真霊論-病気と霊の関係

病気と霊の関係

現代医学の進歩と共に、多くの心身の病は医学によって治癒・改善がなされている。しかしその一方で、未だに医学的なアプローチでは治癒・改善されない病も多数存在している。以下にそうした病と霊的な存在との関係性をまとめてみよう。

病の霊的関与を疑う前に

当然のことながら、もし心身を病んだ際にいきなり「霊障」(霊的障害)を疑うのは危険である。それが精神疾患であれ肉体疾患であれ、まずは、医学的な所見と治療を受けてみるべきである。
もしそれでも一向に治癒・改善へと向かわない、または医師から見放されてしまった、といった場合は、しかるべき霊的な対処法を検討していくのが懸命なステップと言えるだろう。

精神疾患と霊について

霊的な関与が多いとされるのが、精神疾患である。ここでは各病理の特徴は詳述しないが、うつ病や統合失調症などの疾患については、医学的アプローチで治癒しなかった人が霊的アプローチ(除霊・浄霊・洗心等の心のあり方の改善・その他)によって治癒したケースも実際に存在している。
ただし、繰り返しになるがすべての精神疾患をすぐに「霊障」と決め付けるのは早急であり、まずは医師の判断を仰ぎ、それでも改善しなければ霊的なアプローチを行うのが正しいステップと言えるだろう。

精神疾患において霊的関与を疑う必要性について

なぜ精神疾患に関して「霊的な関与」(霊障)を視野に入れる必要があるかと言うと、霊的な関与によって「人生が否定的な方向」へと導かれるのを阻止するためである。
疾患と霊的関与には、大きく二つの結果が導かれると言える。
ひとつは「霊的熱病」の結果、その間苦しみはするがその結果として、潜在能力が開花し霊的エネルギーを活用した新たな前向きな人生がスタートする、というケースもある。
しかしこれは主に霊能者となるべく人生があらかじめプログラムされた人のケースであり、稀なケースだと言える。
一方で多くの人は、精神的な苦痛や落ち込みなどによって、人生が否定的な方向へと向かわされ、最悪のケースは自死の道を選択することもあるだろう。
もし医学で精神疾患が改善され、人生が軌道に乗れば、それで問題はない。しかし多くの人が、医学的なアプローチでは完治せず、働き盛りの年に仕事ができない、あるいは、人が怖くて恋愛ができないなど、人生が停滞してしまうことを多く体験している。
こうした場合、「自分は精神病だからしょうがない」とあきらめずに、医学で完治しなければ霊的なアプローチを検討し、少しでも人生を前向きなものとすることが必要となるだろう。
ただしこの場合、「霊感商法」的な詐欺行為と接触しがちにもなるので、霊的アプローチを検討する際には、入念に関わる相手をチェックする必要がある。

精神疾患と霊 ケースデータ 24人のビリー・ミリガン

医学万能と言われる現代においても、時には不本意にも無能ぶりをさらけ出してしまうことがある。その一例として「24人のビリー・ミリガン」のケースを紹介したい。
世界的に有名になったビリー・ミリガン(1995生まれ、米国)は、本来の人格(基本人格)に加え、23人の人格が加わった合計24人の人格を持つ「解離性同一性障害」(多重人格障害)である。この障害は、幼少期に継父から受けた精神的・肉体的虐待を機に発症していったとされている。
しかし驚くべきは、ミリガンに表出した23人の人格であった。
年齢的には下は3歳(女児)から上はミリガンと同年代の「教師」と呼ばれる人格まで、さまざまである。そして本人は米国人であるが、イギリス人やユーゴスラビア人の人格までもがミリガンの中にいる。
例えばイギリス人の人格がミリガンを支配した場合は、彼は話すこともできないはずのコックニー訛り(ロンドンの下町言葉)を完璧に話すのである。
ミリガンから現れる24人格のうち、犯罪・暴力好き、女性好きなど「好ましくない人格」は13あったそうである。その結果、1970年にミリガンは「キャンパス婦女強姦強盗事件」によって逮捕・起訴されたのである。
ミリガンの悲劇は、別人格にスポット(行動する権利)されてしまうと、本人は記憶を無くすだけでなく、理性も知性も奪われ、行動さえも支配されてしまうことである。
こうした極端な多重人格障害は、もちろん稀なケースであるが、医師等によってこの状態がウソや妄想で起こされているのではないことは証明されている。しかし医学的アプローチでは完治はせず、ミリガンは現在もいくつかの人格と共に人生を送っているのである。
ミリガンが霊的なアプローチを受けたかどうかは不明だが、記憶や行動までをも完全に支配されてしまうとすれば、これは一種の憑依現象とも言えるものであるのではないだろうか。

