水子霊とは妊娠し母親の御腹に肉体と魂が宿ったが様々な理由により肉体が死にこの世に生まれてこれなかった霊の事を言う。
水子霊は前世(※)の記憶を持っていると言われており、その記憶を元に現世で前世での行いを改めるために最も望ましいとされる親を選びその母親の御腹に宿るとされている。
よく流産や中絶などにより子供を亡くした母親が”何故私のことを選んでしまったのか?”と水子霊に対し思うことがあるが、水子霊はあくまでもこの世に産まれて生きる事を前提で親を選んでいるため御腹の中で死んでしまう事は水子霊にとっては想定外なのである。
前世の記憶を持っているが現世で起こる出来事まで水子霊は予知出来ないという事だ。
想定外でこの世に生まれてこれなかった水子霊は、やはり未練を持つ事もある。
未練を持てば憑依霊(※)となりこの世を彷徨う事になる。
また肉体が死んだ事に気づかない水子霊も浮遊霊(※)となりこの世を彷徨うことになる。
水子供養が日本に広まったのは戦後の食糧難などから中絶者が増えた頃経営の苦しい寺院や墓石会社が経営戦略として水子供養を大々的に宣伝した事から始まったのである。
つまり水子供養を謳っている寺院などの多くが経営手段、つまり金儲けのために行っているのである。
霊能者(※)も水子供養を大々的に宣伝している者が居るがまやかしが多いので注意が必要である。
水子供養とは、堕胎、流産、死産などで生まれてこられなかった赤ちゃんの霊を弔う行為のことを指す。
海外では水子を弔う習慣はあまり例がない。ほとんど日本独自のものと考えて差支えないだろう。
かつて「水子」とは、数え年で7歳以下の子どもの霊全般を意味していた。
これは、古来の日本の信仰において、「7つ以下の子どもは、まだ神様からの預かり物である」という認識があったためである。
現実的にも、江戸時代くらいまでは、医学も十分に発達しておらず、7歳まで成長できる子どもというのは稀であった。
これは「七五三」という風習にも象徴されている。
水子供養の歴史はそんなに古くはない。
最古の記録で江戸時代中期に、祐天上人が行ったとされている。
彼は浄土宗の僧侶で、呪術的な力を持ってさまざまな霊を除霊していた。その力を請われ、5代将軍徳川綱吉と、その実母である桂昌院に厚く用いられていた。
彼は、間引き(生活苦のため生まれてきた子どもを殺めること)や死産などで精神的に苦しむ女性をみて、除霊行為を行い癒していたのだそうだ。
それから約250年あとの第2次世界大戦後、堕胎手術が一般化された。
1970年代頃より、各寺院で水子供養を盛んにすすめていた時期がある。
これは霊的なものというよりは、檀家が減って苦しむ寺院らの新規顧客獲得競争という、ビジネス的な要素が強かった。
基本的に、水子霊は直接的な霊障を起こさない霊だと言われている。
ただ、主に母親に後悔の念や苦しい思いが残っていると、幽界(霊界と現世の中間世界)に水子霊を引きとめてしまうことがある。
いわゆる「賽の河原」で石を積むも鬼に蹴られて壊され、泣きながら続けているというストーリーに象徴されているものだ。
この場合は以下のような現象が起こる。
・他の子どもに病気や進学などの問題が次々発生する
・母親が女性特有の病気になる
・不妊
・夫婦仲が悪くなる
・孫にも、子どもと同様の問題が生じる など
■寺社による供養
各地域の寺院では、水子供養は宗派にかかわらず引き受けてくれるところが多い。
場合によっては、匿名で供養を行うこともできる。
方法としては、所定の供養料を納め、水子地蔵を奉納するのが一般的であるようだ。その他には位牌を作ってくれるものもある。
また、各寺にある水子地蔵への参拝も効果的だ。
■個人的に行う供養
個人的にも日々供養をしたいという人は、形式などにこだわらず毎日感謝の念を捧げるのがよい。
その際、おもちゃやお菓子などを用意するのもよいだろう。
自宅に仏壇があれば、そこで読経するのも有効だ。
あまり謝罪的でなく「一瞬でも自分の元へ来てくれてありがとう」というような気持ちで行うと、何よりの供養になる。
昔は、出産や育児は文字通り命がけであった。
貧しく衛生的でない環境の中、子どもを産み育てていくということは現代では考えられないくらい大変なことだっただろう。
