真霊論-デジャブ

デジャブ

デジャブはフランス語の「deja-vu:既に見た」の意味で、日本語では「既視感」と翻訳されている。
この言葉は1917年、超能力研究をしていたフランス人超心理学者、エミール・ブワラックが自著『超心理学の将来』において定義した。
「既視感」という言葉が示すとおり、現実においてある事象に遭遇した際に、それが初めてのことであるはずなのに「あれ、これはどこかで体験したぞ」という感覚を伴う体験を指す。
脳科学者や心理学者などは、このデジャブは一種の病理症状で、「統合失調症の発病の初期や、側頭葉てんかんの症状として多く現れる」などとするが、そうした患者以外にも多数がデジャブを体験している。
つまり、デジャブを体験するのは特に限られた人、ということではなく、筆者にも度々あるし、おそらく読者それぞれにも、何かしらのデジャブ体験があるだろう。
その体験内容はいたって様々である。
例えば、どこか旅行へ行った際など、始めて訪れた場所にも関わらず、前にも来たような感覚を覚える。
初めて会った相手なのに、どこかで会っていたような感覚を覚える。
人との会話において、その同じ言葉のやり取りをすでに体験済みのように感じる。
ある事をしていてとても楽しい気分になった際に、前にもまったく同じ体験をした感覚を覚える。
事件や事故、トラブル等に遭遇した際に、前にも同じような目にあった感覚を覚える。
などなどである。

デジャブのメカニズム仮説

心理学や脳神経学などの分野で研究されたデジャブであるが、「記憶と何かしらの関係を持つ、ある種の記憶異常」くらいの説明しかされていない。
もちろん本人がデジャブと思っていても、そうではなかったという場合もある。
例えば、実はその場所に行った、あるいは偶然通りかかったことがあった場所なのに、単に忘れていただけといったこともあるだろう。
しかし、一部のデジャブ体験はそれで説明がついても、すべての体験が健忘であるはずはない。
ひとつの仮設として考えられるのは、「夢体験の現実化」である。
デジャブを感じるのは、傾向として、「印象深いこと」「ショック性のある事象」「高揚感を感じている体験」等が多い。
つまり、多くの人は夢を見ていても目覚める頃にはほとんど忘れている。
しかし、「印象深いこと」「ショック性のある事象」「高揚感」などの場合、その断片を記憶していたり、忘れていても潜在意識にインプットされていることが多いのだ。
こうした夢で見た体験がそのまま現実化した際に、デジャブ体験となる、という仮説である。

デジャブは予知・暗示・警告か?

その意味では、デジャブは「正夢」のひとつのケース、ということになるだろう。
ただし、デジャブにおいては、自分の未来に対する予知、暗示あるいは警告といった意味合いを持つことはあまり多くないようである。
それは多くの人がその夢を忘れてしまっている、ということがその理由である。
忘れてしまっているからこその、デジャブになるわけである。
もしその人の未来に対する何かしらの夢のお告げであるのなら、それに関してはしっかりと記憶されているはずであろう。
実際、筆者にもデジャブ体験はいくつかあるが、それらは「人との会話の展開」だったり「街並み」だったり、どれもたわいもない事象である。
ただ、夢の中に「未来の事象」が現れるという可能性が考えられるという点では、夢見の技法をしっかりとマスターすることで、夢の世界を活用して人生を切り開くことも可能になるのではないだろうか。

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