手相とは、手のひらに刻まれた無数の線や皺、肉付きなどの形状のことである。
これに着目し、その形状ごとに特定の意味づけをなすことで、そこからその人の性格であったり運勢であったり資質であったりを解釈し判断するのが、手相占いだ。
街頭の占い師でも手相占いをメインにおこなう者が多かったり、アマチュアレベルでも趣味として他人の手相を見ることのできる者がいたりすることから窺えるように、日本においては、十二星座占いや血液型占いとならんでポピュラーな占いの手法だといえるだろう。
言うまでもなく、手相占いには科学的な合理性はない。後述するとおり、手相とは単に生活のなかで刻まれる皺の跡に過ぎないのである。その程度のものが個人の人格から運勢までを表していると考えることは、あまりに非科学的である。
たしかに、手相は個人認証システムにも用いられるほど個人差の大きなものであり、個性だと捉えることもできるだろう。だが、それは特有だからこそ、結果として個人を識別するに足る情報だといえるだけのことである。各種の情報と紐づけすることではじめて認証システムは機能する。指紋そのものに個人の人格や経歴が刻まれているわけではないことに注意されたい。
手相に個人の資質があらわれているという考えは、あきらかに神秘主義的な価値観にもとづくものだ。
なによりこれは、手相占いにおける解釈の方法に論理的な根拠が見出せない点からも窺える。ふつう、ほかの占いでは、たとえ非科学的で荒唐無稽なものであったとしても、その原理や理屈の部分ではなにかしらの回答を用意している。だが、手相占いに関しては、それぞれの形状への意味づけに、まったく法則性も見えなければ経緯も不明なのである。どのような指南書や研究書を読んでも、「このように決まっているのだ」としか書かれていない。
こうした特性には、手相が長い人生のなかでわずかに変化しこそすれ、大まかな形状は変わらないという特性が関係しているだろう。一度決定したら変わらないからこそ、運命と重ね合わせようという考えにいたるわけだ。
よって、手相占いでは人生全体の見通しであったり個人の本質的な性質といった、長期的な事象を占うことになる。十二星座占いや血液型占いのように、「今日の運勢」とか「明日の恋愛運」とかいったような近視眼的な事象を占うことはめったにないといえる。
では、手相占いがは科学的にはどのように説明されるだろうか。ずばり、「話術」である。
一般に、話術のひとつである「コールド・リーディング」の一種だと解釈されている。
コールド・リーディングとは、事前の準備なしに心のうちを読む技術のことである。
鋭い洞察力で、相手のなにげない言葉からも情報を引き出していき、いつしか自分のペースに乗せてしまうのだ。こうして思いどおりに会話をすすめると、相手は、なにも話していないのに自分のことをすべて見透かされていると思ってしまい、ついつい信用し心を許してしまうのである。そして一度心を許すと、自分から勝手に思っていることをぺらぺらと話してくれるようになるため、ますます会話を誘導しやすくなる。あとは核心へ近づくだけだ。
これは、警察官の尋問からセールスマンのセールストーク、詐欺師にいたるまでが活用している技術である。いわゆる恋愛上手な人は、この技術を無意識に活用しているとも考えられる。
なお、実際の占いの場面では「ホット・リーディング」(カウンセリングのように、事前に相手のことを尋ねたりアンケートをとって情報を仕入れておくことで相手の心を読む技術)との組み合わせでおこなうと、より確率が高くなる。
コールド・リーディングはしっかりと確立された技術であり、訓練により習得することが可能である。すなわち手相占いとは魔法でも超能力でもなく、話芸なのだともいえる。
しかしながら、「だからインチキだ」と一言で断じることは適切ではないだろう。
実際のところ、手相を鑑定してもらおうとする人々にあっても、手相でなんでも見とおせると考えている人はそれほど多くないようである。
手相占いは、悩みを抱えていたり問題に直面したりしているときに、人生の道筋を示してもらおうという、いわば人生相談的な側面を求めていく人が多いためだ。
そもそも、本来占いは予言や予想ではない。人生を顧みて、今後の人生をよりよく生きるための知恵を借りようというのが、古代からある伝統的な占いのスタンスなのである。答えを与えるのではなくヒントを与えるのだ。
