いよいよ春の足音が近づいてきた。春分の日ももうすぐである。
多くの人にとって春分の日は、国民の祝日のひとつとして馴染み深い日であろう。そして、年間15日ほどある祝日のなかでも、変わった特性を持った祝日でもある。
年によって日程が前後する祝日は、かつてはめずらしいものであった。また、ハッピーマンデー法の施行により日替わりの祝日が多くなった現在においても、曜日と無関係に日程がきまる貴重な祝日となっている。
伝統行事としては、彼岸の中日としても知られている。春と秋の彼岸のたびに墓参りをするという習慣は、日本人には古来より根付いているものであった。なかでも、常に休日となる中日を選んで墓参りにいく人も多いだろう。
そんな春分の日がどのような意味をもつ日であるかは、大人ならば大半の人が知っているかと思われる。
科学的な定義については、誰しも、小学校の理科の授業などで習ったことだろう。地球の動きや太陽系の仕組みを考えるうえでは、知っておいて損はない知識である。
また、伝承的な意味においても、上で述べたように墓参りの習慣でその重要性は充分に認識されているはずだ。
しかし、どうしてその春分の日が、特別な日だとしてあつかわれているのかは、あまり理解されていないのではないだろうか。
春分や秋分は国民の祝日となっているのに、夏至や冬至がそうではないということを疑問に思ったことのある人も少なくないのではあるまいか。一年のなかの機械的な区切りという意味でいえば、いずれも変わらないはずであるにもかかわらずだ。
実は春分が特別視されていることにも、それ相応の理由がある。そして春分は、スピリチュアル的な観点からみても、無視することのできない大事な日なのである。
今回は、春分の日のもつ大いなるエネルギーについて考えていきたい。
古来より春分は日常生活の基盤
そもそも春分とはどういう現象だろうか。
春分は、二十四節気のひとつである。
二十四節気は、もともとは中国生まれの暦の数えかただ。黄道上のどこに太陽が位置しているかによって、一年間を二十四等分する。この二十四とおりの季節が二十四節気だ。
これはある日突然に生まれたものではない。日時計を用いた観測により、長い歳月をかけて発明されたものである。いわば知恵と努力の結晶である。
気候のうつろいによって暦を理解しようという発想は、四季の変化が豊かな東アジアならではの考えだといえよう。現在のような厳密な気候測定法が生まれる以前から、二十四節気に頼ることで人々は生活のサイクルを維持してきたのだ。立派な生活の知恵といえる。
日本においても、江戸時代にはすでに暦に組み込まれていたことが確認されている。
ただし、中国と日本では気候に微妙にずれがある。そのため、二十四節気の名称と実態がそぐわない例もある。しかしそれでも、この二十四等分するという発想自体は便利だったため、そのまま使われてきた。
もっとも、二十四等分すると一口にいっても、でたらめに分けたのでは説得力が乏しくなってしまう。分割する際には、必ずスタート地点になにかしらの根拠を求めなければならない。
この、分割の基準点こそが、春分点なのである。
春分を基準にして季節が分割され、そしてそれにしたがってわれわれは生活をしてきた。
つまり春分は、古くよりわれわれの日常の基盤をつくってきた存在なのだといえるだろう。
節目と「はじまり」の季節
一年を二十四に分割するためには、半月ごとに分割点を指定すればよい。かつては、単純に15日おきに二十四節気を配置していた時代もあった。
しかし地球はきれいな円形ではなく、楕円形をしている。このため、この方法ではいずれ間隔が狂ってしまうことになる。
そのため、天文学の発展した天保暦からは、黄道を15度ずつ二十四等分して運用するようになった。
この分割法は現在もなお用いられているものだ。
このときもやはり、基準点となったのは春分である。
二十四節気の多くは体感的なものや気候の特性などから名称がきめられているが、春分は天文学的な用語でもある。ほかの多くと異なり、厳格にその定義が定められているのだ。昼と夜の長さがほぼ同じになる日が春分なのである。
つまり、毎年明確に指定することができる。
この事実は秋分でも同様であるが、春分はやはり、「春」だということが大きい。
農耕文化であった日本では、古くより春をあたらしい一年のはじまりだとすることが多かった。
結果、春分点を0度として、以下のように二十四節気は定められている。
**0° – 春分 / *15° – 清明 / *30° – 穀雨 / *45° – 立夏
*60° – 小満 / *75° – 芒種 / *90° – 夏至 / 105° – 小暑