当然、そんな中で命を落とすことは珍しくなく、悲しみにくれる母親が数多くいた。
また、経済的に苦しい生活の民衆に根付いた「間引き」という文化はさらにその思いを加速させたと考えられる。
しかし水子供養の風習は、その出来事を後悔や悲嘆の感情で受け止めるのではなく、むしろ「今まで自分と一緒に生きてくれてありがとう」との思いを持つことを求めている。
母親が前向きに生きる力をつけるために、水子供養は始まったのだった。
だから、水子のたたりを畏れて供養の行為を行ってもあまり意味はない。
この世に生まれてくることが叶わなかった子どもへ、天上界での幸せを願いつつも、感謝の気持ちを捧げることが一番大切だと言える。
水子霊とは中絶、流産、死産等でよって亡くなった胎児が霊になったものである。
元々は胎児~乳幼児の霊全般を指していたが、中絶が根付いた1970年代以降は胎児のみをさすようになった。
また、特徴として水子霊が出るという発想はほぼ日本にしかない。
水子霊は、自ら霊障を起こすことはない。
恨みや未練などの感情を覚える前に、天に召されるからだろう。
母親に、激しい未練などがあるときのみ、引きとめてしまうようだ。
よくある現象を以下に挙げておく。
・母親の体調が悪くなる
・背中や首筋に悪寒を感じる
・突然涙がとまらなくなる
・ものが落ちてくる、金縛り、ラップ現象、
・子どもの障害、病気や勉学問題などが発生する
・父親や家族にも問題(子ども絡み・金銭問題など)が発生
日本の農村では、古くに「口減らし」とよばれる習慣が存在した。
家族が増えすぎて生活が苦しい家庭で子どもを授かると、出産後に殺してしますことを指す。
昔は中絶手術などなく、困窮極まる生活の中での苦渋の選択だったと思われる。
以下のように行われていたそうだ。
・闇夜に森へ置き去りにする、
・川へ流す
・石で頭を割る
・頭部へかんざしを挿す
地域の寺の多くには水子地蔵があった。
事情を抱える母親や家族が供養に訪れていたとのことである。これは現代の女性でもそうだろう。
水子について、代表的な物語が「遠野物語」に収録されている。
69話の「オシラサマ」である。
飼い馬と密通した娘に怒り狂った父が、馬の首を斧で刈って殺した。すると首は浮遊し天へ昇っていった。それに乗って娘も共に逝ってしまったそうだ。
この話から「オシラサマ」という神は生まれた。
それは桑の枝に布をかぶせた包頭型の偶像崇拝だ。
これを拝むと水子供養、また子宝にも恵まれるとされてきた。
水子霊そのものは霊障を起こさない。
もし霊障が気になるのであればそれは、母親の激しい未練や後悔が原因だ。
母親の、水子に対する感情を整理することが供養と霊障対策になる。
1 出来事を受容する
堕胎、流産や死産はある意味、人生の試練、受け止めざるを得ない事象だ。
自分の意に沿わないものであれば、もちろん、誰が悪いというものではない。
多いのが「すべて自分のせい」と考える人だ。
不慮の出来事は全人類に訪れるもの。原因は祟りや己の未熟さではない。
不幸な偶然がいくつか重なったというだけ、ということを理解しよう。
また、性的な怠慢さが原因の場合は、これからの性生活へこのことを生かすよう行動すればよい。
むやみに後悔してもあまり意味などない。
2 愛を注ぐ
子どもが生まれたらしたかったことを行ってみるのは、供養のよい手立てだ。
それは実際に声に出したり、または心中で行ったりするイメージを持ってみよう。
一般的に効果のあると言われていることを以下に挙げる。
・子守唄を歌う
・話しかける
・遊んでいる情景を思い浮かべる
これは、自分の気のすむまで日々継続する。
仏壇へ拝みながらやってもよい。
水子地蔵へ拝みにいく、地蔵を自ら建立するのは、やりたい人だけでよい。
実は、水子地蔵建立は高度成長期に、檀家を失った仏閣が、新しい顧客獲得のひとつとして、大々的に取り上げていたという歴史がある。
それより、愛情をあたえるような行為を何度もすることで、自分の心を落ち着けよう。
また短期間でも、自分の子どもとなってくれた魂へ感謝することも大切だ。
「愛と感謝」を持つことが、一番の供養と言える。