空前のスピリチュアル・ブームだといわれて久しい。2000年代半ばにブームが巻き起こってから、もうじき10年が経過しようとしている。
「十年一昔」という言葉もあるように、もはやスピリチュアルを単なるブームとしてあつかう時期は過ぎ去ったといえよう。
パワースポットやパワーストーンといった言葉も日常的に目にする機会が増え、すでにスピリチュアルは、日々の暮らしのなかにしっかりと根付いたと捉えるべきである。
その流行に便乗して、この約10年間、さまざまな新しい言葉や新しい商売も生まれた。
なかには本当に生活の役に立つ便利情報もあったし、一方なかには、スピリチュアルという言葉のイメージそのものすらも貶めかねないような胡散くさい情報もあった。
今回は、そうした新しい言葉のなかから、最近ますます注目をあつめはじめている「スピリチュアル・ダイエット」について考えてみたい。
ダイエットは人類永遠のテーマ
女性の最大の関心事といえば、いつの世もダイエットであろう。
古代より、王族や貴族といった上流階級の女性たちは、美を競うためダイエットに精を出してきた。当時の女性たちにとって、人生における成功とは、上流階級の男性に見初められることにほかならなかったからである。
美しくあることこそが女性としての価値であり、それは生活に直結する重要な問題であった。
それから数百年が経過した21世紀の現在、女性の社会進出は活発になり、男性と同等に稼ぐ女性も少なくなくなった。晩婚化も進み、生涯未婚のまま貫きとおす女性もめずらしくない。結婚が成功ではなくなったのである。
しかしながら今なお、女性向けのファッション誌や生活情報誌などでは、毎号のようにダイエットの特集記事が掲載される。
生活に直結しなくとも、美は女性にとって永遠のテーマであることがわかる。
加えて、近年では男性のなかにもダイエットに強い関心をもつ層が増えてきている。
これは、メタボリック・シンドロームに代表されるように、肥満が健康におよぼす害の大きさがあらためて見直されているためだ。いわば、古代の女性とはべつの意味で「生活に直結」するものとなったのである。
男性向けの雑誌でも頻繁に食生活の改善であったり筋力トレーニングが記事になるなど、まったくの無関心だと断言できる人はほとんどいなくなっているのではなかろうか。
今やダイエットは、男女を問わず、生活のなかにふつうに存在するものとなったのである。
ダイエットの常識を覆す
しかし、それだけ共通の関心事でありながら、見事に理想どおりのダイエットに成功するのは、一部の者にかぎられていた。ダイエットはそれだけ困難なのである。
そもそも人間が太るのは、摂取カロリーの総量が消費カロリーの総量を上回るからだ。
痩せる方法は単純である。反対に、消費カロリーが摂取カロリーよりも大きくなるようにすればよい。
従来、ダイエットの方法として採用されてきたのは、おもに以下の2種類のものだった。
(1)適度な運動を定期的におこなう
(2)食事制限、カロリー制限をする
(1)の方法は、消費カロリーを増大させることが目的である。運動そのものによってカロリーは消費されるし、また、日常的に運動をすることで基礎代謝量(=なにもしなくても消費されるカロリー)も増えることに繋がる。長期的なスパンで地道にダイエットをしたい場合はこちらが推奨される。
もう一方の(2)の方法は、摂取カロリーのほうを削減するのが目的となっている。従来とまったく同じ生活パターンのままでも、体内に入ってくるカロリーが小さければ自然と痩せていく。健康的な面から問題点も指摘されるが、極端な制限をしないのであれば、成長期の子どもでないかぎり問題はない。
両方ともに、正しく実行することさえできれば、誰でも確実に痩せることができる。
ただ、その「正しく実行すること」がむずかしいのである。
人間は欲望に忠実な生きものである。いかに理性的な人間であろうとも、あらゆる欲を完全に無視することなどできない。どちらの方法を選択するにしても、ダイエットには強靱な意志が必要とされる。
ところが、「スピリチュアル・ダイエット」では、上記のどちらの方法も必要がないのだという。
けっして無理をしない
スピリチュアル・ダイエットという言葉自体は多くの人物によって多くの文脈で用いられており、その方法や思想も必ずしも一様ではない。さまざまな書籍も出版されているし、意識面での改革を重視するものからパワーストーンに頼るものまで、解釈も多様である。
