盛り塩とは、縁起担ぎ・厄除け・魔除けなどの意味をもつ風習である。塩を三角錐の形に盛って、玄関先や特定の部屋など任意の場所に置くことで、災厄から逃れられ幸運を呼び込むことができるというものだ。
盛り塩の由来は諸説あるが、最も一般的なのは、中国の故事に由来するという説である。
秦の始皇帝にはかこっていた女性が多くいたが、あまりに大勢すぎたため(3000人ともいわれる)毎晩の相手を自分で選ぶことすら困難だった。そのため、牛車の牛が止まったところをその晩の宿とすることにしていたという。
それを知ったある賢い女性は、自宅のまえに牛の好物である塩をいつも盛っておいた。すると見事に牛は足を止め、塩をなめ続けてもう動こうとはしない。こうして、女性は毎晩のように皇帝からの寵愛を受けることができたというのである。
この逸話から、盛り塩は客を招き、福を招くと考えられるようになったとされる。
また、日本古来の塩へのイメージが盛り塩に繋がったという説も根強い。
古くより、日本においても塩は浄化や再生といったイメージをもたれてきた。葬儀のあとに塩を撒く風習は現在も残っているものである。古い映画やドラマなどでは、嫌な来客が帰ったあとに「塩を撒け」と言うシーンがよく見られるが、これも、災いを二度と近づけまいとする心理によるものだ。また、神への供え物として塩が使われてきた歴史もある。伊勢神宮では、塩を型に入れ焼き固めて供えるが、その型が三角錐であった。神への献上物である大相撲において、取り組みのまえに塩を撒くことは、その両方の側面が如実に表れた形だといえよう。
こうした風習が全国各地に広がり、さまざまな変化を遂げていくなかで現在のような盛り塩の形式にまとまったのだというのがこの説である。
実際に資料が残されている範囲では、奈良・平安時代にはすでに民家の戸口に塩が盛ってあったという。ほとんどは商人の家であり、商売繁盛の縁起物としての側面が強かった。その効果が覿面だったため、次第にパワーを与えてくれるものとして、厄除けや魔除けの効果も期待されるようになっていったのだろう。
もともと塩は、人間が生きていくために必要不可欠な成分である。人間の体内には常に一定の塩分濃度が保たれており、神経系のはたらきには欠かせない。塩分の欠乏は脱水症状を引き起こしたり、精神的な不安を招くこともある。遭難して何日間も飲食ができなかった人が救出されると、まず塩を欲しがるというのは有名な話だろう。古代では、塩が貨幣となっていた文化もヨーロッパを中心に存在した。旧約聖書のなかに塩の柱についての記述があることも、よく知られている。
現在のような科学が発達する以前から、われわれ人間は塩の重要さを明確に認識していたのである。塩が生命力や神秘的なパワーの源として、人間にとってプラスの効果をもたらすと考えられ続けていることは、非常に理に適った話だといえる。
どれほど縁起のよいことであっても、やり方を間違えてはかえって逆効果になることが多い。盛り塩も同様である。正しい作法を知っておきたい。
盛り塩用の塩は、天然の粗塩を使用する。これは、天然塩に邪気を祓う能力があるためだ。また、普通の科学塩では風で吹き飛ばされたり形が崩れたりなどしやすいという、機能的な側面からの要請もある。
粗塩であればどこで売っているものでも構わないが、より高い効果が必要であれば、盛り塩専用の塩のセットも市販されている。こうしたセットには三角錐の型や小皿も同梱されていることが多いため、手軽に盛り塩をはじめたい場合にはよいだろう。
盛るときは、小皿や半紙のうえに盛る場合と地面に直接盛る場合とがある。これはケースごとの状況や目的によって異なってくるため、その都度専門家に尋ねるのがよい。一般には、室内では小皿や半紙等の器を使用し、玄関先の場合には地面に直接がよいとされる。用いる器に決まりごとは特にないが、各人のラッキーカラーなどを取り入れることも有効である。
厄除けや魔除けには、すでに取り憑いている厄を追い出す場合と、新たな厄が近寄らないよう遠ざける場合とがあるが、盛り塩は双方に効果があるといえる。
玄関先の場合は、入り口の両端に塩を盛ると、邪気の侵入を拒絶することができる。室内であれば、部屋の四隅にそれぞれおくことで結界のような役割を果たし、邪気につけいる隙を与えないようにできる。より大きな効果を期待したいときには、部屋の東北と南西とを結ぶライン「鬼門ライン」と、正中線との交点にも盛り塩をするとよい。盛ったあと、清酒を振りかけるようにすると効果が増幅するという説もある。
