真霊論-観音経

観音経

『観音経』とは、『法華経(ほけきょう)』(妙法蓮華経・全二十八品)の中の、第二十五品『観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)』の略称である。
「普門(あまねく開かれた門)」とある通り、すべての人に向けて開かれた教えであり、すべての人を救済する観音菩薩の功徳を説くお経で、本文である「長行(じょうごう)」と詩の「応頌(おうじゅ)」で構成されている。
仏教関係者の間では、『観音経』 に説かれているような救済が、実際に数多く起きて来たという歴史実績があることから、「奇跡の経典」などとも呼ばれている。
また、「真の信心をもって観世音菩薩の名を一心に唱えたり、観音経を唱えるならば、すべての苦悩から解放され、また、よい子供が授けられる」とも言われている。
『観音経』は、独立した経典として扱われる場合も多く、仏教宗派の枠を越えた観音信仰の広がりの基にもなっていると言える。
「般若心経」と並んで有名な「観音経」は、どちらも「観音様」のお経である。
しかし、「般若心経」が仏教の深遠な哲理を述べた哲学的な教典であるのに対し、『観音経』はどんな困難や苦難に直面しても、「南無観世音菩薩」と一心に称名(しょうみょう・名前を唱えること)すれば、たちまち観音様が現れて救済されるという、即物的でありまさに「現世利益」を説いたお経などする意見もある。

『観音経』の内容(抜粋)

『観音経』は、お釈迦様の説法を聞こうと、大勢の人々が集まっている中で語られた説法の様子を描いたもの。
以下に、『観音経』の主だった内容を長行部分から抜粋する。
本文にあたるのが、散文体の長行で、それは観世音菩薩の名前の意味を説明し、称名による救済の功徳を約束する場面から始まる。
(現代語訳)
その時、尽きることのない求道の意志を持つという菩薩である無尽意菩薩(むじんにぼさつ)が座から立ち上がり、体にまとっているきれの右の肩の方をはずして右の肩と腕をあらわにすることで尊敬とまごころを表わし、合掌しながらお釈迦さまにおうかがいしました。
「お釈迦様。観世音菩薩は、どういうわけで観世音菩薩という名前がつけられているのでございましょうか。」
それに対して、お釈迦様がお答えになりました。
「それはこういうわけです。
世の中の数え切れないほど沢山いる人々が、いろいろな苦しい目にあっている時に、この観世音菩薩の功徳(くどく:御利益の事)の偉大さを聞き知って、一心になってその名を称えれば、観世音菩薩はすぐにその声を聞き取り、救いにやって来て苦悩から逃れさせてくださいます。
つまり、世の音を観ずる(知る、察する)という意味で、観世音と名付けられたのです。」
以下の続く内容に関しては、長文になるため現代語訳は省略し、主旨のみを記す。
続いて「七難」に対する具体的な救済例が示される。
七難とは、火難、水難、風難、刀杖難(とうじょうなん)、鬼難、枷鎖難(かさなん)、怨賊難(おんぞくなん)の七つである。
次に、「三毒」と呼ばれる煩悩からの解放が説かれる。
三毒とは、貪(とん:むさぼり。性欲)、瞋(しん:怒り)、痴(ち:愚かさ)。
その次に、「望む通りの子宝に恵まれる功徳」が説かれる。
観世音菩薩がしばしば、子宝と関連付けられる仏尊として信仰されている理由は、このくだりにある。
以上の数々の功徳をさらに強調するように、「観世音菩薩を供養すること」によって得られる福徳の大きさが喩え話で語られる。
次に、観世音菩薩が救う相手に応じて、それにふさわしい姿になって現われることが“すべて”を意味する「三十三」という数字の変身例をあげて説明される。
これを「三十三応身(おうじん)」と言い、観世音菩薩があらゆる姿に変身することを表わす。
また、この「三十三」は、観世音菩薩のキーナンバーとなり、日本各地にある三十三ヵ所観音霊場や、三十三種類の変化観音をまとめて信仰する三十三観音信仰へと発展する。

十句観音経(じっくかんのんぎょう)

『十句観音経』は、上記に挙げた『観音経』とは別の経典である。
わずか十句・四十二文字で、仏経の全経典の中でもっとも短いもの。
治る見込みがないと医者に見離された重病人が、この経典を千回唱えたら、奇跡的に回復したという話から、『延命十句観音経(えんめいじっくかんのんぎょう)』
とも呼ばれている。
「延命」と付けたのは、江戸時代中期の臨済宗中興の祖である白隠(はくいん)である。『十句観音経』が教えるのは、ただひたすら観音菩薩を念じ、その功徳を信じる事の大切さであり、『十句観音経』は、『観音経』のエッセンス部分であるとされる。
(十句観音経)
観世音 南無佛   
かんぜおん なーむーぶつ

与佛有因 与佛有縁
よーぶつうーいん よーぶつうーえん 

佛法僧縁 常楽我浄 
ぶっぽうそうえん じょうらくがーじょう

朝念観世音 暮念観世音
ちょうねんかんぜーおん ぼーねんかんぜーおん

念念従心起 念念不離心
ねんねんじゅうしんきー ねんねんふーりーしん

(口語訳)
観音様。
私は観音様を信じ観音様にすべてをおまかせします。
私は仏にさせていただく因と縁をいただいております。
仏の教えを信じまた教えをもとめていく人々とめぐりあえるおかげで、常・楽・我・浄の観音様の四徳が私の身にいただけますように。
わたしは、朝な朝な、夕べ夕べに観世音を念じます。
この一念は私の心からではなく、私の心中に秘められている仏の心の願いでございます。

観世音菩薩浄楽我浄の四徳

●常徳 
無常の世の中を生きていくのに無常を大切にしていくとやがては不安のなくなる平常心が具わる。
●楽徳
苦の世の中を生きるには、苦をよく噛みしめていくと苦からいろいろ教わり苦が苦痛でなくなる。
●我徳
自分ひとりの力で生きるのではないさまざまな縁に助けられ支えられて生かされ、また、他を生かしていくと言う自利他利の働き。
●常徳
苦だ、楽だと分け隔てをしない。
浄だ不浄だと選り好みをしない平等の智慧と慈悲。

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