依然としてスピリチュアル・ブームがつづいているが、ブームには必ず光の部分と影の部分があるものだ。
霊への意識が高まったことは「光」だといえるが、それゆえに不幸な事件も発生している。
2012年2月2日、秋田県由利本荘市の会社員男性(25歳)が、「除霊」行為の失敗によって死亡していたことがあきらかとなったのである。
傷害致死の容疑で秋田地検に書類送検されたのは、男性の親族ら9人だ。容疑者たちは、「除霊するため」に男性の体を強く押さえつけたのだと供述している。
事件の経過と概要
秋田県警由利本荘署の調べによると、事件があったのは2011年7月のことだった。
被害男性は、7月5日ごろより精神的に不安定な様子だったという。言動にも不審な点が多くみられたため、男性の親族はこの原因を「霊がのりうつったから」だと考えた。
そこでこの親族が「除霊」をしたいと申し出たところ、男性はそれに同意。3日後の7月8日夕方ごろより、親族宅で除霊のための儀式がはじまった。
このとき親族宅にあつまったのは、男性の両親や妻、妻の親戚など9人だった。年齢層は20歳代から60歳代と幅広く、全員が同意のうえでの行為だった。
はじめはお経を唱えるなど、おだやかな方法で除霊を試みていた模様である。しかし大きな効果はみられず、男性は暴れるばかりだったという。
そのため、親族たちは男性の手足を押さえつけ、除霊の儀式を続行した。
異変があったのは、7月9日午後のことだった。男性がまったく動かなくなり、親族が呼びかけても反応がなくなってしまったのである。
あわてて親族が119番に通報したが、救急隊員が到着したときにはすでに死亡していた。
死因は急性循環不全であり、血圧が著しく低下したことによる、いわゆるショック死だった。
由利本荘署によれば、書類送検された9人全員が大筋で容疑を認めているという。
容疑者たちは、「除霊のために押さえつけたところ、死亡してしまった」との供述をしており、また、男性本人の同意もあったことから、殺人ではなく傷害致死というあつかいになった。
由利本荘署では、「処分を求める」との意見を書類送検の際につけている。
憑依のメカニズムと除霊
今回の事件の発端となった「除霊」とは、文字どおり憑依霊を人物および場所から取り除く行為のことである。
憑依という現象そのものは、世界各国の各文化において、古来より繰り返し確認されてきたポピュラーなものである。
たとえば、預言や啓示といった宗教的な儀式も、神が憑依したものだと捉えることができる。日本において、古代の統治者が神に伺いを立てていた方法も、憑依のひとつだといえよう。また、民間においてはイタコの口寄せのように、第三者を憑依させることを仕事にしてきた者もいる。
ただし、彼らに共通することは、自らの意志で意図的に憑依をさせていた点である。
高度の霊能力をもっていたからこそ、憑依されてもその憑依霊をコントロールすることができた。また、次元の高い霊感をもっていることで、悪霊に霊に支配されるということもなかった。
だから除霊の必要はないのである。
ところが、特別な霊能力をもたない一般人に低級な霊が憑依してしまうとなると、事情が大きく異なってくる。
浮遊霊や地縛霊といった低級な霊は、自分が死んでいることを理解できていない。だからいつまでも地上をさまよいつづけており、入り込めそうな人間を見かけると無意識のうちに憑依してしまうのである。
憑依霊に取り憑かれてしまうと、人間は心身両面での不調を訴えることが多い。代表的な症状には、めまいや肩凝りといったものがある。こうした初期症状のうちは、除霊も簡単だ。多少霊感の強い人間であれば、専門家を呼ばなくとも除霊できる場合もある。
しかし実際には、これだけでは単なる体調不良だと認識しがちなため、この段階で除霊を依頼するケースはめったにない。
そうして見逃しているうちに、憑依の段階はどんどん進行していき、最後には幻覚や幻聴に悩まされたり、ついには人格そのものを乗っ取られてしまうのである。
