真霊論-霊界

霊界

霊界とは、人間がその死後に、肉体から抜け出た魂・霊として向かうことになる、様々な世界の総称である。
霊界の構造やその場所の説明に関しては、「宗教と研究者の数だけ」と言っても過言ではないほど、諸説ある。
            

スウェーデンボルグの霊界

本稿においては、ひとつの霊界解釈として、エマニュエル・スウェーデンボルグ(1688-1772)が、数多くの幽体離脱体験によって探訪した霊界の様子を紹介しておく。
なぜスウェーデンボルグの説を紹介するかというと、その描写において宗教的脚色がないからである。
世界の各宗教(新宗教・新興宗教含む)は、霊界に関してどうしても自分たちの教義にとって都合のいいように描写をすることになる。
従って、そうした宗教色が無く、また、スウェーデンボルグ自身が幽体離脱によって探訪した世界である、という点も紹介に値するものと考える。

スウェーデンボルグの霊界とは

科学者にしてスピリチュアリストだったエマニュエル・スウェーデンボルグ(1688-1772)が、数多くの幽体離脱体験によって探訪した霊界の様子は、19世紀以降のスピリチュアリズム(心霊主義)の教科書ともなったものであり、出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう1871-1948)の『霊界物語』にも多くのインスピレーションを与えていることが知られている。
スウェーデンボルグの霊界とは、「精霊界」、「地獄界」、「天界」(「天国」と「霊国」で構成される)の総称であり、死後に人間が体験する「霊的修行の場」の総称でもある。
死んでも人はつねに課題を与えられ、霊的成長をすべき存在なのである。
従って、死後、霊的な成長を重ね、霊たちは「天国の中の上位世界」を目指す修行を続けていくことになる。

スウェーデンボルグからのメッセージ

まず最初に、スウェーデンボルグからの重要なメッセージを伝えておこう。
それは「霊界」の存在が、「現在生きている私たち人間にどう重要なのか」、という点である。
私たち人間は、死ぬ時は裸である。
いかに財産を持ち、贅沢な物に囲まれていようとも、死ぬ時にそれを霊界には持っていけない。
ところが唯一、霊界に持っていけるものがある。
それは、「生前に育んだ心」であり、「覚醒させた霊性」である。
これらメンタリティーは、死後、自分が道を選ぶ際にとても重要な要素となると、スウェーデンボルグは警告しているのである。
例えば宗教は、死後に裁判官のような存在がいて、歩める道をジャッジするなどと説く。ところがスウェーデンボルグは、「これは間違いだ」と断言する。
地獄を選ぶも天国を選ぶも、その人が死後に持ってきた「心の状態次第であり」、「自らの自由意志で住む世界を決めるのだ」と断言している。
「天国」は生命と調和の国であり、「地獄」は一人ひとりの利己的欲望の世界だとスウェーデンボルグは説明する。
そのためスウェーデンボルグは「もし死後に地獄界を選択したくないのなら、生前から心を豊かにし、愛に目覚め、霊性を高めよ」と注意勧告を促している。
さもなくば、「自らの意志によって地獄界を選ぶことになる」のである。
●霊界はどこにあるのか
スウェーデンボルグによれば、霊界はどこか彼方にあるのではなく、コインの表裏の関係であると説く。
つまり、生きている人間に肉体と霊体が重なっているように、「物質界(現世)」と「霊界」は重層的にこの宇宙において存在していると言うわけである。

太陽と霊太陽

物質界において太陽が生命にとって重要なものである以上に、霊太陽の存在は、あらゆる霊(物質体を持つ生命も含め)にとって、生命の根源となるものだとスウェーデンボルグは強調している。
つまり、霊体となった後、霊の与えられる使命・課題とは、霊太陽の存在の理解であり、また、その光をいかに多く受け、それに近づける存在となるかということになる。

