ユタとは、沖縄本島や周辺離島、奄美諸島などに古来から存在する、民間の祈祷師、アドバイザーである。神とつながるための霊的な資質(霊能力)が必要とされることから、沖縄の言葉で「カミンチュ」(神の人)と称される人々に属する。本来のカミンチュとは、琉球王朝時代などにおいて、公的な宗教儀礼に携わる「祝女(ノロ):神からメッセージを受ける女性(※)」、「司(ツカサ):祭祀を司る人」などの総称だが、琉球王朝時代が終わった現代では、ユタもカミンチュとされている。久高島出身の女性から「イザイホー」という儀式で選出されるノロとしばし混同されるが、ノロが琉球王朝のために活動するのに対し、ユタは古来より一般庶民のために活動することが宿命とされていた。琉球王朝時代においては、ノロ、ツカサは共に女性限定とされており、ユタも多くは女性だった。しかし、その霊能的な素質は、元より男女を問わず子孫たちに遺伝されており、現代においては男性ユタも多数活躍している。また、沖縄本島・奄美諸島では「ユタ」と呼ばれるが、地域によって呼び方はさまざまで、宮古諸島では「カンカカリャ(神懸かり)」、「ムンスイ(物知り)」、「カンヌプトゥ」(神の人)などとも呼ぶ。
※現存するノロ:久高島には現在もノロが存在するが、高齢であり、奉仕する王宮もなく後継者選びは行われていない。従って事実上、現存のノロをもって最後の系譜となる。
相談者に対してユタが語ることを「判示(ハンジ)」と呼ぶ。これは「神からのメッセージ」という意味である。人間関係のトラブル、親類身内の病気、就職や転職、仕事上での失敗、また結婚や離婚といった人生の重大事、さらには、引越し、家の増改など、相談者の悩みに応じて話を聞き、ハンジ(判示=神の意見を聞く)をするわけである。その際に、「琉歌(ウタ)」を歌い、メッセージを伝えるのもユタの特徴である。最近では、ユタによっては、例えばタロットカードのような西洋魔術ツールなど、伝統的なユタが使用しなかった霊的ツールをハンジの際の材料にするケースもあるという。またユタによっては、恐山のイタコ同様に、先祖からのメッセージを受け取るようなことも行うようである。そもそも「ユタの占法」のような決まった形式はないため、どのような能力・技術を使って判示を行うかはユタによって多種多様であるといえる。
多くの場合判示は、具体的に示される。例えば、祖先名を挙げながら「誰々の供養をきちんとこういう手順で行いなさい」とか、「どことどこのウタキ(御獄=祈祷所)をまわりなさい」、あるいは「結婚は十二支の関係から何月にしなさい」など、具体的な解決策を提示して行く。ただ、悪質な自称ユタに引っかかった場合、こうした判示内容に「この商品で守護しないと祟られる」といった、霊感商法的手法が取り込まれるケースもあるので要注意である。
ユタとなる人物の背景はさまざまである。一番多いのは、先祖代々ユタの家系に生まれたというケースである。次には、先祖代々ではないが、ユタになるべく「巫病(ふびょう)」(後述)を発症したというケースである。さらには「習いユタ」と言って、ユタに仕えているうちに、霊能力が覚醒するといったケースもある。すべてのユタが必ずしも体験するわけではないが、多くのユタが「カンダーリィ(神ダーリィ)」と呼ばれる「巫病」を体験させられているようである。「巫病」とは、一定期間、熱にうなされる、寝込む、うつになり引きこもる、錯乱状態になる等、さまざまな精神疾患とも思えるような状態を体験させられることである。これらはユタとなるための通過儀礼とも言われ、これらの期間を経た後に霊能力が覚醒し、ユタとしての準備が整うと考えられている。この「巫病」期間においてどんな体験をさせられるかは、ユタそれぞれによって程度の差が異なっている。『神に追われて』(谷川健一著・新潮社)には、次のような驚異的なケースが記録されている。それによると、ユタ根間カナさんは「3ヶ月間眠らず、食事も摂らず、水さえも神から禁じられ、宮古島を幽霊のようにさまよう」という期間があったそうだ。また、「巫病」のような病的症状ではない形で「通過儀礼」を体験させられるケースもある。それは「幻聴による指示」である。とある男性ユタの場合は、さまざまな命令が幻聴として聞こえて来るようになり、それに従うことで霊能力の覚醒があったそうである。そうした命令の中には「そこの崖から海に飛び込め」といった無理難題もあったという。ちなみに、こうした幻聴による命令・指示は、フィリピンの心霊治療師たちの多くも体験している通過儀礼である。
こうした通過儀礼の果てにユタたちは、自分たちが「サーダカウマリ(性高生まれ)」、「カンダカウマリ(神高生まれ)」(いずれもカミンチュになる宿命を示す言葉)であることを知り、そのミッションに従うことを決意する。
