作られる「メモリアルテディベア」と同様なぬいぐるみを作って(亡くなった時、あるいは健康だったときの体重設定にされるようだ)、そこに骨を納める品もある。
その他、遺骨(遺灰)の一部を小さな容器付きのペンダントやリングの中へ加工せず入れておき、携帯できるようにしているものも根強い人気がある。

■手元供養に必要な手続き
故人が亡くなってすぐに手元供養を行う場合は特別な手続きは必要ない。自宅に遺骨を保管しておくのは法的にも問題がない。
分骨して、従来の墓に一部を納め、残りを手元供養にしたい場合は、納骨前に分骨しておかなくてはならない。例えば納骨を合祀墓にした時、後から手元供養分を分骨してほしいと言っても希望を叶えられる確率は低い。
一度家の墓に埋葬した遺骨を手元供養のスタイルに変える、また手元供養したうえで合祀墓などの移転も検討する際には、いくつかの手続きを必要とする。
【家の墓に納めた遺骨を手元供養にする場合】
現在の墓地がある寺院に申請して、分骨証明書を発行してもらう。
住職へ閉眼供養をお願いし、魂抜きをしてもらった上で遺骨を取りだす。住職には一般的に3-5万円程度のお布施を包む。

【現在の墓の遺骨を移転して手元供養する場合】
墓守をする子孫がいないため、遺骨を永代供養や合祀墓へ移転させ、手元供養も合わせて行うというケースは年々増えてきている。
この際は埋葬許可証と改葬許可証を墓の所在地の住所から発行してもらい、寺院で閉眼供養をして魂抜きしてもらう。このときにあらかじめ手元供養分の遺骨は分骨する。
そして、移転先の墓がある寺院から受け入れ証明書を発行してもらい、これを行政へ提出する。納骨の際は住職へ開眼供養を依頼し、御礼として前述と同額程度のお布施を包むという流れが一般的だ。
もし、完全に現在の墓を撤去するなら石材屋などへの依頼も同時に必要となる、

■手元供養と合わせて行われる埋葬
手元供養に使う遺骨は、加工型を選択する場合は分骨する家庭が多い。
分骨した遺骨を納める先は、残されたものへ迷惑をかけないように、あるいは将来墓守不在になる可能性などを懸念して、他の故人と共に埋葬される永代供養墓や合祀墓へと納められるケースが多いと言われている。
また、本山納骨といって、各地にある寺院の総本山に直接納骨するというスタイルもよく見受けられる。
本山供養を行っている寺社には、真言宗の総本山金剛峯寺、天台宗の総本山比叡山延暦寺、浄土宗の総本山知恩院、浄土真宗大谷派総本山の東本願寺、日蓮宗の総本山久遠寺、曹洞宗の総本山永平寺などが挙げられる。基本的には自分の家の宗派の本山へ納骨するものだが、たとえ違う宗派からであっても受け入れは可能である。
納骨料が普通の寺社に比べてはるかに格安であり、年間管理費や寄付などもいらないため人気がある。
ただ、上記の方法で一度納骨すると分骨は出来ないので注意したい。

《か~こ》の心霊知識