お祓い(御祓い)とは本来、神道上の神事・呪術を指す言葉である。
現代においては、人が犯した罪や穢れの祓いや、病気・災厄などの治療や回避などがその主な目的である。
神道における「祓い」とは、心を曇らせている心にかかった霧やもやを払え、ということである。
というのも、神道においては、人間各自のうち側には、「神の分け御霊」が内在されていると考える。
従って、その心の曇りをとり払いさえすれば、内なる神がその人の人生を守護することになるわけである。
その「心の曇り」とは、その人の人間性・道徳性・霊性の諸問題であり、その中に「邪霊の憑依」は考慮されていない。
つまり、神道のお祓いには、霊と対話し、それを排除・浄化させるという、除霊・浄霊のプロセスは持ち合わせていないのである。
(神主によっては、独自の方法によって、霊と対峙して排除させる除霊を行っているかもしれないが、神社の公式神事に除霊は無い)。
かつて陰陽師がいた頃、特に平安時代などにおいては、「死者の霊が祟る」、「陰陽師や道教師、修験道者、などが霊的的存在を人に飛ばす」ということが半ば真実である常識として信じられた時代であった。
従って、この時代には「お祓い」には、除霊・浄霊・魔よけをも対象とした呪術が、陰陽師によって用いられたようである。
ただし陰陽師や能力者たちの呪術は、一般市民に開放された神社の神事とは言いがたく、王朝・公家・武家など、ある種の特権階級の人々たちのためのものだったようである。
しかし現代の神社におけるお祓いは、いわば儀式化したものであり、個人に潜んでいる霊的な存在を個別に霊視などにより判断し、対処するものではない。
神前で、祈り、祝詞・祓詞を奏し、財物などを祓物として拠出させる、などがその儀式の内容となっている。
こうした「祓の神事」を行うことを修祓(しゅばつ、しゅうほつ)という。
また、古い時代に「霊の存在」が信じられていた時代は、神社が発行する「神札」は重要な魔よけであった。
特に伊勢神宮の神札を求めて、全国から人々が行脚してきたようである。
この神札は毎年、新年を持って箱に捨てられ、新たな神札が購入される。
古くなった神札を捨てる箱が、現在はリストラ用語になった「お払い箱」だった。
除霊は、人や他の生命体、あるいは時に物品・家屋等に、憑依もしくは定着してしまった「霊的存在」を排除する行為である。
除霊は特定宗教のものではなく、仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教他、各宗教団体によって、それぞれの考え方と除霊・浄霊儀式(エクソシズム)がある。
除霊の場合、まず対象となる霊体の特定から始まる。
多くの霊能者やエクソシストは、対話によって、対象となる霊体から情報を聞き出すことを行う。
どういう存在で、なんで今ここに来ているのか、因果関係や理由などを問い質すわけである。
次に諭しと説得が行われていく。
本来、行くべき道筋を教え、平和裏にその場から離れるようまずは説得する。
もしこの交渉が決裂すると、霊能者やエクソシストは、自らの霊力を武器に強制排除の行為に打って出ることになる。
これが主な除霊のステップである。
つまり、霊視のみならず、霊とのコミュニケーション能力や、さらには、霊を強制的に排除させられる霊的パワーを兼ね備えて、初めて除霊ができることになる。
じつは憑依した霊を呼び出すだけの行為であれば、ちょっとした祝詞、マントラ、呪文等を使うことで可能であり、比較的多くの人々に可能な行為のである。
そして霊との対話も、少々のこと(例えば、首を振らせて合図をさせる程度)なら、可能である。
こうした、人に憑依した霊的存在をその人の心身に表面化させることを「浮霊」と呼ぶ。つまり、インチキ霊能者でも、この「浮霊」までは行えるのである。
ところが、この「浮霊」から先の「説得」「諭し」「排除」に至るステップには、それなりの経験と霊能力がなければ、絶対に不可能なのである。
特に最終的な「排除」が困難な課題である。
「説得」まではうまく行っても、最後の「排除」は霊から拒否されることが多い。
さて、問題はここからである。
「排除」が上手くできなかった場合、まずは「浮霊」状態を一旦解除することが必要となる。これは一般的に「鎮まり」等といわれる。
憑依霊を鎮めて、一旦戻し、本人の意識を引き戻すのである。
インチキ霊能者の危険性はここにある。
インチキ霊能者は、「排除」も「鎮まり」もできないことが多く、最悪の場合相談者は、よって「浮霊」状態のまま放置される、といったことにもなりかねないのである。
「浮霊」状態も、一晩寝てしまえば覚めるものから、発狂を思わせるようなひどいものまで様々にある。
したがって、除霊などの依頼を検討する際には、すべてのステップにおいて能力を発揮できる霊能者を選ぶべきである。
よくお祓いと除霊の違いを求められるが、どちらも霊を祓う事に違いない。
ただ、お祓いは特定の霊を祓うのではなく、不特定のその人へ災いを齎すであろう霊的なものを清める儀式であり、特定の霊を諭したりするものとは違う。
また神社などで行われるお祓いの多くは、その人の精神を清める事が中心で、不運や災難で壊れそうな心を正す目的でされる事が殆どである。
お祓いとは違い除霊や浄霊はその人に災いを齎す特定の霊や因縁を祓う事を言う。
除霊や浄霊の方法は様々だが、多くは災いを齎すその霊体を諭し、成仏をして貰う浄霊の方法が一般的である。
一言で分けるとすれば、お祓いはその人の心の浄化であり、除霊や浄霊はその人に災いを齎す霊を諭し成仏してもらう事である。
多くの霊能者といわれる者は除霊や浄霊を業としているが、当Cult Webで何度も説明しているように人を騙し霊感商法として生計を立てている偽霊能者の方が圧倒的に多いので注意が必要である。