かつては沖縄県内においても宮古島がユタの本拠地などといわれたが、現在では、東京その他日本各地においてユタの血を引く人たちが、相談所・占い所を開設している。また、どんな占術を使うかは現代においてはユタそれぞれによって違う。それはユタとは元来、自分の霊能力によって神、あるいは霊的存在と繋がり、そこからの神託もしくは霊からのメッセージを伝えるものであったため、伝統的な占術というものがないからである。一例を挙げておくと、四柱推命をベースにした琉球推命という手法があると思えば、道教の奇門遁甲をベースにするなどもある。また前述したように、比較的若いユタであれば、タロットや占星術なども複合的に使っている場合もあるようである。
2008年にユタのお祓いがニュースになった事例があるので、紹介しておこう。
ユタのおはらいで女生徒5人が体調不良
沖縄県の宜野湾市立真志喜中学校で、民間の霊能者として知られるユタの女性を招いておはらいを行った際、女子生徒5人が体調不良を訴え病院へ運ばれていたことが22日、分かった。数年前から吹奏楽部で「練習中に気分が悪くなる」「霊が見える」などと話す生徒がおり、一部の保護者からの提案でおはらいをした。部活終了後の21日午後7時すぎ、音楽室や廊下に生徒約60人と7、8人の父母、顧問の教諭が集まり、ユタが酒と塩をささげておはらいを開始。20~30分ほどして、女子生徒約20人が「気分が悪い」「息苦しい」と訴え、うち5人が過呼吸状態になって病院に搬送された。全員、その日のうちに回復し帰宅した。
比嘉正夫校長は「学校として認めたのではないが、父母の要望ということで黙認した。思春期に多い集団心理が影響したとも考えられる」と話している。
同校では5月にも、ケガ人が多かった女子ソフトボール部でユタを呼んだところ、効果があったと噂になっていた。
( 2008年10月23日 スポーツニッポン)
○前近代
沖縄の歴史についての記録は、最も古いもので8世紀にさかのぼるが、それから9~13世紀の間には沖縄本島を中心に農業を基礎とする共同体が多く成立し、按司(あじ)と呼ばれる首長たちが支配していた。按司が支配している共同体ではニイチュ(根人)と呼ばれる支配層の人々が、共同体の祭祀を司っていた。ニイチュの妻や姉妹で真意を伝える役割を果たしたシャーマンがニイガン(根神)であり、その中でも按司の家のニイガンのことをノロ(祝女)と呼んだ。
このように按司時代に女性シャーマンによる沖縄の国家宗教は形作られ、琉球神道とも呼ばれるようになった。祭祀は基本的に集落単位で行われていたが、祭祀を行う人は必ず女性でなくてはならず、それらはノロ、ツカサ、チカーなどと呼ばれた。
そしてノロの下に、住民の個人的な願いにこたえるための民間巫女がおり、それらを沖縄、奄美、八重山ではユタと呼んでいた。ユタという言葉の由来は、「とめどなく語り続ける」「神がかりして身体を揺する」などと言われており、定かではない。ちなみに、それらの巫女たちは、宮古ではカンカカリヤ、ムヌス、トギなどと呼ばれ、八重山ではかつてはニガイビー、カンピトゥと呼ばれていた。
この当時、ユタは民衆の生活と一体化して活動していたが、弾圧されることもあった。最も有名なのは18世紀に行われた、琉球王国の行政官蔡温(さいおん)による弾圧であった。蔡温は現実主義的な考えを持つ人物であったため、科学的根拠が見いだせないユタの祭祀を敵視していたようである。
○近代
1879年には琉球処分が行われ、沖縄県が設置された。設置された後は国家神道のもとで、当局によるユタ征伐、ユタ狩がくりかえされ、ユタはそれらを避けてひっそりと活動することを余儀なくされた。
ユタの存在は前近代的なものであり、近代化の流れに著しく逆らうものであると考えられたためである。ユタ征伐は明治・大正・昭和と長きにわたり行われたが、太平洋戦争後にはアメリカ軍の占領により信教の自由が保障され、ユタは再び公然と活動することができるようになった。
○現代
沖縄県では、現在でも「医者半分、ユタ半分」という言葉が残っており、ユタの社会的認知度は高いと言える。宮古島で行われる全日本トライアスロン宮古島大会では、多くのユタが神に祈り、大会が無事に終えられることを祈願している。
現在活動している現役のユタとして、照屋全明(てるや・まさあき)などが挙げられる。彼は依頼者から名前・住所・家族構成・干支のみを聞き出し、様々なことを言い当てるという。
科学的な研究としてユタの脳の働きを研究したものがあるが、ユタが能力を発揮しているときは右脳が異常に活性化されており、論理・言語を司る左脳がほとんど使われていない状態となる。この原因はいまだに解明されていない。
現在でもユタの社会的な浸透度は大きいものであるが、その反面、ユタを語った霊感商法なども後を絶たず、問題も残されている。
ユタとは沖縄県と鹿児島県奄美群島で活動しているいわゆる霊能者(※)の事である。
沖縄がかつて琉球大国であった頃1400年代より信仰されていた神々への儀式を行う者をユタと言う。(神人:”かみんちゅ”とも言う)
