真霊論-超心理学

超心理学

超心理学は、超自然な振る舞いを見せる人間の能力(超能力)や、超自然現象などに対する科学的な解明を目的にした学問である。
超心理学がこれまで対象とし、実験検証などを行ってきた超能力には以下のものがある。テレパシー、千里眼(透視能力)、予知能力、物体作用系の念力(サイコキネシス)、人間の想いの集合意識的な振る舞いに関する研究などである。
ただし、論文的な成果はないまでも、臨死体験、過去生の記憶、各種心霊現象なども、実際的には検証に当たっているようである。
検証手法は実験心理学の手法をベースにした、統計学的検定手法が中心である。
「超心理学部」という専門学部の存在は現在、ジョン・F・ケネディ大学(米国)、エディンバラ大学(英国)など、ほんの数校ではあるが、欧米の大学において専門学部として設置されている。
大学院研究室のみの設置であれば、その数は増える。
日本の大学では正式な学部設置は史上、まだない。
日本の大学機関で欧米の超心理学研究に関する翻訳活動、講座開設等を行っている研究室としては、明治大学の石川幹人教授の「メタ超心理学研究室」がある。

超心理学の父、J・B・ライン博士

「超心理学」という言葉を造語したのは、1889年、ドイツの心理学者マックス・デソワールによってである。
しかし、大学機関において本格的に超心理学研究が行われたのは、1930年、米国デューク大学に「超心理学研究室」が設置されてからのことである。
このデューク大学「超心理学研究室」の室長が、ジョゼフ・バンクス・ライン博士(1895-1980)である。
植物学博士であったライン博士は、英国でシャーロックホームズの生みの親であるコナン・ドイルの「心霊学」の講演会に参加する。
この内容に感銘を受け、心霊研究を始めていた。
その後、米国デューク大学に招聘され、「超心理学研究室」において、本格的に人間の超心理に関する研究を開始する。
この初期においては、心理学の延長線上の学問として位置づけが重要であった。
つまり、心理学では解明できない、人間の超心理的な振る舞いを検証・分析することが「超心理学」の重要なミッションだったのである。
各種の実験とその追試検証等を繰り返し行った結果、ライン博士は人間の超能力等に関して以下のように結論付けている。
●ESP(超感覚的知覚・テレパシーや透視)は、ESPカードを使った数百万回にのぼるテストによって、合理的な疑問を1つも残すことなくその存在が証明された。
●念力(PK,サイコキネシス)は、サイコロ実験によって、念じた目が出る回数が確率的法則よりも多いことから「有意」(あるということ)である。
●人間のESPやPKといった超自然的な能力は時間や空間の制約を受けない、超次元的な振る舞いを見せる。

超心理学の本当の意味合い(推論)

上記のように「超能力」を認めたJ・B・ライン博士ではあるが、これは「科学が超能力を認めた」わけではないことに注意が必要である。
ライン博士は元々、いわば超能力信者である。
科学界には大勢のアンチ超能力者がいる。
不思議なことにアンチ超能力者の学者が同席した実験では、際立った超能力現象は起こらなかったため、ライン博士は「否定派の意識が超能力の発言を邪魔する」と推論した。
以来、超心理学ではこの現象を「山羊・羊効果」と呼んでいる。
いずれにせよ、学部の設置数から見ても、「超心理学部」は大学というアカデミズム全体において、日陰の存在であることは間違いない。
そして、1940年以来始まった「超心理学」であるが、結果として、「超能力は存在する」とアカデミズム全体から認められたという成果はない。
つまり、推論ではあるが、「超能力の存在をアカデミズムとして否定するため」に超心理学研究はある、というのが正しい理解なのかもしれない。
さらにこう推論する理由は、他にもある。
超心理学部が主に実験対象にしているのは、主に一般の人々を中心としたものである。
もし、本当に超能力の存在を検証したいのなら、世界にたくさん存在している超能力者を実験室に呼んで検証すればいいのである。
こうしたことが超心理学では積極的に行われている、とは言いがたい。
まるで、リアルな超能力と遭遇することを避けている、かのようである。
実際、フィリピンの心霊治療師の中には、その特異現象を多くの科学者、医師の前で検証実験として行い、「山羊・羊効果」などまったく問題にせずにその能力をフルに発揮しているジュン・ラボ氏などがいる。
こうした科学者がその能力を認めざるを得ないというケースにおいても、客観的にその検証報告がされるということはないのである。
ではなぜ、超能力は否定されるのか。
ひとつには、宗教との関係がある。
欧米では特に、各宗教が人々を束ねているといっても過言ではない。
超能力の存在は、この宗教の存在意義を脅かしてしまう可能性がある。
また、実際には超能力は一種の兵器としての活用も行われている。
こうした裏の現実を隠蔽するため、超能力は否定されるべきものなのであろう。
そして、世界を牛耳る人々は、間違いなく、人間の超自然的な力に無関心ではない。
つまり、一般の人が超能力に関心を持たれては都合が悪くなる、という側面もある。
そこで超能力を否定する方向へ、世界全体がコントロールされていると、筆者は推測している。

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