しかしながら、同じ言葉を用いているだけあって、その大枠の概念についてはおおむね共通しているといってよい。
文字どおり、スピリチュアルのエネルギーを利用して痩せようというのがスピリチュアル・ダイエットの大前提である。
そして特徴的なのは、スピリチュアル・ダイエットでは、一切自分に無理をさせないという点だ。
それは肉体的な面ではもちろん、精神的にも同様である。
つまり、食べることを我慢したり休みたいときにも無理に運動をするなど、欲求をおさえつけるようなことはしないということである。
これは、自制心によって成り立っていた従来のダイエット法とは一線を画すものであり、正反対のスタンスだとすらいえる。
ただし注意してほしいのは、なにもこれは、「楽をして痩せよう」という他力本願なものではない点だ。
スピリチュアル・ダイエットの本質は、自分自身にとって本当に望ましい状態の心身を手に入れることにある。
「楽をして痩せる」のではなく、「気持ちよく痩せる」のである。
そもそもスピリチュアルの真髄とは、外部のカウンセラーやパワースポットから力を借りることではない。自分自身の内なるエネルギーを、外からのエネルギーと呼応させることで目覚めさせ、肉体と精神にとって心地よい状態をつくりだすこと。これこそが正しいスピリチュアルのありかたである。
穢れを落とすことも、悪い運気をぬぐい去ることも、自分自身が気持ちよくあるための作用である。そうして自由で心地よい状態を手に入れるからこそ、ふだん眠っていた力がみなぎってくるわけだ。
この、自分自身の力を使って痩せようというのがスピリチュアル・ダイエットなのだ。
理想の自分をイメージする
肉体も精神も、無理をすると必ず反発がくるものである。急激なダイエットをしたあと、かえって元以上に太ってしまう「リバウンド」という現象があるが、これも反発の代表例である。これは、肉体および精神に不自由を強いてきたからこそ、その反発が生じたものだといえる。
だが、この反発力を逆に利用することもできる。
本来太っている状態というのは、肉体にとって心地よい状態ではないはずだからだ。
心身を気持ちよい状態に保つことができれば、おのずと最も生活のしやすい体型に落ち着くという絡繰りである。
具体的には、理想の自分自身を、毎日鏡に向かって強く想像することである。そして、目に見える形で目標を書いておくことも重要だ。
よく受験生が部屋にぺたぺたと目標を貼っていたりするが、あれはスピリチュアル的には非常に効果のあることなのである。いわゆる「自己暗示」ということになる。
ただし、このとき目標は「痩せたい」「~kgに落としたい」といったように願望の形で書いてはいけない。なぜなら、これは反対に、現在がその理想とはかけ離れているということを体に再認識させてしまうことに繋がるからだ。ネガティブなイメージは一度定着すると後を引きやすい。
そうではなく、「痩せる」「~kgにする」と断定口調で書くことで、自己暗示は達成される。
もちろん物理的には、摂取カロリーが減るか消費カロリーが増えるかしないことには痩せるはずがない。
だが、だからといってスピリチュアル・ダイエットが科学的に無根拠というわけではない。強い自己暗示をかければ、おのずと心にストッパーがかかり、食べる量は減るはずだからである。また、高カロリーな食品を食べたいという欲求も自然と減退していくことだろう。
脳や心の機能には、まだ科学でも解明されていない不思議が多く残っているのである。
あくまでも無理をしたりがんばったりするのではなく、心のあるがままに任せた結果、そうなるというプロセスが重要だ。
気持ちよく無理なく痩せるというのはこういうことである。楽をしたいというよこしまな気持ちでは成功しないだろう。
便乗商法に要注意
このようにスピリチュアル・ダイエットは、特別な道具も特別な努力も必要としない素晴らしいダイエット方法である。
しかしながら、その効能に便乗してさまざまなものを売りつけようとする業者も存在する。たとえばダイエットに効果があるとしてパワーストーンを宣伝したり、霊力のやどった特別なダイエット飲料などを売ったりといったケースである。
もちろんこれらも、必ずしも詐欺であるとはかぎらない。実際に効能があることも多いだろうし、そうでなくとも自己暗示が強ければ効能を示す場合もあるだろう。
だが、それらが常識に則して妥当な価格であるかどうかの判断は慎重にくだすようにしたい。