霊界の構造

スウェーデンボルグによれば、霊界とは「精霊界」、「地獄界」、「天界」(「天国」と「霊国」で構成される)の総称となる。
「精霊界」とは、死んだ人間の霊がまず最初に行く世界で、その先の進路を決める仮の宿のような場所で、特に階層化されたものではない。
「天界」は「天国」と「霊国」の二つの世界に分かれている。
「天国」はさらに第一天国、第二天国、第三天国があり、霊的な成長のレベルに応じて、属する天国が決められる。
第三天国がもっとも霊太陽の光が強い世界であり、いわゆる至高世界ということになる。「霊国」も同様に第一霊国、第二霊国、第三霊国とあり、霊的な成長レベルに応じておくする国が決まる。
第三霊国に行くほど、天国とも近づく。
「地獄界」にも第一、第二、第三がある。
地獄界では、第一が最も「霊国」に近い上位の地獄ではあるが、いずれにせよ闇に閉ざされたあらゆる欲望だけが渦巻く世界である。

「精霊界」(幽界)

スウェーデンボルグは、人間はその死後、まず「精霊界」(19世紀スピリチュアリズムでは「幽界」と呼称)と呼ばれる世界へ行くとした。
ただし、すぐに旅立つのではなく、肉体内に2,3日程度、残存するという。
この間に、霊界からガイドがやって来て、「想念の交換」が行われるのである。
ガイドは霊界のいろんなレベルから来るそうで、あるガイドがやって来て想念の交換の結果、自分が導く霊と判断されると、その死者の霊を導いていくことになる。
一方、自分が導くべきではないと判断されると、そのまま去っていき、死者の霊は他のガイドが来るのを肉体内で待つことになるという。
いずれのガイドが来たにせよ、多くの霊がまず導かれるのは「精霊界」である。
「精霊界」は人間界(物質界)と「地獄界」・「霊界」の二つの世界の中間地点であり、この後の進路を決める時間が与えられる止まり木的な世界である。
(精霊界における3段階)
死んだ人間は、死後の第1状態から第2、第3状態への変化を経験しつつ、本物の霊になっていく。
第3状態に進めば、はじめて本物の霊になるわけだが、その前の第1、第2状態では、まだ人間と霊の中間とでもいうべき存在に留まっている、とスウェーデンボルグは説明する。
つまり死後、「精霊界」に来ることで、人間は自分が「霊」になったことをやっと自覚するのだという。そしてその「自覚の度合い」によって、次のステップへと進むことになる。
次のステップとは、霊としての時間をより多く費やす世界の選択である。
その世界とは「地獄界」か「天界」ということになるわけだが、例外もあるという。
(精霊界からの生まれ変わり)
その例外は、「進路が決められず精霊界に留まっている者」、「精霊界からすぐに物質界へ転生する者」などである。
以下は筆者の憶測であるが、「進路が決められず精霊界に留まっている者」の中で、物質界に何かしらのとらわれがあり、つい、物質界に想念を送る霊が俗に言う「幽霊」的な存在、となるのであろう。
「精霊界」は物質界とも次元が近いため、接点がとりやすいことから、幽霊として物質的な人間に認知されやすくなるものと考えられる。
スウェーデンボルグによる説に話を戻そう。
なぜ「進路が決められない」のかについてスウェーデンボルグは、霊的な覚醒が不十分なため、さらに先の世界があることが理解できず、「精霊界」だけが生きる世界であると信じ込んでしまうのだとする。
また、「精霊界からすぐに物質界(肉体を持つ人間)へ転生する者」の多くは、転生後に「前世の記憶をはっきり覚えていることが特長である」と、スウェーデンボルグは記している。
実際に「前世を記憶している子ども」が多数、存在している。
どうやらこれは、自らの意志によって「精霊界」からすぐに転生を果たした霊、ということになるようである。

「天界」(天国・霊国)

