真霊論-スピリチュアルで受験をのりこえる~(3)家族や周囲の心がまえ

スピリチュアルで受験をのりこえる~(3)家族や周囲の心がまえ

センター試験も終わり、いよいよ本格的な受験シーズンを迎えた。
当ブログでは、前回より、スピリチュアル的観点からみた受験対策や合格祈願などについて紹介してきている。
※これまでの記事
・スピリチュアルで受験をのりこえる ~(1)メンタルを充実させて勉強を
・スピリチュアルで受験をのりこえる ~(2)言霊の力で験かつぎ
3回目の今回は、受験生本人よりも、受験生を支える親や家族の心構えについて整理してみたい。
自分の安心のために受験生を犠牲にしない
受験においていちばん苦労をするのは、ほかならぬ受験生本人である。
今回の特集ではここまで、精神面があたえる影響に焦点をしぼって受験対策を語ってきたが、受験生がこの時期にかかえるストレスの大きさは尋常なものではないだろう。
よく、合格後に無気力になってしまう「燃え尽き症候群」がニュースなどで紹介されることがある。これも受験によって生じたストレスの反動であるといえる。それほどまでに、このストレスは馬鹿にできないものなのだ。
だが、それを支える家族や周囲の気苦労もまた大変なものであることを忘れてはいけない。
これまで、受験生本人がメンタル面で病んでしまう可能性についてふれてきているが、精神的苦痛からダウンしてしまうのは親も同様なのである。
いくら気を遣おうとも、いくら応援をしようとも、いくら教育費をかけようとも、代わりに試験を受けることは誰にもできないのだ。志望校へ合格するためには、受験生本人が努力するほかない。
具体的にしてあげられることがないのだから、精神的にはむしろ、周囲のほうが本人以上につらいといえるかもしれない。
親の立場としては、自分自身が親としての採点をされているような気分になる場合も少なくない。
受験に失敗するようなことがあれば、それまでの自分の子育て・教育方針が間違いだったのだと宣告されたかのようなショックを受けることになるだろう。
にもかかわらず、自分にはなんの手助けもできない。これでは、ストレスが溜まっていくのも当然である。
こうしたストレスや不安から、受験生に対して口うるさく勉強をしろと言いたくなってしまう気持ちは理解できる。たとえ受験生本人がしっかりとその日の分の勉強を終えていたとしても、親の立場では、勉強をたくさんしすぎて困ることはないと考えがちだ。
しかし、こうした行為が逆効果であることは過去の記事ですでに述べたとおりだ。
これらの行為をしてしまう親は、子どものためだと言いながら、実際には自分が安心感を得たいだけなのである。
ぜひとも冷静になってもらいたい。自分が安心したいがためだけに肝心の受験生のペースを乱すようなことがあっては、結果的には誰もが不幸になるだけであることがわかるだろう。
ただでさえ不安な受験生をよけいに不安にさせてしまってはどうにもならない。
不健康なメンタルでは悪いイメージに支配されてしまう。
周囲がしてあげられることは環境づくり
受験勉強は「やらされている」と思った時点で負けである。「自分自身のためにしている」のだと思わせなければならない。
しっかりと計画の立てられる子どもであるならば、当人のペース配分や休憩のタイミングは尊重してあげることがよいだろう。また、頼りない子どもであっても、頭ごなしに命令をしていてはよい結果にはつながらない。
受験は学力だけの戦いではないからだ。モチベーションのコントロールを疎かにした先には、自己実現はありえないのである。
モチベーション・コントロールに関して親がしてあげられることについては、第1回ですでに具体的に書いたので、そちらを参考にしてもらいたい。
通底しているのは、快適に勉強できる環境づくりをするということだ。
脳は正直だ。勉強に適した環境があってこそ、勉強をしたいと考えるようになるのである。
たとえば、勉強部屋の室温は寒すぎても暖かすぎても頭が回転しない。適度な温度をキープできるよう調節してあげることであったり、温かい飲みものの差し入れをするなどといったことができる。体の内側から暖まるような食事をつくることもよいだろう。
精神と肉体の健康はリンクするものだということも忘れないようにしたい。
スピリチュアル的な観点からいえば、集中力や直観力の高まるパワーストーンを玄関や勉強部屋などに置いておくことにも期待がもてる。匂いが嫌いな子どもでなければアロマの力に頼ってもよい。
こうしたアイテムの選びかたについては後日また紹介する予定である。
大事な心がまえは、親は受験生を監視するのではなく、見守って支えてあげるのだということだ。
それでも不安が消えないならば
それでも、親の不安は尽きないものである。受験生本人のように、勉強を重ねることで自信を得ることもできないし、模試などの結果をみてもリアルな手応えを感じることもできない。
親の不安は子どもにもつたわるものである。ネガティブな気を大事な受験生に伝染させないようにしたい。
そんな家族や友人・知人が受験生に対してできる最大にして唯一の手伝いといえば、合格祈願だろう。お祈りしにいくことで神仏の力を借り、よい運気をたぐり寄せることは大事である。
また、それ以上に、神仏のまえで不安を打ち明けることで、親自身が心を落ち着けることにもつながる。感情にまかせて怒鳴ったり叱ったりして一時の安心感を得るぐらいならば、神仏に心をひらいて、不安の根源を取り去ってもらうほうが精神的にはるかに健全である。
親が落ち着いていれば、子どもも冷静に受験に臨むことができるだろう。
この、合格祈願におすすめの場所や方法などについても、後日また別の章を割いて紹介したい。
けっして「受験生様」にはしないこと
受験生をもつ家庭がおかしがちな失敗は、受験生を過剰にもてなしてしまうことである。
たしかに古くより、受験生はあつかいがむずかしいといわれてきた。
本人はぴりぴりしがちであるし、勉強の邪魔をしないよう気を遣う場面も多いだろう。
しかし受験生は王様ではない。
たとえば、お茶や夜食の差し入れ程度はしてあげても問題はないが、ふだん本人が自分でしているような用事までをわざわざ代わりにやってあげる必要性はないのである。
また、テレビや音楽のボリュームを下げるぐらいの気遣いはあってよいが、日常生活の範囲内で当然生じてしまうような物音や足音までもを過敏に気にすることもない。
たとえどれだけ気が立っていようとも、子どもが周囲に当たり散らしたり偉そうに振る舞ったりした場合は、適切に叱るべきだし、見過ごしてはいけないのだ。
こうした点を履き違えてしまうと、スピリチュアル的に不健全な状態となる。
不健全な精神は不健全なものを求めるようになるため、勉強を疎かにしがちになったり、ネタティブなイメージに心が支配されたりすることにつながりかねない。
受験生でなくとも、子どもはもともと不安定な心をもっているものである。大事な時期だからこそ、なおのこと精神がもたらす影響の大きさを適切に把握しておく必要があるのだ。
受験生の親の役割を集約すれば、ネガティブな気から子どもを守り、正しい精神へと導くことなのだといえるだろう。
人生の先輩として、どっしりと構えて受験生を見守っていきたいものである。