風水とは、大地のエネルギー、宇宙からのエネルギー、そして人が持つエネルギーを、いかに調和させて生きるかを考える科学体系のひとつである。
現代風水術という場合、そのルーツは古代中国になる。
しかし、大地・宇宙・人間のエネルギーの調和という概念は、古代エジプトのピラミッド建造や、イギリスのストーンヘンジのような古代巨石文明等にもルーツを見出すことができる。
本稿では、一般的に「風水」という際にイメージされる、古代中国にルーツを持つ風水術に関して記述する。
中国古代に起因する風水とは、「気」の流れを中心軸とした、環境工学だといえる。
いかに「気」の流れを取り込み、あるいはあるときはブロックし、人間が幸運に満ちた環境作りができるか、ということを考える科学体系である。
この場合、人間自身の持つ「気」も重要な要素となることを忘れてはいけない。
これに対して現代においては、「黄色い財布を持てば金運アップ」といった、簡便な一種の「招福術」として広まっているが、これは本来の風水とは大きくかけ離れたものである。
なぜなら、本来の風水では「黄色い財布」ということよりも、財布を持つのは「どんな運気の人なのか?」の方が重要だからである。
つまり、本来の風水ならば、「どんな運気の人は、どんな財布を持つと、気の流れが良くなるか」を考えるものなのである。
もちろん、その人が住む家等の環境・立地条件等も、招福に関わる重要条件である。
従って風水術はたしかに「招福術」でもあるが、人間・土地・宇宙を常に「気」というエネルギーにおいて総合的に関連させて、初めて診断・予測が可能となる科学なのである。
古代中国においては、宇宙、大気、大地、そして人間を取り囲みそれぞれに内在する「気」こそが、まさに神であった。
従って、風水、気功、医学を含めたあらゆる科学が、「気=神」をコントロールする技術体系であるといえる。
これらすべての科学体系のベースにあるのが「陰陽五行」である。
「陰陽」とは、自然界のあらゆるものを陰(いん)と陽(よう)に分けて考える概念である。
例えば、「太陽は陽、月は陰」、「奇数が陽、偶数が陰」、「表が陽、裏が陰」という具合である。
「五行」は、自然界は「木、火、土、金、水」の5つの要素で成り立っているという概念である。
「行」は循環するという意味で、これら5つの要素が循環することで万物が生成され自然界が構成されていると考える。
この陰陽五行の要素はそれぞれが、「相生(そうじょう)」、「相剋(そうこく)」、「比和(ひわ)」という関係性を持つ。
「相生」とは「相性がいい親和関係」であり、「相剋」は「吸収・勝ち負け」の関係性であり、「比和」とは「相乗効果」の関係を示す。
こうした「陰陽五行」の世界観を、人間が住む環境に当てはめたものが「風水」である。風水において特に重視されたのは、「水」であるが、これは水が気の流れを「止める・貯める」等の役割を担うものとして住環境においては重視したからである。
また風水の名の由来は、郭璞の『葬書』にある以下の一節から取られている。
「気は風に乗ずれば散じ、水に界(くぎ)られれば即ち止まる。
古人はこれを聚(あつ)めて散ぜしめず、これを行いて止めるあり。
ゆえに、これを風水という。」
風水の起源は明確ではないが、少なくとも2000年以上前からあったのは確かなようだ。
その初期の名称は「風水」ではなく「堪輿」(かんゆ・かんよ)であった。
古代風水は、「陰宅(墓地)法」つまり、お墓の作り方から発展したのである。
これは風水が、一般人のためのものではなく、皇帝・王族・貴族のためのものであったことの証左となる。
風水では「陽宅」=「生きている人間の家」、「陰宅」=「お墓」である。
特権階級がその勢力を末代まで保つためには、いかに祖先を敬い葬るか、が重要だったのである。
つまり、先祖の葬り方によって、子孫の運気への悪影響を避け、繁栄の「気」を授かれる「陰宅(墓地)法」を考えることが風水の起源となったのである。
その後風水は、都市づくりを行う際のベースとなる。
これも市民の繁栄すなわち王族の栄華であるからである。
初期においては山や川、池の形や勢いから、その土地の「気」の流れを判断するやり方が取られた。
特に山を背に、前方に水を望む状況が吉とされた。
これは人間と自然との気の共鳴技術であり、「気持ちが良いと感じる空間」を吉としたためである。
7世紀から13世紀にかけては羅針盤・方位磁石が伝播したことで、風水も全盛期を迎える。
「地形を観察して判断する流派」と、「八卦や干支、羅針盤を用いて判断する流派」の二つに大きく分かれるが、ほどなく二つの流派は混ざり合い、17世紀半ばまでに、現代風水の基本体系が出来上がることになる。
鬼門(きもん)とは、北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位である。
この方位は、鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角としている。
そして鬼門とは反対の、南西(坤、ひつじさる)の方角を裏鬼門(うらきもん)と言い、この方角も忌み嫌われる。
これらの鬼門・裏鬼門を何かしらの方法で守ることを「鬼門封じ」と呼ぶ。
江戸城・皇居には、こうした風水学が取り込まれて設計されていることが知られている。しかし、これらの概念を生み出したのは、正確には風水学をベースにした「陰陽道」であることは忘れてはならない。
陰陽道では、他の方位神とは異なり、鬼門は常に艮の方角にある。
風水は世界中に影響を与えていて、陰陽道の中にも取り込まれている。
ただし、陰陽道における風水学は、日本古来の宅相診断などを取り込みつつ、独自の発展を成し遂げている。
したがって、鬼門・裏鬼門に対する考え方も、中国古来の風水とは一線を画している。
中国風水では、北東の方角=鬼門=嫌な方角、という単純な図式では考えないのである。では何が重要かというと、そこに住む人の気の流れ=運勢、である。
そこに住む人間の持つエネルギーの流れをまず考え、環境と照らし合わせるのが、本来の風水術なのである。
現代においては、簡便型風水「招福術」が大流行である。
例えば金運アップの象徴である「黄色い財布」だが、じつは黄色はお金が出ていくエネルギーなので、正確には「黄土色」が正しい。
ただし、「黄土色」の財布を持てば誰もが金運アップかというと、決してそんなことはないのである。
風水が教えていることの重要な点は、「まずは、人間自身の気・運気に磨きをかけよ」ということである。
そしてその後に、人間を囲む環境のあらゆる気をうまく使いこなせ、ということである。従って、自らの運気を向上させる前に黄色い財布を持ったところで、何の意味もないのだ。
万が一、「黄色い財布を持ったからもう大丈夫」といった妙な安心感を得てしまい、自己鍛錬を怠るなら、簡便型風水は百害あって一利ない教えになってしまうのだ。
運気とは、その人の宿命を知り、その道を生きることで、初めて上げられるものである。そのためには、己の心に向かい合い、魂に秘められたエッセンスを知ることが重要である。
本当にスピリチュアルな生き方の実践を行うことで、宿命を知り、初めて天命に即した生き方が行える。
その際にこそ、風水が言う運気の向上が現実化するのである。