「精霊界」で覚醒した霊は、次のステップとして「天界」へと進んでいく。
この天界は、天国・霊国に分かれ、さらにそれぞれ第1から第3に分かれている。
霊的な覚醒のレベルに合わせて、自分が道を選ぶことになるようだ。
上に行くほど光がまぶしいので、「上を目指そう」などと思ったところで、霊的な覚醒のレベルが合っていなければ、光の輝きに耐えられないため行くことはできない、とスウェーデンボルグは記している。
また、天国とはについて、 スウェーデンボルグはこんな言葉で説明している。
「ひとりの霊の幸福は、万人の霊の幸福。万人の霊の幸福は、一人の霊の幸福――そんな世界が天国である」
(時間・空間の概念の消滅)
「天界」のいずれの階層であっても共通しているのは、「時間」「空間」という概念・感覚が消滅する、ということである。
霊界の太陽(霊太陽)は、いつも昇っており、沈むことはない。
従って、朝・昼・夜という変化も無ければ、四季も無い。
天界の霊たちは、「意識・想念」だけであらゆることが可能となる。
例えば、誰かに会いたいと念じれば、その人の所へ瞬時に移動する。
一方で、誰とも話したくないと念じれば、誰とも話せずにいられるのである。
(コミュニケーション・結婚)
コミュニケーションにおいては、天界特有の文字・言葉などが存在している。
誰もがテレパシーも使いながら意志の疎通を図るため、天界において文字や言葉は、物質界の人間ほどは重視されていないのである。
また、天界においても「結婚」はあるそうである。
ただし、肉体的な関係はなく、霊的に波長が合うカップルが結婚し、お互いがひとつの霊としてさらに霊性を高めることが、結婚の目的なのだという。
天界においても日々、霊的成長は課題となっている。
霊的な成長に応じて、天界において属する世界は変わってくるという。

地獄界

「精霊界」を経て、「天界」ではなく、「地獄界」へ進むものも多数いる。
スウェーデンボルグによれば、「地獄界」とは、「誰かによって落とされる場所」でも「悪業に対する刑罰の場」でもなく、「あくまで自らが好んで選ぶ場所」なのだそうだ。
この点において「宗教の教えは正しくない」とスウェーデンボルグは記している。
スウェーデンボルグ自身が探訪した「地獄界」とは、光の射さない暗闇の世界で、人々は怒鳴りあったり、傷つけ合い、そこらじゅうで異臭が放たれ、人々の形相や振舞いはいずれも、醜悪で狂気じみているそうである。
しかし、みんなそんな場所が天界よりも心地いいため、好き好んで地獄界の住人となっているのである。
(自由意志による選択)
これは、物質界にいた際に、「我欲」、「物欲」、「名誉欲」、「性欲」など、あらゆる故人的な欲望を謳歌することだけに人生を捧げた結果であり、「霊的な学び」を疎んじた結果であると、スウェーデンボルグは記している。
肉体を持っていた際に「我欲」だけを満たす人生を生きてしまうと、死んでからの後も、その霊は自分に進む道の選択において、霊太陽からの光のある「天界」は選択肢に入ってこなくなるわけである。
従って、多くの地獄界にいる人々たちは、誰もが皆、選んでその世界へ来ているのだそうである。
宗教などでは、「裁きによって地獄へ落とされる」と教えられるが、これは間違いであり、「裁く者など存在せず、死後の各霊界においても、人(霊)は生前のように常に自由意志で生きている」というのがスウェーデンボルグの主張である。

スウェーデンボルグの略歴

スウェーデン人。自然科学、数学、物理学、哲学、心理学など20もの学問分野で、多くの業績を上げた天才科学者であり、同時に、歴史的な霊能力者。1747年以降、すべての科学者活動を放棄し心霊的な生活と霊界の研究に没頭。自身が「死の技術」と呼んだ幽体離脱を繰り返し霊界に出入りする「霊的生涯」を送り、霊界で見聞、実体験してきたことを書き記した膨大な著書は、現在もロンドンの大英博物館に保管されている。1772年3月29日、自分が周囲に公言・予言した日に没した。

《ら~わ》の心霊知識