肉体疾患と霊について

肉体疾患の場合、霊的因果が疑われるケースは、精神疾患のケースよりは明確になると思われる。
実際にこんな例がある。胃がしくしくと数日間痛むので医者に行き、胃カメラ検査までもしてみたが、なんら異常はないと医師は言う。しかしそれでもしくしくと痛みは続くため、霊的アプローチを頼ってみたら改善した、といったケースである。
つまり、確実に「肉体疾患や違和感があるのに、医学的には異常は認められない」といったケースである。こうした医学では原因不明の身体の不調の改善策としては、やはり霊的アプローチが有効の場合もある。

肉体疾患と霊 ケースデータ 鼻炎と生霊

これは実際に筆者自身がフィリピンの心霊治療師の取材で得たケースである。
長年「アレルギー性鼻炎」で悩んでいた友人が、フィリピンの心霊手術を受けて改善をした。その施術の現場に筆者も立ち会った。
その施術シーンを簡単に再現してみるとこんなものだった。
心霊治療師の手が友人(患者)の眉間あたりに触れると、すぐに「直径4センチほどの肉塊みたいなもの」が物質化した。そしてその物質化されたものを手にした瞬間に心霊治療師がこう言ったのである。
「これはブラックマジック、つまり、誰かの怨念みたいなものですね」と。
つまり「お前は誰かの恨みを買ったせいで、長年アレルギー性鼻炎を患ったのだ」と言いたかったわけである。筆者が通訳すると、友人はその場では苦笑いをするだけだった。しかしそれを機に、友人のアレルギー性鼻炎は改善されたそうだ。
この心霊治療師の所見が正しいかどうか、それは科学的には証明できない。
しかし、人間関係でのトラブルなどで生じた真情的なものが、何かしらの形で人間の心身に影響を与える可能性は否定できないであろう。

総論:霊的な関与をどう防ぐか

人間に関与する「霊的性質」はじつに多岐に渡るといえる。霊能的な言葉で言うと「不成仏霊」、「動物霊」といった言葉がよく出てくるが、もちろんそれだけではない。
生きている人間の怒りや怨念が形成する「生霊」もあれば、自然界に存在するエンティティ(霊的存在)が関与するケースもあるし、キリスト教的なデーモン(悪魔)によって悲惨な心身の状態となるケースもある。
フィリピンのシャーマンに言わせれば、自然界のエンティティの怒りは、例えばハイキングに出かけた際に、「うっかり岩に座っただけでも、それが聖なる岩であれば怒りを買って心身の病になる」と言う。この場合、医者では治せないそうである。
つまり、日々の人間関係や行いが、さまざまな霊的性質と関係していると言うことである。こうした中で注意できることは、ありていな表現になってしまうが「心のあり方と行動を正しくする」ということが最善策なのである。
また、人間関係においては、どんな人と出会っても「感謝」の気持ちを持って接することしかない。生霊の被害に会った人のケースでは、「いつ、そんな恨みを買ったのかまったくわからない」と言うことが多い。つまり本人は軽い気持ちでいたとしても、相手にとってすごい怨念となる、ということも多くあるのである。
先祖への感謝、死者に対する敬意ももちろん軽んじてはいけない。また、自然の中に入り込む際には、自然に対する感謝と敬意が必要なのだろう。
つまり総論として、霊的な関与は、私たちの霊的な部分と相関関係を持つということが言えるのではないだろうか。
ネガティブな思考になれば、相応するネガティブな霊的関与を許すことになる。人生を前向きにしていくためには、ポジティブな心と魂の状態を保つことで、相応する前向きな霊的なサポートを得られることになるのではないだろうか。

《は~ほ》の心霊知識