恋占いは、世のなかに多くある占いのテーマのなかでも最も人気のあるものだといえる。
日本では、朝のワイドショーや週刊誌等において高い頻度で占いのコーナーが存在しているが、そのどれを見ても、「金運」や「仕事運」と並んで「恋愛運」という指標も用意されていることが確認できる。
古来より、文学や芸術のテーマには頻繁に恋愛が採用されてきた。この傾向は、作者の身分や階級を問わない。日本最古の和歌集である『万葉集』は、天皇から防人までさまざまな立場の人々の和歌を集めたものであるが、その全4500首にも及ぶ収録作のうち、実に約七割が恋愛を詠んだものであることはよく知られている。
このことからも、恋愛が万人の関心事であることは疑いようがないといえよう。
また、恋愛においては、自身の努力や研究だけで改善できる余地が、金運や仕事運などにくらべて小さい。このことも、人々が占いに頼ろうとする理由だと考えられよう。どれだけの情熱をもっていても、相手に好かれなければどうにもならないという残酷さが恋愛にはある。人智を越えた力に運命を委ねたくなるのも頷ける話である。
恋占いと一言にいっても、その具体的な占いの内容には何種類ものバリエーションがある。
意中の相手との相性を占う相性占いもあれば、現在進行形の恋愛の未来がどう展開していくかを占うものもある。反対に、まだ出会ってもいない誰かのことを占うケースもあるだろう。それぞれの立場とシチュエーションによって、悩みのフェーズは異なってくるのであり、それぞれに統一的に対応することは難しい。
用いられる占いの手法となると、さらに多くのバリエーションをもつこととなる。そもそも、ほとんどの占いが恋愛の鑑定も守備範囲としているのである。極論をいえば、どのような占いであってもなにかしらの恋占いは可能だといえよう。
古典的なものとしては、花びらをちぎっていって「好き」「嫌い」と交互に繰り返す花占いが有名だ。もちろんここには、近代的な占いが本来もつべき統計学的な裏付けは存在していない。だが、このようなシンプルなものであっても恋占いに対応しているという点は、特筆すべきであろう。
特定の誰かとの恋愛のゆくえを占うときには、占星術や血液型占い、姓名判断など、個人のパーソナリティから結果を導き出す方法が用いられることが多い。恋愛が個人と個人との関係性から発展するものである以上、双方を類型化して比較してみることは理に適っている。
この場合、互いの相性は占うまえから決定されているといえる。
反対に、運命の相手がどこにいるか、出会いはいつやってくるかなど、不確定な事象について占うときは、タロット占いが好まれる。一枚のみで占うワン・オラクルや三枚を用いるスリー・カードなど手法は豊富であり、必要に応じて選択できる。いずれも、上記のパーソナリティに則った各占いとは異なり、実際に占ってみるまで結果がわからないという点が特徴的だ。
この偶然性が、不確定な事象との高い親和性をもたらしている。また、本人の意志が反映されること、つまり自身の手で運命を決定づけているという点も適していると考えられる。
それぞれの状況に合わせて、適切な恋占いを選択することが望ましいだろう。
だがしかし、世に多く存在する恋占いのうち、大半は信頼に足るものとはいえないのが実情である。
占いは、高い人気を期待できるコンテンツである。そのため、雑誌、ウェブ等媒体を問わずどこにでも発見することができる。そして作成する以上は、より多くの注目を集めたいと考えるのが当然のことだろう。よって、必然的にそのテーマは、全人類の関心事である恋愛が高い比重を占めることになる。
すなわち、それだけ恋占いを手がけている人間が多いということでもある。
だが、そのなかに、本職の占い師が監修しているようなものはごく一部しか含まれない。
そういった本格的なものはほとんどが有料であるか、無料であったとしても機能が制限された下位バージョンになっている。本来、信頼に足るしっかりとした占いというのは、それだけの高い価値があるものなのである。
心理テストのようなものを「占い」だと称している例も少なくない。しかしこれは性格や趣味の分析には役立っても、自身の今後を占うことにはならない。本物の占いは、曖昧でどうとでも解釈のできるような答えで濁すことはしないはずだ。
無料であり誰でも気軽に試すことのできる占いには、それ相応の結果しか期待できないのだと強く認識しておくべきだろう。事実、世の中には、占いの記事を書けるライターを広く募集しているような求人まで存在するのである。このように集められた占いに身を委ねることほど愚かしいことはあるまい。
特に、近年のインターネット上では、アルゴリズムによって自動生成されるような種類の占いも非常に多く存在している。こういった性格のものとなると、アマチュアによる遊びの要素が強く、占いとしての信憑性はほとんどゼロだといってしまってよいだろう。生年月日や血液型を利用している場合も、その類型と結果とにこれとわかる因果関係が見出せる場合は少ない。ここでのパーソナリティは、ただ分類に活用するための入力データといった程度の意味合いしかもたないのである。
こういったものを、遊びだと割り切ったうえで楽しんで利用する分にはなんの問題もないだろう。しかしながら、そうした「疑似占い」ともいうべき遊びが幅を利かせすぎると、本物の占いの信憑性まで疑われてしまうおそれがある。
占いは万能ではない。たとえ評判のよい専門家に占ってもらったとしても、ときとしてはずれることもあるだろう。しかしそれは、占いが間違っていたのではなく、占いを上手に活用することができなかったと捉えるべきである。
占いは行動の指針を示すためのものであって、運命を教えてくれる予言ではないのだ。結果をきいてよりよい人生を歩めるよう努力してこそ、占いははじめて生きるものだといえる。また、占いでなんでもすべて決まっていると主張し、相談者を脅すような占い師も信用すべきではない。
恋占いにおいてもこれは同様である。相手の運命も変動するからこそ、その傾向はより顕著といえるかもしれない。占いの結果どおり進めれば恋愛がうまくいくのではなく、結果を活用することで恋愛がうまく進むのだ。
この点を誤解していては、占いの信憑性にかかわらず痛い目を見ることになるだろう。
占い師や霊能者への相談のほぼ半数以上が恋愛相談である。
復縁、結婚、離婚、不倫、などなど、、
それだけ恋に悩む人が多いということでしょう。
ただ霊能者や占い師はその恋に対してのアドバイスをしていく事が仕事であり、例えば意中の彼と霊能力で強制的に恋を実らせるなどは、どんなに凄腕の霊能者や占い師でも不可能である。
結局は片方の愛情だけでは恋愛は成立しないという事である。人の心をいとも簡単に操る事の出来る人がいたら、世の中はもっと変わっているは筈である。
ある霊能者は言いました、”その恋を実らせたいならば、霊能者や占い師に頼るのではなく、自分の心を磨きなさい”
”私はその恋が実るよう最大限のアドバイスはするが、それ以上にその恋に手を加える事は出来ません。”
”それでは貴女の成長をとめてしまう事と同じです”
まさにその通りだと思いました。これが真実の霊能者の言う事だと。
この恋を霊のせいにしたり、特殊な能力でいとも簡単に解決してしまうなどと言う霊能者は偽者である。
決してそのような甘い言葉を投げかける霊能者だけには騙されてはならない。
簡単に叶ってしまう恋など、簡単に壊れてしまうという事を忘れずに。