こうなるともう、専門家でさえ除霊が難しくなってしまう。
今回の除霊失敗の霊的見解
今回の男性のケースでは、親族たちが自ら除霊を試みている。
容疑者たちの供述を信用するならば、被害男性の憑依は、最終段階までは進んでいなかったように見受けられる。
除霊の申し出について同意していることからも、本来の人格や理性がまだ充分に保たれていたことがうかがえる。また、自分自身の体調不良を自覚していた節もある。
だからこそ、親族たちは自分でも除霊可能だと判断したのだろう。
また、すぐに除霊を提案したことから、この親族にはある程度の霊感や霊的知識が備わっているのだとも考えられる。
誰も反対する者がいなかったという点から考えても、かつてにも同様の除霊経験があったのかもしれない。
そもそも、男性が精神的に不安定だというだけならば、通常は精神科や心療内科への通院をすすめるところである。上述のように、憑依の初期症状はうつ病などの精神的疾患とあまり見分けがつかないのだ。
さらに、実際に精神が病んでいるところを憑依されてしまうという場合も多い。
しばしば「憑依は肉体の空き巣」だといわれる。実際の空き巣が、侵入が困難な家よりも隙のある家に狙いを定めるのと同じように、憑依霊も忍び込みやすい肉体を狙うのだ。
肉体や精神が疲れていたり病んでいたりするときほど、憑依のターゲットとなりやすいのである。
今回の被害男性が、もともと精神的に疲弊していたのか、憑依霊のせいで不安定になってしまったのかはわからないが、霊がかかわっていると気づいたところまではよかったのだ。
霊感がなければ憑依霊の仕業だとはなかなか思いつかない。
気づかぬうちに憑依段階が進行してしまうケースが多いことは、すでに述べたとおりだ。
また、専門家に依頼をしようにも、世の中には弱味につけこんで法外な金品を要求する悪徳霊能者も多い。彼らの多くはペンダントや護符といった除霊グッズを売りつけることだけが目的であり、霊能力をもっていない者すらいる。
こうした悪徳霊能者に頼るぐらいならば、自分で除霊を試みてみるのは悪い判断ではない。
ただ、残念ながら今回は失敗に終わってしまった。
除霊の途中で暴れ出したという点から、まったく効果がなかったわけではないのだろう。しかし、憑依霊の側の抵抗する力が大きかったということである。
この親族が自身の能力を過信していたのか、憑依霊の力を甘くみていたのか、どちらに原因があるかは判然としないが、いずれにせよ最悪の結果になってしまったことだけは間違いない。
憑依霊の多くは、偶然入り込んでしまった低級霊なのだが、なかにはごく一部、あきらかな悪意をもって取り憑いてくるものもいる。
こうした悪霊の仕業であったのかもしれない。
客観的見解と、とるべき最善策
ただし、容疑者たちの供述がすべて正しいとは言い切れない。
状況だけを客観的に見れば、もともと男性を殺すつもりで集合して、容疑者9人全員で口裏を合わせているだけだという可能性も否定できないためだ。
憑依や除霊といった現象は、いずれも科学的には根拠の示されていないものである。絶対に信じないという人も多い。
そうした人々からすれば、今回の事件は奇妙で不自然なものに映るだろう。口裏を合わせた殺人事件だと捉えたほうが合理的ではある。インターネット掲示板などでも、霊に懐疑的な立場の人々はこうした見解を書き込んでいる。
もし本当に、純粋に除霊のための行為であったのならば、的確な効果がみられなかった時点で中断すべきだったろう。そして、より高い霊感をもった専門家に委ねるべきだった。
スピリチュアルが世間の批判的な視線にさらされるような状況をつくってしまうことは、誰にとってもマイナスでしかない。
今後、読者のなかにも除霊が必要な状況になる人は出てくるかもしれない。その際には、自分にできることとできないことをよく見極めたうえで、冷静な対処をしてもらいたい。