真霊論-離魂病

離魂病

離魂病とはその名にあるように、「魂が離脱する病気」を意味し、江戸時代に使われた言葉である。
「影の病」(かげのやまい)、「カゲワズライ」という呼び方もあった。
ではどういう場合に「魂が離脱する病気」とされたのか。
ひとつには「生霊」による現象と判断される事象が起こったときであった。
「生霊」とは生きている人間の霊である。
生きながらも霊体となれることは、「魂が離脱する病気」であると解釈されたのだ。
また、現代で言う「臨死体験」「幽体離脱体験」のような体験をした場合にも、離魂病と考えたようだ。
そしてもうひとつ、もう一人の自分と遭遇する「ドッペルゲンガー」体験も離魂病とされたと推定される。
また医学が進んでいない江戸時代であれば、精神疾患や夢遊病などを離魂病とした可能性も十分にあるだろう。
テレビ番組「オーラの泉」でも何度か離魂病に関する話題が出たため、一般的に知られるようになった。

離魂病とドッペルゲンガー

江戸時代の『奥州波奈志』という本には、奥州の実話として「影の病」に関する話が載っている。
簡単に要約すると以下のような話である。
北勇治という男が、帰宅して自分の部屋の戸を開けると、机に向かっている男の後姿が見えた。
着衣から髪の結い方まで自分そっくりなので怪しんで近づくと、相手は細く開いていた障子を抜けて縁先に走り出た。
追いかけて障子を開いたときには、もう姿はなかった。
家の者にそのことを語ると、母は何も言わずただ眉をひそめた。
それから北は病に臥し、その年の内に亡くなった。
実は、北家ではこれまで三代に渡り当主が己の姿を見て病を発し、亡くなっていたのである。
これは要するに、もう一人の自分と遭遇するという「ドッペルゲンガー現象」の記述である。
ドッペルゲンガーにおける「もう一人の自分」とは、体験者が直感的に「自分だ」と決め付けている事例がほとんどである。
第三者によって、その影の存在が同時に目撃されたりすることはないため、もう一人の自分が一体どんな存在であるのかは、まだ謎のままになっている。
それでもドッペルゲンガー現象は世界中で体験報告例があり、実際に精神医学の分野でも分析がされている事象である。
以下に
藤縄昭氏の「自己像幻視とドッペルゲンガー」(臨床精神医学76年12月号)における分析を挙げる。
総説によれば、典型的なドッペルゲンガーは、以下のような現象が典型例である。
・目の前数十センチないし数メートルのところ、あるいは側方に、はっきりとした自己自身の像が見える。
・多くは動かないが、ときには歩行、身振りに合わせて動作する。
・全身像は少ない。顔、頭部、上半身などの部分像が多い。
・一般に、黒、灰色、白などモノトーンであることが多い。
・平面的で立体感を欠き、薄いという場合もあれば、ときにはゼラチン様ないしガラス様に透明な姿で見えることもある。
・自己像は自己自身の姿とかならずしも似ておらず、表情が異なったり、衣服が異なったり、さらには若かったり甚だしく老けて見えたりすることもある。
ただし、上記のような目撃をしたからと言って「死に至る」という記述までは無い。
従って、ドッペルゲンガーは死を呼ぶ、というのはホラー映画的解釈と考えるべきかも知れない。
以下にその他のドッペルゲンガー体験例を挙げる。
報告者はいずれも生存者でもあるので、やはり「死」との因果関係は無いものと思われる。

●26歳の女性の体験
あるとき就寝して間もなく、壁際に黒い洋服を着ている人物が見えた。
その人物はまるで影のようで、顔は見えなかったが、それは自分であるとすぐに確信した。
自分を見つめているように思えた。
夫に伝えようと視線をそらしたところ、その影は自分の視界に入ろうとするかのように移動した。
18歳のとき最初に見たドッペルゲンガーは、夜間に突然、向こうに歩いていく裸の人物が見え、『誰?』と声をかけて振り返った姿が自分であった。
その後も、電車の中からホームを見ていて階段を降りていく自分が見えた。
ショーウィンドウに映る自分を見ながら髪を整えていたとき、隣で同じことをしている自分が映っており、何か話しかけてきたが間もなく消えた。
出前を取り、お金を払おうとしたところ、先に払おうとするかのように玄関に向かう自分の姿が見えた。
以上の体験例は「多彩な自己像幻視を呈した非定型精神病(満田)の1症例」(臨床精神医学98年1月号)より。

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