憑依とは、生身の人間が動物霊や生霊、悪霊などといった霊に取り憑かれる現象のことである。
用語としての「憑依」は、ドイツ語の「Besessenheit」や英語の「spirit possession」といった学術語を翻訳したものだ。
旧来、わが国においては、憑依と同種の現象を地域ごとの文化や風習にならってそれぞれ別々に呼称してきた。「神懸かり」、「神留」、「神宿り」、「神降ろし」、「ヨリマシ」、「ターリ」などなど、例を挙げればきりがない。こうした表現の多種多様さは、八百万の神が住まう日本という国の特性が如実に現れた顕著な例だといえよう。
しかしながら、これでは用語としての整合性がとれない。現象について総合的に研究するためには不充分といわざるを得なかった。人類学や民俗学、宗教学といった学問の分野が日本においても発展を遂げるにつれ、相応の用語を用意する必要性が高まったていたのである。そこで、「憑依」という訳語が生まれたわけだ。
宗教学者・池上良正の指摘によれば、現在確認されている最も古い「憑依」の記述は、1941年に発表された秋葉降の『朝鮮巫俗の現地研究』という文献だとされる。
もっとも、この時点ではまだ一般的な用語とは言いがたく、この語が広く使用されるようになったのは第二次大戦後と考えるのが妥当だろうと池上は推定している(『死者の救済史―供養と憑依の宗教学』 角川学芸出版、2003)。
憑依の報告例は時代や場所を問わない。紀元前から現代にいたるまで、ありとあらゆる場所で憑依は発生してきた。
古代ギリシャでは、神が人間に憑いて預言をさずけるという現象がプラトンの著作(『パイドロス』、『ティマイオス』など)によって紹介されている。一方、ヒポクラテスは憑依を「神の行為ではない」と反論しているが、憑依という概念自体がすでに存在したことは証明されている格好である。
ユダヤ教やキリスト教およびイスラム教における預言、福音、啓示も、これと同様に、神が宿ることでメッセージが伝えられるものだと考えることが可能だろう。
神以外の憑依に関しては、時代や宗派によって捉えかたが変わってくる。聖なる現象だとするものもあれば、悪魔の仕業だとして迫害されることもあった。いずれにせよ、やはり憑依という現象が長年にわたって確認されているものであることはたしかだといえよう。
日本の民間信仰や伝承などにおいては、キツネやタヌキやヘビといった動物霊に取り憑かれるという逸話が特によく見られる。万物に神が宿ると信じる文化であることを考慮すれば、動物霊も神の憑依のバリエーションだと捉えられるだろう。キツネを祀る稲荷信仰が現在でも根強く続いていることは、科学の発達した今なお憑依現象への認知が高いことの裏返しである。
大衆娯楽に身近なところでは、大相撲も憑依と無関係ではない。もともと大相撲は天皇に奉納する神事であり、横綱とは戦いの神が宿る御霊代として設定されている役職なのである。この競技が一般に国技として扱われ、数百年にわたって高い人気を誇っている点からも、たとえ無意識的にせよ、憑依という概念の国民への浸透度の高さが窺える。
また、ギャンブルや運勢などにおいて使われる「ツキ」という言葉も、「憑く」を語源としたものだという説がある。日本人は常々、論理や理屈で具体的な説明のつかないものを、すべて神の御業だと捉えてきたわけである。
憑依霊はいわば、生きた肉体の空き巣である。現実の空き巣がそうであるように、隙が多ければ多いほど被害に遭うの危険性は高まる。肉体面、精神面を問わず健康に不安があると、霊はそこにつけこんで取り憑こうとするのである。
憑依をする霊は、地縛霊や浮遊霊といった低級霊に多い。自らがすでに死を迎えていることを理解できず、成仏もできていないからこそ、他者の肉体に憑依できてしまうのである。多くの霊は、無意識のうちに生きている人間に憑依するのだ。
一方、意識的に特定の相手を狙って憑依する霊もある。これは、恨みや憎しみ、復讐心から計画的に憑依するものである。こちらは強い意志をもっているため、除霊の難易度が高くなる。
憑依の初期段階では、憑依される側の人間は幻覚や幻聴を覚えることが多い。また、体調不良を訴えることもある。最もポピュラーな自覚症状は、重度の肩凝りがするというケースだ。このとき、霊視をすると肩の付近にもやもやとした白いものが憑いていることを確認できるだろう。
