日本における厄年とは、その歳を迎えると何かしらの不幸・困難・災い等が、本人もしくは近親者の身に起こる、とされる年齢を指す。
ここであえて「日本における」と記述したのは、厄年は諸外国にもあり、国によって厄年の考え方、年齢設定、厄除け方法等は、後述するように各国によってまちまちだからである。
日本においては、平安時代から厄年という概念が生まれているが、これは陰陽道の陰陽師たちによって生み出されたとされている。
現代に伝わる日本の一般的な厄年の設定(数え年で計算する)は、以下の通りである。
●男性
前厄24歳 本厄25歳 後厄26歳
前厄41歳 本厄42歳 後厄43歳
前厄60歳 本厄61歳 後厄62歳
●女性
前厄18歳 本厄19歳 後厄20歳
前厄32歳 本厄33歳 後厄34歳
前厄36歳 本厄37歳 後厄38歳
上記のうち特に男性の42歳、女性の33歳は「大厄」と呼ばれ、凶事や災難に遭う率が非常に高いとされ、厄除けの儀式等を受ける人も多いようである。
また「前厄」とは、厄の前兆が現れるとされる年。
「後厄」とは、厄が薄らいでいくとされる年であるが、本厄と同様に注意すべき年齢とされている。
これらの現行の厄年に関する設定は、江戸時代に確立されたものが継承されていると考えられている。
ただし、「厄年」の信憑性に関しては、科学的な根拠はまったく無く、しいて根拠を挙げるなら占術・数秘術的根拠からのものである。
「前厄」や「後厄」までを設定しているのはどうやら日本だけのようだが、「厄年」は世界各国に見られる風習である。
以下に主だった国々の厄年と対処法を紹介しておこう。
●中国の厄年
中国では自分の生まれた干支が厄年になるため、12年に1度、厄年が巡ってくる。
厄払いの方法は「金色や赤いものを身に付けること」。
厄年を迎えた年男、年女は、春節から1週間は、赤い服を着て過ごし、家から出ないようにする風習もある。
●英国の厄年
男性は年齢に4がつく年。
女性は年齢に7がつく年とされている。
厄払いの方法は、厄年の数だけ木の実を集め、外気に3日3晩さらしたあとに、近所の庭先で木の実を焼く。
●スペインの厄年
男性は24歳と44歳。
女性は14歳と34歳。
厄払いの方法は親戚や友人など、大勢が見守る中で、厄年の年齢の数の馬の肉片を見守られながら食べる。
その後は、一昼夜に渡って歌ったり、踊り明かしたりする
●エジプトの厄年
男女の区別なく4歳から4年ごとに厄年が訪れる。
50代まで続く。
厄払いの方法は、近隣の老人から布地をもらい歩き、その布地を継ぎ足して身に付ける。
●トルコの厄年
男性は23歳、43歳、63歳。
女性は13歳、33歳、53歳。
厄払いの方法は、等身大の泥でできた人形を友人や親戚で作り、原色の服を着せて水に流す。
このとき必ず厄年の本人は、家にいなければいけないとされている。
世界中に厄年という共通した考え方があることも不思議であるが、およそ厄年の年齢も合致していることも不思議である。
この謎を解く鍵は、「カバラ数秘術」にあると筆者は考えている。
カバラ数秘術では、人間の年齢に対して、以下のような考え方を持っているのである。
●31-33歳
この年齢期を「ゴルゴタの丘の時期」と呼び「報われない時期」であるとする。
●36歳
この年齢を「天命に気付く時期」としている。
●42歳
この年齢を「魂の暗い夜」とよび、「落ち込む時期」であるとする。
ただし、落ち込みから回復することで精神的に成長する時期だとする。
世界中の宗教と言うのは、多分にカバラの影響を受けている。
これはかつてユダヤの民が国を追われ、世界中に分散したことが背景にある。
そして日本の神道や陰陽道とて、その例外ではないのである。
36歳や42歳という年齢が世界の厄年設定に入っているのは、おそらくこのカバラ数秘術による年齢診断の影響を受けたものであろう。
これはあくまでも推論であるが、厄年とはすなわち、人生の節目を指す言葉である。
「因果応報」と言う言葉があるが、厄年前までに種をまいたことの結果が、厄年あたりに収穫として刈り取りさせられることになるわけである。
つまり大厄として恐れられる年齢、41歳くらいというのは、「このままの人生でいい」のか、あるいは「人生をもっとどう改善すべきなのか」という反省点を見させられることになるのである。
まさに「カルマの法則」がこの現世においても、生かされているのが「厄年」と言う考え方なのだ。
従って、本厄や大厄の期間を「なにもなく過ごせた」という人は、ある意味で自分の宿命の道をしっかりと歩めている、ということなのであろう。
一方で、各厄年に「いつもいつも困難を体験する」という人は、人生における道の歩み方、もしくは人生の岐路の選択の仕方に問題があり、それに気づかせようとしているのであろう。
結論として言うならば、「厄年」は恐れる時期などではなく、「人生における反省点を教えてもらう時期」としてとらえてはいかがだろうか。