真霊論-土地因縁霊(屋敷因縁霊)

土地因縁霊(屋敷因縁霊)

土地因縁霊は、その土地に何かしらの因縁を持つ霊。
屋敷因縁霊は、その家・屋敷・家屋に何かしらの因縁を持つ霊である。
これらを総称して「地縛霊」とも呼ぶ。
この場合の「因縁」とは、霊個々によってさまざまなケースが考えられる。
多くの場合、その土地・家屋で何かの理由により死亡した場合に、因縁霊となることが多いとされる。
ただし、天寿をまっとうできたような場合は因縁霊になるようなことは少なく、殺害された、自殺した、急死した、志半ばで病死した、などの死亡原因が因縁霊を生むという考え方もある。
上記は主に霊を人間のものとして想定しているが、地縛霊は必ずしも人間の霊とは限らない。
動物霊である可能性もあれば、人間でも動物でもない、自然霊・精霊・あるいは悪魔的な存在である可能性もある。
また、地縛霊を構成するものとして、集合意識的な「霊団」のようなものが存在する可能性もある。
これは例えば先祖代々、長く引き継がれた土地・家屋等に、その家系の人々の生きていた際の記憶が残像のように残り、霊的な集合意識を形作るケースである。
この場合、その家系個人個々の魂はすでにそこにはいなくても、その屋敷で体験した人生での強い悲しみの体験・記憶などが、残像として場に焼きつくという考え方である。

なぜ因縁霊になるのか

昔から幽霊といえば、お化け屋敷に出るもの、とされている。
これは屋敷因縁霊が幽霊の典型であることを意味している。
なぜ家屋は地縛因縁霊を生みやすいのかについては、おおよそ明快な原因がわかっている。
家屋というのは人生の多くの時間を過ごすもので、そこには喜怒哀楽という人間の感情が多く残像として残る「霊的な場」を構成することになる。
人間の感情というのは、一種の電磁波とも考えられるものである。
従って、例えば、その家屋で過ごした人の人生が悲しみに満ちた悲惨なものであれば、「強い悲しみ」という波形の電磁波(感情波)が、堆積し霊的な電場を構成するのである。こうした霊的電場が、心霊スポットとして、さまざまな作用を見せるケースもある。
この霊的電場を霊能者が霊視をすれば、魂の実態はそこにはないにしても、その感情波を残した人の霊の姿を見ることになるだろう。
土地や家屋には、人間の感情が「霊的な場」を構成する、というのが因縁霊に対するひとつの考え方である。
また一方で、魂を持つ霊的な実態が、その土地や屋敷に地縛されているケースもあるだろう。
これは主に、その場所で急死・自殺などをしてしまい、ただ、自分の死に気づかずにいる場合などである。
ニコール・キッドマンが主演した映画『アザース』は、屋敷因縁霊をテーマにしたよくできた作品である。
この映画は屋敷因縁霊側から見た世界を描いているのだが、このように霊が「自分たちは生きている」と錯覚をしたままの状態に置かれてしまうという事実もあるのであろう。
また、キリスト教圏の国々では、家屋で霊的な気配を感じると、エクソシスト牧師や霊能者を招聘して原因を調べることもよくある。
そうしたケースの中に、稀に元人間ではない、いわゆる悪魔的なエネルギー存在が原因となっているケースもあるようだ。

霊体と場

霊体と場はとても密接な関係を持っている。
霊体とは、肉体を離れたエネルギー体でアストラル体やエーテル体などとも呼ばれる。
その実態はある種の電磁波で構成されたホログラム的なものと考えられる。
一方で、土地や屋敷というのは、物質的なひとつの「場」である。
ただし、物質的な場ではあるが、実態としてはさまざまなエネルギー場もそこに滞留することになる。
わかりやすい例で言えば、戦場には当然、兵士の霊そのものが地縛される可能性もある。また、霊自身はいなくても「怖かった・痛かった・辛かった」といった兵士の感情の記憶がそこにある種の電磁波として残り、土地という場に上書きをすることになる。
このように、霊体・感情・土地というのは、「ある種の電磁波とその滞留」という関係においてつながっていくのである。
あるスポットでの事故死者の霊は、しばらくその場所に留まるとよく言われる。
この場合、多くのケースにおいて留まっていると考えられるのは「俺はここで死んだのか? 悲しい」という感情のエネルギー場であり、霊体そのものは、自分の死体が運ばれるのを見ればそこからは去るケースが多いとされる。
このように「地縛霊」という場合、その多くは、そこに残された「感情の記憶などが構成する霊的エネルギー場」であると考えることができるだろう。
一方、少ないケースではあるが霊体そのものが、ある因縁により、死後長らくその場に地縛されてしまうこともあるようだ。

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