精神的な不調を来すことも多いが、この場合は、必ずしも憑依霊のせいばかりとは言い切れない。もともと落ち込みがちでノイローゼ状態に陥っているころを狙って霊が憑いたのかもしれないからだ。その結果、霊によってさらに精神状態が酷くなり、そしてさらに霊にとって居心地がよくなるという悪循環を招きかねない。
だが、初期段階で異変に気づくことができれば、霊能者に頼らずとも霊を追い出すことは可能である。仕事や趣味に熱中するなど、前向きに充実した生活を送ることで自然と憑依関係は解消される。隙をなくし、物理的に閉め出すのである。
しかしながら、ほとんどの人間はここで憑依霊を追い出すことはできない。幻覚や幻聴を、あたかも自身が特別な能力を身につけたかのように捉えてしまうからである。うっかり憑依霊の甘いささやきに耳を貸し、積極的に接触を図るようになると、双方の意識が次第に同一化していってしまう。
こうなると、もう自力での除霊は困難になる。
初期段階までは、憑依霊の意識と自らの意識とがしっかりと区別できたはずである。だが、憑依レベルが進むと、その境目は曖昧さを増す。妄想と現実が渾然一体となった結果、おかしな言葉を口走ったり、突然不可思議な行動をとったりするようになる。
いわゆる多重人格という状態は、こうした憑依による被害であることも少なくない。
ほかにも、それまで一切酒を飲まなかった人間が急に浴びるほど深酒するようになったり、突然タバコを吸い始めたりといった現象は少なからず見られる。
また、憑依霊と憑依された人間の性別が異なるケースでは、ファッションや趣味が前触れもなく変わることも多い。あなたの身近に、ある日突然男装趣味あるいは女装趣味に目覚めてしまった人間がいたら、それは憑依霊の仕業である可能性を考えるとよいだろう。
最終段階では、ついに憑依霊に意識を乗っ取られてしまうことになる。
もはや操り人形であり、肉体の持ち主には自身が何をしているかの自覚すらなくなる。外見は変わらなくとも、これではまったく別の人間に変身してしまったようなものである。
最悪のパターンは、憑依霊が自殺願望を持ち続けたまま地縛霊となってしまっているケースだ。このとき、霊は憑依した相手を自殺へ追い込んでしまいかねない。目論見がうまくいくと、また次の人間へ憑依し次々に自殺させるということを繰り返す邪悪霊になるので、早期に除霊し成仏させることが必要だ。
かたや医学的見解では、憑依は精神疾患の一種だと解釈される。
精神医学者の森田正馬は1915年に祈祷性精神病という疾患を定義した。これはヒステリー性の疾患であり、憑依を含む多くの霊的現象や宗教的現象が当てはまる。自信家で強情な性格の女性に発症しやすいとされている。
まず、健康な肉体と精神を保つことが最大の予防である。そして、余計な恨みを買わないように、日ごろから正しい生活を心がける。
すなわち、ほかの多くの霊的被害と同様の対策をとればよいのである。
それでも、体質的に霊からコミュニケーションを図られやすい人間もいる。こうした霊媒体質の者の場合は、彼らからのコンタクトがあっても一切耳を貸さず無視する以外に術がない。誘惑に負けない強い意志をもつことが重要だ。
逆に、多くの誘いがあるにもかかわらずそれを上手にかわし、適切に意志をコントロールできるならば、霊媒師の素質があるかもしれない。
憑依の被害を受けた場合、最も一般的な解決法は除霊である。情報通信技術の発達した現在ならば、祈祷師やシャーマンや霊能者など、除霊を請け負うことを職業としている人々を探すことはそう難しいことではないはずだ。
肉体的ないし精神的な不調が憑依霊の仕業であると考えられる場合には、一刻も早く除霊を依頼することが望ましい。
しかしながら、そうした霊能者のなかには、依頼者が精神的に弱っていることに付け込んで、不要な護符やペンダントなどを売りつけて法外な料金を要求する者もいる。
あなたが現在憑依の被害に遭っていないならば、「自分だけは騙されない」と考えるかもしれない。だが、不安から逃れたくてたまらないときには、誰しも判断力が低下するものである。なにより、霊能者の口にする言葉の真偽は、霊能者でない人間には確認する方法がないのだ。
