諏訪大社で伝統の「筒粥神事」、今年も厳しい1年?
古来より伝承されてきた「筒粥(つつがゆ)神事」が、今年も諏訪大社を始めとする各地で行われた。
2012年1月14日未明から15日早朝にかけて、その年の世相や農作物の豊凶について占う、諏訪大社の筒粥神事が下諏訪町の同大社下社春宮にて行われた。
諏訪の筒粥神事は脈々と受け継がれてきた伝統の神事である。儀式に従って、まず宮司らの神職らが夜を徹して釜の中にヨシの茎44本を小豆入りの米とともに入れ、炊き上げる。
そして、茎に入り込んだ粥の量や状態を観て、農作物43種類の作柄と世相を占う。今年も氏子や農業関係者など、およそ30人が集い、厳粛な空気の中で進行した。
その結果は、世相全般を観る「世の中」が五分満点で三分六厘。昨年の三分五厘を若干上回ったが引き続き厳しい占断が下された。また農作物の豊凶については「早生小麦」「エンドウ」「長芋」「ナスビ」「ナシ」「オカボ」の6品目が大豊作で、不作は「アワ」だった。
神事終了後、北島和孝権宮司は世相占いについて、「今年は出だしはいいが後半息切れする気配がみられる。備えは怠りなきようにした方がよい。そして、人間も自然に生かされているのだ、という感謝の気持ちを忘れず生活すべきである」との談話を発表した。
安中市でも「御筒粥(おつつがゆ)神事」、農作物は平年並み―豊作か
群馬県安中市鷺宮の咲前神社でも、2012年1月15日、今年の農作物の作柄を占う「御筒粥(おつつがゆ)神事」が行われた。
咲前神社の御筒粥神事の発祥は江戸時代である。
儀式の方法は諏訪とはやや異なり、粥は米、大麦、小麦、大豆、小豆の五穀で作られ、作物別に釜が用意される。そして炊きあがった後はヌルデで作られた「孕(はら)み箸」により混ぜられ、1から10までの数字が書かれた竹の棒を筒から御神籤のようにそれぞれ1本引きぬく。数字の大小から、作物の出来栄えを占う。
今年は本殿にて午前零時ころから、和田雅之宮司らによって行われた。農作物は25品目が占われたが、今年は「総じて平年作からやや豊作」の作況の見通し。氏子や地元の農業従事者らは良い結果にほっと胸をなで下した。内訳は、晩稲、ソバ、ゴマなど9種が豊作で、小豆、ダイコン、ウリなど7種が不作、そのほかは平年作と占断された。
筒粥神事、発祥は中国か
この時期は、日本各地の神社で筒粥神事が行われる。
筒粥の発祥は、鎌倉時代に編纂された「年中行事秘抄」によると、中国の伝説から成っている。小正月の時分に、中国の荒ぶる神や怨霊へ対して「あずき粥」をお供えして、その後食べると、1年間、邪気や祟りから身を守ることができるという逸話が元となっている。日本では、天候や農作物の出来不出来を占うという性質から、本格的に農耕が始まってから取り入れられた神事ということは明白であるが、余りに歴史が古いため、正確な時期というのはいまだに分かっていない。
西暦949年から途切れることなく続く年中行事
最も古くから筒粥神事が伝承されているのは「師岡熊野神社(横浜市)」だ。同社の記録によると西暦949年から途切れることなく行われている。その他、恩智神社でも1000年以上前から、伊弉諾神宮(淡路島)において受け継がれている「粥占祭」に至っては1200-1300年ほど前より始まったと言われている。
また、占断方法も地域によってさまざまで、炊いた粥に葦や筒を入れるというパターンの他には、北九州地方を中心に、粥を一定期間放置し、カビの生え具合で占うという方法もある。
現代の各種占いも、元々は神事より発生した。日本は、一神教により地域の密教が破壊された欧米とは違って、神道の中で、今でも古代の感覚を味わうことが可能である。筒粥神事は、我々が普段忘れている原初的な心地を体感できる魅力的な機会かもしれない。