真霊論-古代霊

古代霊

古代(文明の成立から古代文明の崩壊までの時代)の霊について書く。
尚、古代文明成立以前の約5万年前、我々の祖先の近縁種であるネアンデルタール人はすでに死者に対して悼む心を持っていたと言われる。埋葬の際に数種の花をそえた跡が見つかっている。

古代エジプト

自然界のあらゆるものに霊が宿っており、動植物の霊と交流していた。霊には人間のように感情や弱点があると考えられ、霊魂は不滅であり死者は復活するとされていた。
人の魂は5つの部分からなると考えられた。死者の体をミイラにして保存するのは、魂の部分5つのうち1つ(『バー』という)の拠り所にするためである。死者のバーが、無事冥界に渡るまでを描いた『死者の書』が一緒に埋葬され、ふたたび甦るように祭司が呪文を唱えた。ピラミッドテキストと呼ばれる書によると、人は死ぬと、天の北にある暗黒に行き、北極星のまわりの星とともに霊として永遠の命を生きるとされている。

古代ギリシャ

哲学者プラトンは霊魂に注目し探求を深めた。永遠の心理(イデア)を認識するための方法の前提として霊魂不滅説を唱えた。

旧約聖書

咽頭に聖なる霊ルーアッハ(ヘブライ語で息という意味)が入って予言がなされるとされた。

欧州、キリスト教などに見られる霊魂

霊魂は成長することがない人の本能のようにとらえられていた。精神とも分けて考えられ、精神は人格にともない成長するものと考えられていた。
欧州では人間を構成する要素は3つで、霊魂、精神、肉体である。霊魂と精神は肉体に宿り、肉体が滅びると霊魂と精神が分離するものと考えられていた。

古代インド

聖典や書物、人物により霊魂とは何かさまざまに考察・解釈された。
ヴェーダ聖典によると、霊魂は不滅である。死後、肉体を離れた人間の霊魂は、火神の翼に乗って最高天の王国に着いたのち、完全な身体を得るとされた。
ウパニシャッド(奥義書の総称で、200以上ある)では、死後、善人の魂は粗道を通って地上に再生し、解脱する人の魂は神道を通って宇宙の根本原理(ブラフマン)に至るという「二道説」が説かれた。ウパニシャッドでは解脱を目標とする。ウパニシャッドにおける霊魂を示す言葉は「プラーナ(呼吸、息吹)」などさまざまあるが、なかでも「アートマン(真我)」が中心概念であり、不滅とされる。
一方、サンジャヤ・ベーラティプッタという思想家は、不可知論の立場をとり、来世の存在について、確答を避けている。

ブッダと初期仏教

初期仏教においてブッダは霊魂や神という形而上の問題については語らない無記の立場をとった。これは、必ずしも霊魂を否定するものではないとされる。

中国、道教などの宗教に見る霊魂

魂は精神を支える気とされ、それとは別に肉体を支える気として魄(はく)というものが存在する。合わせて魂魄(こんぱく)ともいい、易の思想と結びついた。魂は陽、魄は陰に属し地に帰す。
民間では、人間は3つの魂と7つの魄(はく)からなるとされる。死後、天に向かう「天魂」、地に向かう「地魂」、墓場に残る「人魂」の3つの魂と、喜、怒、哀、懼れ、愛、悪しみ、欲望からなる7つの魄(はく)である。

日本

日本人は、霊魂について区別や概念が曖昧で分類や定義がなされないまま、享受してきた。
古神道では、森羅万象に神秘的な力の源が宿るとされた。魔法や超能力など特別な力の源とさえ考えられた。太平洋の島嶼で見られる原始宗教におけるものと共通の概念である。
古代の神々は、人の姿形をして人の心を持つ人格神であり、また、優れた業績を残した人物の霊魂は人格神と同等の存在になることもある。
分類や定義ははっきりしないけれど、強弱や主客のような区別は存在する。例えば巨大な岩や山河など、また古くからあるもの、尋常ではなく優れたもの、畏れるものには、大きな力があると信じられ神として敬った。また道教や儒教の影響も大きく、戦死者を英霊や軍神のように扱うのも儒教や道教を踏襲したものである。日本神話にある人格神も、中国道教の影響によるものである。神にも霊魂があり、荒御魂や和御魂という魂の様相があるとされる。それぞれ「荒ぶり禍をもたらす魂」と、「和ぎり福をもたらす魂」といい、祟りを起こす魂の側面と、御加護をもたらす魂の側面である。
なお、日本の仏教においては、ブッダは霊魂を否定したと解釈されることが多い。

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