大金を支払うだけならまだよい。真に信頼のおけない霊能者は、その能力も信頼できないのである。金をむしり取られた挙げ句、憑依霊も不完全にしか除霊してもらえないようなことになっては取り返しがつかなくなる。
除霊の依頼をする際は、極力、冷静な知人や友人と一緒に相手を吟味し、焦らずじっくりと検討することが求められる。
憑依とは霊魂が生きている人間の心や体に乗り移り、その人の人格を変えてしまう事を言う。
また、人の霊魂が憑依する以外に神道の考えでは、神が人の心に乗り移る行為も憑依と言う事がある。
憑依霊(憑依をする側の霊魂)の多くは、その人の人格を変え不幸に誘導する事が多く、憑依=霊障となる事が殆どである。
現在霊障の大半が憑依霊によるものであり、憑依されている事に気付かない人を含めると、想像を絶する数の人が憑依されている。
分かりやすい憑依では、実際に憑依した霊魂が憑依された者の口を使い言いたい事を話すなど、まるでホラー映画の一面に出てくるような現象を起こす事もある。
その他にもこの世に執着のある憑依霊が憑依した人の身体を自由に利用しこの世にやり残した事をやり遂げる行為に及ぶ事もある。
また長くこの世に留まりたいがため、憑依している事に気付かれないように大人しく憑依して長い間憑依し続ける霊魂も多い。
この様な憑依状態が長く続くと、憑依されている前の健康な意識状態の時の自分を忘れ、憑依されているの状態が当たり前のような錯覚に陥る事が多い。
何となく精神状態が不安定であるとか、長く鬱々した気分から解放されないなどの症状があれば注意が必要である。
憑依霊に取り憑かれてしまった場合、初期の段階や怨念などの縛りが軽い霊魂であれば、簡単な方法で祓うことが可能だ。
以下にそれらの一部を紹介する。
■柏手
邪気を祓うために、柏手は最も簡単で便利な方法である。
体が病気でもないのに重い、だるい、動くのが面倒だ、などど感じた際は、なるべく大きな音を出して柏手を打つとよいだろう。
■清潔な環境
身の回りを清潔に保つことは、霊を払うのに何より効果的だ。
特に風呂、湯船に浸かる習慣は憑依しづらい体質を作る基本となる。
いつもと顔付きが違うなど身体的に違和感を感じた際は、粗塩をひとつかみ入れるか、日本酒を入れた風呂に入ることが有効だ。
そして、特に髪の毛を清潔に保つことや、清潔な下着を常に身につけることも推奨される。
その他、部屋の整理整頓や掃除なども、霊を祓うひとつの方法だ。特に髪の毛や爪などが落ちている部屋や、湿度が高すぎる部屋は霊の温床となりやすい。掃除の他、換気やまめなゴミ捨てなどにも気を配りたい。
■よい言霊
汚れた言葉をよく使ったり、人の悪口などを頻繁に言ったりする人にも憑依霊はよって来やすい。
憑依を感じるような肩こりやだるい体調を感じたなら、出来るだけ美しい言葉や感謝の念を込めた言葉などを使うように心がけよう。それだけでもかなりの効果がある。
■規則正しい生活、体力
夜型の生活や不規則な睡眠、またファーストフードやコンビニ弁当、インスタント食品中心などの乱れた食生活をしている人はは霊が最も好む憑依者である。
このような人は、朝型で日光を浴びる生活に改善するとか、やバランスの取れた食生活を実践することで憑依を予防する、もしくは憑依状態を解くことが可能となる。
また、「胆力」といい、腹筋を中心とした筋力をつけることで体力がアップし、精神的にも自信を持つことができる。憑依霊を祓う、またはそもそも霊を呼ばない体質を作るために、大変効果が高いとされている。
■お守りなど
霊験あらたかなお守りやお札などは、憑依霊を祓うには大変有効な手立てである。
よき霊能者や寺社仏閣などで念を込められたお守りを携帯したり、お札を神棚に飾ったりするのもよいだろう。
しかし、1年以上期間の経ったものは、邪気を払うどころか逆に悪い霊などを呼び寄せてしまう危険性もある。期限の過ぎた物は、しかるべき方法で処分した方がよい。
ただし、強い恨みや復讐の念を持つなどの強力な憑依霊には、あまり効果が期待出来ない。
このような場合は、信頼できるプロの霊能者へ依頼しお祓いしてもらうことをお勧めする。