密教とはインドで興隆した「秘密仏教」の略称であり、仏教から派生した一宗派を指す。日本における密教は、平安時代に最澄(天台宗)と空海(真言宗)が唐より持ち帰ったことで始まった(詳細は後述)。
その別称「真言乗」(マントラ・ヤーナ)という呼び方が示す通り、サンスクリット語の「マントラ(真言)」が教義において重要な位置づけを持つことが大きな特長である。
また、従来の仏教(大乗・小乗を含むいわゆる顕教)との最も大きな違いは、教義の教え主・経典の語り部を、釈迦(ブッダ)ではなく、その上に存在しているとされる根源神の「大日如来(大毘盧遮那仏)」にしている点である。
また、マントラや手の形で作られる「印」等の組み合わせにより、「法力」(わかりやすく言えば霊能力・超能力にも類するもの)を発揮する修行体系などを持つ、実践的宗教である。
特にこの法力の体系の中において重要な役割を果たすのが、「マントラ」と「印」であり、これは出家者に対して師が直接「口伝」するものである。
また当然ながらそのことは外部に口外してはいけないため、「秘密」という言葉がついている。
インドで派生した密教を、現在もそのまま純粋に継承しているものとして「チベット密教」が挙げられる。
日本における真言宗も、インド中期密教がベースになってはいるものの、中国密教経由であることから、多分に当時の中国密教の独自要素、さらには開祖である弘法大師・空海独自の概念も加味されたものとなっている。
広く一般的に親しまれている仏教は「顕教」と呼ばれている。
これは、お釈迦様の教えは誰にでも広く門戸が開かれている、という意味である。
一方の「密教」とは、秘密の教えであり、それは密教の体系のひとつである「法力」が「誰もが手軽に身に付けるべきものではない」ということを意味している。
つまりそれほどに「法力」がパワーのあるものである、という主張を行っているのである。
また同時に、この「法力」を有する密教に委ねれば、庶民も「現世ご利益」に授かれるというメリットを訴求しているのである。
なぜこうした「顕教」にはない新たな付加価値を仏教が持たなければいけなかったかというと、一言で言えば「他の宗教宗派に対抗するため」ということになる。
インドにおける初期密教は、現在のヒンドゥー教が出来上がりつつある頃に勃興した。
ヒンドゥー教とは、手短に言えば、帰依するだけでご利益に授かれるという、とても簡便な宗教であり、インド国内において大きな支持を得始めていた。
また、ヒンドゥー教はヨガ体系とも繋がり、特殊能力を持つ修行僧たちがその力を庶民の間で見せることで、より大きな勢力を生んでいった。
こうした、ヒンドゥー教の台頭に危機感を感じた仏教は、バラモン教のマントラの概念を導入し、さらにヨガ体系なども加えていくことで、「法力」という独自の実践的なパワーソースを持つことで庶民に対しアピールして行ったのである。
また、中国密教においては、ライバル宗派であった「道教」に対抗するため、さらに「呪術的宗教」の色合いが加えられている。
こうして遣唐使によって中国から持ち帰られた、呪術要素の強まった密教は、さらに日本において、修験道・陰陽道の呪術要素の影響を相互に受けつつ、現に至っている。
宗教として生き残るためには、独自のメリットを創出しなければいけない。
「密教」においては理想郷「シャンバラ」もそのひとつである。
「シャンバラ」とは神仏たちを中心に悟りを得た者たちが導かれる理想郷であり、それはこの地球上にも存在している、とされているものである。
しかしこの「シャンバラ」に到達するには、密教の教えを学ぶ必要があるということになるのである。
日本の密教史は、平安初期の遣唐使だった弘法大師・空海と、最澄が、唐より密教を持ち帰ったことでスタートする。
日本の密教宗派は、弘法大師・空海を開祖とする「真言宗(東密)」と、最澄を開祖とする天台宗(台密)の二派に大きく大別される。
空海は本格的に密教を修学し、様々な経典などを持ち帰えり、高野山を開き真言宗の開祖となった。
一方の最澄は、空海より先に密教を伝えたが、最澄自身は本格的に密教を修学したわけではなかった。
そのため、天台宗における密教は法華経の教えの一部として扱われ、天台宗の教えには「円・密・禅・戒の四種相承」という教えの元、「円教」「戒律」「密教」「禅」の全ての教えが説かれている。
つまり天台宗では密教は顕教と同じ位置づけとし「顕密一致」の立場をとっている。
これに対して真言宗では、密教は仏教とは異なる宗教であり、大日如来を全ての宇宙を成り立たせている根源仏「法身仏(ほっしんぶつ)」で教え主とし、全ての教えはこの大日如来、すなわち根源の教主から直接的に法を学ぶとしている。
これらが両宗派の大きな違いである。
●曼荼羅(マンダラ)
神々や仏の体系、教え、宇宙観などを、象徴図形によって示したものである。
物質界の構造・教えを示すものに智慧のマンダラとされる「胎蔵界曼荼羅」があり、精神世界の構造や教えを示すものに慈悲のマンダラとされる「金剛界曼荼羅」がある。
●マントラ(真言)と印
密教を秘密仏教たらしめているのは、マントラと印の組み合わせによって「法力」に授かれるというこの部分である。
法力とは、神々の力をその身に宿し、精神・霊的な成長、病気治しや霊的な浄化(除霊・浄霊)、さらには開運までもを可能とする万能な力である。
現在、サンスクリット語のマントラはインターネットでも知ることができる。
その意味ではマントラ自体は一種のお経として、一般にも多少開放はされている。
しかし印の結び方は門外不出として、現在でもその結び方はシークレットになっている。実際には例えば極楽浄土の阿弥陀の法力を得る際には、マントラ「オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン」を唱え、手には阿弥陀如来根本印という印を結ぶのである。
不動明王であれば「ノウマク・サマンダ・バザラ・ダン・カン」と唱え、手には不動剣印を結ぶ。
●三密
密教の教えに三密(さんみつ)がある。
これは「手に印を結び、口に真言を唱え、心に仏を感じて仏様と一体になる」という教えである。
「身(印)、口(真言)意(観想)」を三密と呼ぶ。。
この中でも最大の難関は、「意(観想)」にあるとされる。
印とマントラはその情報にアクセスさえできれば覚えるだけのものである。
しかし、「意(観想)」とは、神仏との精神的合一であり、いわば悟りの境地にいたる極意である。
特に空界はこの「意(観想)」を重視して、「生きながらにして仏になる(即身成仏)」ことを真言宗の究極的な目標に設定している。