その点では、昨今すっかり予言者のようになってしまった多くの占い師とは対照的に、手相占いは依然として本来のあるべき占いの姿を保ち続けている稀有な例なのだともいえるだろう。
手相占いにおいては、手のなかでも、以下のような部分が着目される。
▼掌線
掌線とは、文字どおり手のひらに刻まれた線や皺のことであり、「手相占い」と聞いたときに多くの人がいちばんにイメージする要素であろう。まったく手相に関心のない者であっても、生命線や運命線といった言葉を耳にしたり目にしたことは必ずやあるはずだ。これらの線が掌線である。
この掌線の出現のしかたは、日常的にどのように手を使用しているか、どのような骨格をもっているか、どのような筋肉のつきかたをしているかによって変わってくる。手を動かした際に皺となる部分が、そのまま跡になって刻まれたのが掌線だからである。
よって、どのような人物であっても手の用途がほとんど同じである以上、掌線のあらわれかたにも一定の傾向を見ることができる。それでいながら、まったく同じ骨格と筋肉をもった人間はいないため、その形状には小さくない個人差があらわれる。
そこで、それぞれに名称をつけパターン化することで、線ごとに意味を与え、占いに使おうというわけである。
このように、類似と差異の両面があるからこそ、手相占いは個人の資質をみる占いとして成立しているといえよう(個人によってまるで形状が異なってしまっていては比較もできないため、占いとして成立しない)。
とはいえ、どういった掌線を採用するかは流派によって異なる。また、近年では奇抜な掌線を用いている島田秀平のような占い師もいるため、すべてを網羅することは現実的に不可能だ。
よってここでは、以下に代表的な掌線とその解釈を記述しておきたい。
【生命線】
手相三大線のひとつ。人差し指の付け根のあたりから手首へ向かって弧を描くように刻まれている線のことである。
体力や生命力をあらわす線であり、一般にこれが太くはっきりとしているほど、生命力も強いとされる。薄かったり短かったりする場合は、病気がちであったり将来大病の可能性があったりする。ただし、短いからといってすなわち短命だというわけではないことには注意が必要だろう。
まれに二本ある場合もあり、これは非常に強い生命力をあらわしている。
また、高い位置に起点をもつ場合は、努力して人のうえに立つことでよい人生を送れるとされる。
【知能線】
手相三大線のひとつ。頭脳戦とも呼ばれる。手のひらを横断するように刻まれる線で、目立つ三大線のなかでは中央に位置するものである。
知能や才能を示す線であり、形状によってどのような資質をもつかがはかれる。
起点が生命線と離れている場合には独立心が強い。反対に、両者の距離が近いほど慎重だといえ、ぴったりと生命線と重なっている場合にはかなり保守的な性格の持ち主だとみられる。
終点は、上へ向いているほど現実主義であり、金儲けの才覚をあらわす。反対に下のほうへ向いているほど、ロマンチストで芸術方面の才能があると考えられる。また、途中から大きく分岐している場合は、多種多様な分野の才能を持ち合わせていることを示している。
【感情線】
手相三大線のひとつ。三つのうち最も上部に位置する線で、愛情表現の上手さや、精神の安定具合などが示されている。
高い位置にあればあるほど愛より物質的な欲求を重視し、低ければ低いほど愛情を重視する性格である。二重になっている場合は、家庭と仕事の両立に向いている。また、線の先端がいくつかにわかれている人は博愛主義者で、気配りのできるやさしい性格とされる。
全体的に、長く丸みを帯びている線であるほど愛情が豊かであり、短くまっすぐなほど冷酷な性格の持ち主だといわれる。
【運命線】
中指の付け根付近から手首にかけて、手のひらを縦断する線である。これは、その人の生きかたや人生の転機などを示す。
太くはっきりとした運命線は、努力によってなにごとも成功するという強い運命である。反対に目立たない線の場合はどちらかというと補佐役に適しており、また、本人もそうした目立たない生活を望んでいる場合が多い。
生命線のうえから出発する運命線は、自分の力で道を開ける人間だということを示している。
【結婚線】
小指の付け根と感情線とのあいだに伸びている短めの線であり、結婚や恋愛の運勢を示している。