もちろん盛り塩の効果は永遠に続くわけではない。月に一度か二度取り替えるのが主流である。神道では毎月1日と15日に取り替えることになっている。流派によっては毎週取り替えるという説もある。
疎かにしてはいけないのは、不要になった塩の処理だ。用済みだからといって、トイレや流しなどに安易に流してしまってはいけない。しっかりとお礼の気持ちをもちながら処分するのが大事である。地面に直接盛った塩の場合は、水をまいて流せば戸口周辺の厄を祓うことができるだろう。また、浴槽のなかに溶かしてしまえば、入浴した際、ストレスを浄化する効能も得られる。洗濯機にひとつまみ入れることも、衣服の厄祓いとなるからよいだろう。
近年では、風水の一分野として盛り塩について言及されることも多い。だが、本来、両者は基本的に無関係の概念である。
風水における方角へのアプローチと盛り塩における配置への配慮との親和性が高かったため、日本式にアレンジされた風水では盛り塩も取り入れられるようになった、というのが真相である。八百万の神がおり、優れた文化はなんでも日本流にして取り入れてしまうわが国らしい発想である。
風水の盛り塩では、器のみならず塩そのものまでが着色されたものもよく売られている。幸運を招く方角に幸運を招く色の幸運グッズを置くという考えかただ。
もちろん、双方を信じているならば、組み合わせて用いることにはなんの問題も障害もない。しかし、半信半疑のまま取り組むならばやらないほうがよい。中途半端にやっては逆効果である。心より信じて、前向きに考えることこそが、運気をよくする最大のポイントなのである。
塩を用いた縁起担ぎ、厄除け、魔除けの方法は、盛り塩以外にも何種類か挙げることができる。塩固有の浄化効果が強力であるため、ルーツは違えど同じような発想から生まれた風習だと考えられる。
【置き塩】
これは盛り塩と同様、部屋の隅に塩を置くものだが、ここでは三角錐の形状にした粗塩ではなく、大きめの岩塩を用いる。ラッキーカラーなどできれいに着色された置き塩用の岩塩も販売されており、縁起担ぎのみならずインテリアとしての側面も兼ねたものだといえる。
【振り塩】
葬式から帰ってきたあとに塩で身を清めることは有名だが、これは、葬式の際に限定せず日常的に塩を振って体を浄化するものである。玄関で肩に振るようにするのが一般的だ。また、振った塩が室内に入ってこないよう、外側に背中を向けるとうまくできる。
【懐塩】
懐塩は、半紙に粗塩を包み、それを懐に入れて持ち歩くという邪気払いの方法である。ほかの方法が、自身のテリトリーに災厄を招かないようするものであるのに対し、こちらは護符のように、どこへ行っても災いが近づかないよう身を守るものである。日常的な邪気払いであれば、ふだんの生活圏を守るだけで充分だが、運気が著しく下がっていたり、不幸が相次いでいたりするときなどには、懐塩でより積極的に災いに対峙するとよいだろう。
これらのバリエーションも有効に組み合わせることで、粗塩による生命の力を日常生活に取り入れれば、盛り塩の効能もより高まるはずである。
日本の多くの宗派で徐霊に盛り塩が効果的であると伝える事があるが、はっきり言って無駄である。
盛り塩は宗教的な儀式の一つで、前にも説明している通り儀式作法は霊には通用せず、盛り塩をするだけで除霊が出来る筈もない。
例えば西洋文化で盛り塩をするかというと、殆どの国がしない。なぜ日本だけ塩が効くのか疑問に思わないだろうか。
実際あなたは塩があると家に入れないだろうか?塩があると心が清まるだろうか?
普通は塩があるから家に入れないとか、塩が怖いなどはあり得ないだろう。
生きている人間も死んでいる人間も、肉体があるか否かの違いだけで魂は同じである事を考えれば理解できる筈である。
つまり儀式作法ではなく、そこに彼らの魂を鎮める心があるか否かが大切なのである。
とりあえず盛り塩をしなさいなどという霊能者は間違いなく偽者であり、そんな事を指導する者ではなく霊の気持ちになって心を浄化してあげるために何が必要かを考える霊能者が本物である。
くれぐれも盛り塩で解決しようなどとは考えない事である。