120° – 大暑 / 135° – 立秋 / 150° – 処暑 / 165° – 白露
180° – 秋分 / 195° – 寒露 / 210° – 霜降 / 225° – 立冬
240° – 小雪 / 255° – 大雪 / 270° – 冬至 / 285° – 小寒
300° – 大寒 / 315° – 立春 / 330° – 雨水 / 345° – 啓蟄
二十四節気の多くは、現在では教養の深い人々にしか用いられない言葉となってしまっている。カレンダーでも、これらが網羅されているものなごく一部だ。
しかし、0度、90度、180度、270度という節目に位置しているものだけは、いずれも現在でもよく用いられるものである。
ここからも、いかに日本人が「節目」を大事にしてきたかが読み取れるだろう。
超自然的なエネルギーに満ちあふれた日
春分の日が、一年の基準点であることは理解してもらえただろうか。
ここまでくると、「新しいはじまり」というポジティブなエネルギーに満ちたこの日に、特別な役割があたえられることは充分に頷ける話だろう。
はじまりということは、それまでの日常を一旦リセットする日でもある。
たとえば、長いあいだ重く沈んだようなネガティブな気に支配されていた人であれば、春分の日はそれを洗い落とす絶好の機会である。また、日常生活におけるしがらみや悪い習慣などを断ち切るためにも、新たなる決意をするためのよいタイミングだといえよう。
もちろん、新しいことにチャレンジしたい人にとっても、よりポジティブな気持ちで立ち向かえる時期なのだといえる。
日本において年度のはじまりが春に設定されていることは、非常に理に適っているといえよう。この季節だからこそ、誰もが新しい気持ちで新しい一年をはじめられるのである。
また、多くの花があるなかで桜が特別視される文化にあることも、こうした春のもつエネルギーを無縁ではないはずだ。われわれは無意識的に、桜の花を愛でることで、そこに「はじまり」の力を感じているのである。
そして、そうしたポジティブな思いは、必ずやポジティブな結果につながる。
こうしたポジティブなエネルギーは、当然ながら自然のなかからも発揮されている。太陽という強大なエネルギーと密接な日だからこそ、地球上のありとあらゆるエネルギーがその恩恵を受けるのだ。
春分の日には、このことを意識したうえであるゆる行動を選択するようにするとよいだろう。
春分の日にこそパワースポットめぐりを
ここでおすすめしたいのが、パワースポットを訪れることだ。
春分の日は、パワースポットめぐりにも絶好の日なのである。
大自然のエネルギーが満ちあふれたこの日は、パワースポットのエネルギーも最も強大なものとなる。
また、日本中のパワースポットのなかには、神殿や力の源となる場が、真東を向いているものも多い。これは、太陽のエネルギーを余すところなく浴びるためである。
自然の力を得てパワースポットはエネルギーを貯め込み、そこに訪れることで人々もそのエネルギーのお裾分けをしてもらっているわけだ。
太陽が真東からのぼり真西へと沈む春分の日は、この太陽の力の恩恵を最大限に受けられる日でもある。
さらに、昼と夜の長さが同じということは、あらゆる物事のバランスが均衡へと向かう力を発揮する日だということにもなる。
陰と陽のバランスが保たれた春分の日は、さまざまな強いエネルギー同士が喧嘩することもない。まさしく、理想的なバランスでエネルギーを充填できるタイミングなのだ。
「御来光の道」で春分の日ならではのエネルギーにふれる
春分の日にぴったりなパワースポットとしては、いわゆる「御来光の道」が挙げられる。
これは、北緯35度22分付近に位置する光の道のことである。春分の日には、日の出から日没にかけて、この道を太陽がとおってくことになる。
そしてこの御来光の道には、以下のようなパワースポットが位置しているのだ。
・玉前神社(千葉県長生郡一宮町)
・寒川神社(神奈川県高座郡寒川町)
・富士浅間神社(静岡県駿東郡小山町)
・富士山(静岡県/山梨県)
・七面山(山梨県南巨摩郡身延町・早川町)
・竹生島(滋賀県長浜市早崎町)
・大山(鳥取県/岡山県)
・出雲大社(島根県出雲市)
一覧してわかるとおり、いずれも有名なパワースポットばかりである。
太陽の力とパワースポットの霊力に密接な関係があることは、ここからもわかる。
春分の日というこの特別なチャンスを逃してはもったいない。
新しい生活をより豊かなものにするためにも、春分の日を無駄にしないようにしたいものである。