ユタは神々との交信を行い、村や民間人への災い回避方や病の克服方などを伝える事(お告げ)が主で、故人との交信や祈りを行ういわゆる仏教的役割ではなく神道的な役割を持っている。
今現在でも宮古島など沖縄の島々ではユタを信じて崇めている人が多い。
またユタは古くから神々のお告げを伝える代わりに民間人から相談料をもらう風習があり、その額は一般的な庶民の収入を超えた高額となる事が多い。
神々のお告げは根拠も無く見えない世界である事から、これを利用して偽りのユタとして商売を行っている者も多いので注意が必要である。
ユタの修行場とは、ユタ修行中の女性が訪れる霊力の高い土地のことを言う。
沖縄には「修行場」と呼ばれる霊的スポットが数か所あり、そこには神からのお告げによって導かれたユタの卵たちが静かに訪れ、祈りや祝詞、御経等の経文などを捧げている。
修行場と言っても、全員が同じ場所に行き、同じ道筋を順に巡る訳ではない。各人によって場所や回数などは異なる。また、それぞれの土地の神からの託宣で、数珠や鏡、小刀など霊力を補助すると思われる道具を持参せよ、と言われることもあり、ユタ修行者は指定の物を持っていかなくてはならない。
■有名なユタの修行場
・大山貝塚
宜野湾市大山にある、著名な修行場。
車で通れないような狭い坂道の奥の方に木が門になっているような入口があり、その先へ続く階段を降りた先にある。
小さな広場のようなところには沢山の洞窟のような穴、拝所や石塔などがあり、その先に看板には「ここから先に立ち入る方は、命の保障はしません」と書かれているらしい。
・SSS(スリーエス)
恩納村のムーンビーチの向かい、山間にある。
修行者以外のユタ、その他の霊能者も訪れるのを避けるほどの霊力の高い修行場である。未浄化の多くの霊がいる厳しい修行場のため、中には耐えきれず命を失うものもいるそうだ。
一般の人が近付くと強力な霊に襲われ、幻覚など精神疾患を引き起こしたり、頭痛・嘔吐などの症状に見舞われたりすることもあるとのことである。
・森川公園
宜野湾市真志喜にある公園の奥地、洞窟のあるあたりで、昼間でも薄暗くさまざまな霊が集まる場所。
ここにも「霊域のためこれより先に入ると命の保障はできません。立ち入らないで下さい」 との看板がある。
このほかにも多くの修行場が存在する。
■ユタの「3年修行」について
ユタは、希望者が誰でもなれるというものではない。「神に選ばれた」という経験を通して導かれるという。
それは、大切な人との死別、離別などの辛い体験をきっかけに高熱におかされ寝込む「カンダーリ」と呼ばれる巫病を患うことで始まる。
巫病の間は、精神が乱れ何かに取りつかれたような状態に陥ってしまう。
(心神喪失、不眠、拒食、夢遊病、身体が震える突然奇声を発するなど)
そして熱が治まると、心の内に神霊が現れ、「○○の修行場へ赴け」との命令が下る。ここは大概、各々にゆかりがある神霊や先祖霊がいる場所だ。彼女らは、そこで霊とコミュニケーションを図るべく、祈りや御経、祝詞を捧げさせられる。これが何十回、何百回と繰り返される期間を「ユタの3年修行」と呼ぶ。3年という数字はあくまで目安であり、実際には個人差があるようだ。
3年修行の期間中は、神の意思のもとで動くことが最優先され、自分の自由になる時間はほとんどない。祈りの時間は、昼夜は全く関係なく、神が指定した時間に必ず修行場へ行かなくてはならない。
このような生活の中で、彼女らの大多数は家庭や仕事を失うそうである。
この期間で彼女らは、「ユタになるということは自我を消し、神を第一義として行動し仕えるのだ」、ということを心身ともに徹底して教え込まれる。自我と神のバランスを図らなければならない辛い期間だ。
また、沖縄に古くから伝承されている神へお参りや祈り、祝詞を上げる際にはそれぞれに必要な道具があるので、それらも買い整えなくてはならない。必然的に、経済的にも苦労を強いられる。
これを3年ほど続けると、ユタ自身へ神霊から守護霊が授けられ精神の錯乱状態が治まる。そしてユタとして生きていく命を受けるというわけだ。
たとえ「ユタになりたくない」という思いでこれらの修業を拒否すると、自分自身や身内、大切な人を多くの厄災が襲う。最終的にはどうやっても神からの命令を受けるように行動せざるを得ないそうだ。
また、ユタとなった後でも、一般的な人生では考えられないような艱難辛苦を受ける者が多い。例えば殺人事件に巻き込まれる、強姦、身内や大切な人からの裏切りなど、苦しみの道を歩ませることで神霊とのより深いつながりやコミュニケーションを与えられという数奇な運命を背負う。
ユタとは、自分の人生を犠牲にして、代々の土地や先祖を守り、神の託宣を現世の人間に伝えていく存在である。普通の人から見ると「狂人のよう」「クレイジーな存在だ」などと誤解されていることが多い現状だが、本来は彼女らが土地や精霊、先祖霊を守ってくれていることへの感謝を持ち丁重に扱うべき存在である。