長い結婚線の持ち主は、最も理想的で愛情に満ちた結婚生活を過ごせる。短くて、ほとんど見えないような線の場合には、もともと結婚願望が弱いケースが多い。
何本もある場合は熱しやすく冷めやすいタイプで、恋多き人だといえよう。また、先端だけが分岐している場合には、離婚の相だといえる。
基本的には、感情線寄りであるほど若いころに結婚し、小指の付け根に近づくほど晩婚傾向だといえる。
▼丘
丘は、手のひらの盛り上がった部分のことである。すなわち、五本の指それぞれの付け根付近のことだ。
これも掌線と同様、部位ごとに意味を与えられており、かつその盛り上がりかたによって解釈をすることになる。
【金星丘】
親指の付け根の付近の広い丘のことで、愛情や生命力をあらわしている。
この丘が大きく、生命線が遠回りであればあるほど、強靱な心身をもっているといえる。
【木星丘】
人差し指の付け根付近の丘のことで、名誉欲や権力などをあらわす。
【土星丘】
中指の付け根付近の丘のことで、社交性や向上心などをあらわしている。
【太陽丘】
薬指の付け根付近の丘で、芸術性やクリエイティビティに関係している。
【水星丘】
小指の付け根付近の丘であり、研究や学問などと深い関係にある。
【月丘】
小指側の手首寄りの部分の丘のことである。精神的、直観的な事柄を結びついている。
▼その他
手相占いで鑑定される代表的な部位は上記の二種類であり、簡易な占いではこの両者の結果だけで診断される場合も多い。
しかしながら、詳細に占う際には、ほかにも指の形であったり長さであったり、爪の形であったり、色合いも用いられる場合がある。
もっとも、実際の鑑定の際にどのような要素を用いるかは、これもやはり流派によって大きく変わってくる。また、その解釈にも多様性が見られるため、一概にここでまとめることはできない。詳しく知りたい場合は、個別の占い師の著作などにあたるとよいだろう。
手相占いにおいて、最もシンプルでありながら最も頻出の質問がこの問いである。非常にポピュラーな占いであるにもかかわらず、この点についての知識はあまり浸透しているとはいえない。
だが、それも無理からぬ話で、実はこの点に関しても流派によってばらつきがあるため、一概にはいえないのが実情なのだ。
かつては、男性は左手で女性は右手だといわれたこともあったが、現在では性差によって手をかえる流派はめったにない。
現在の主流は、両手をともに用いる方法である。
両手を自然に組み合わせてみたときに、親指が下になる手を「積極的な手」、上になるほうを「消極的な手」とし、それぞれが外面的な性向と内面的な性向をあらわしていると考える。積極的な手が現実に表出されている性格で、消極的な手が本質的な性格だという場合もある。
当然ながら、同一人物であっても両手の手相は異なる。この両者を見比べたうえでどのように解釈するかが、占い師の腕の見せどころだといえよう。
この流派が主流になったことには、手相占いを取り巻く状況も大いに関係しているだろう。
前述のとおり、手相占いにはアマチュアの愛好家も多い。なぜかといえば、これがパターン化によって鑑定する占いだからである。
すなわち、勉強してマニュアルさえ頭に入れておけば、誰にでもそこに当てはめることで占い師の真似ができるわけだ。
日本人は占い好きの人が多い。占い師の真似ごとができれば、それだけで話題には事欠かず、円滑なコミュニケーションを図れる可能性が高まるだろう。また、とくに女性は占い好きである。占いをマスターすることで女性からの人気を得ようとする男性はけっして少なくないはずだ。
そこで、多くある占いのなかでも、知名度と習得しやすさを兼ね備えた手相占いが人気になるわけである。アマチュア占い師が増加するのは必然といえた。
だからこそ、両手を用いることで解釈法の担う部分を大きくし、プロの占い師の個性が出るようにしたのだと考えられる。
繰り返し述べているように、占いの本質は結果を見ることではなく、解釈を導き出すことである。その部分にこそ、プロとアマチュアの実力の違いが出るのである。
一方で、前述の島田秀平のように、新しい意味づけをすることで注目を浴びるタイプの占い師もいる。手相占いは伝統ある占いだが、その伝統の出所が不明であるため、こうした斬新な切り口で今後刷新されていく可能性もあるだろう。